第38話 お前のためだ
父への返事を送ったあと、フェルナン様と会う日が来た。
庭を歩き、館でお茶を飲んだ。彼は子供の頃、兄に習った乗馬で、同じところを何度も回らされた話をした。
「近道をしたのが、分かったのでしょうか」
「馬の方が、先に覚えました。次の日も、同じところで曲がろうとしたので」
私が笑うと、彼も笑った。
土地の交換の話は、隠さず伝えた。
けれど、どうすればよいかと尋ねるのではなく、断る返事をしたと話した。彼は私の理由を聞き、北領で暮らすと決められたのですねと答えた。
父へ代わりに説明するとは言わなかった。
その日から数日して、お父様が来ると手紙で知らされた。
こちらの返事だけで結論を出すのは早い。現地を見て、私と話したいという。
予定の日と、一泊するための客室の用意を求められていた。
私は手紙を持ったまま、しばらく座っていた。
お父様が、この館へ来る。
デュランさんに断ったときとは違う。声を聞くだけで、書いた言葉まで、強すぎたと思ってしまうかもしれない。
モーリスと客室を確かめ、泊まれると返事をした。
手紙の到着から訪問までは、部屋を整え、こちらの返事を王都へ届けるだけの日があった。
お父様はデュランさんを伴い、知らせてあった日の昼過ぎに着いた。
私が玄関で挨拶すると、父は館を見上げた。
「ここへ来るのは、久しぶりだ」
モーリスが一礼し、道中の馬車の様子を聞いた。
父は迂回せずに来られたと答えた。橋は直っている。通行の知らせは、王都へ向かう御者にも伝えてあった。
応接室へ入ると、父は窓の近くへ座った。
デュランさんは別の椅子に腰を下ろし、モーリスが必要な書類を持って控えた。
「窓を直したのか」
「はい。納屋も、雨の入るところを」
私はお茶が置かれるのを待った。
父はカップを取り、すぐには交換の話をしなかった。
修理の箇所を見たいと言われ、外へ案内した。納屋には次の便で見せる品がある。父が、誰の品か尋ねたので、館の分と、村から預かった分を分けて答えた。
モーリスが、札の付け方と、受け渡しの日を説明した。
「本家から連絡を待たずに、こちらで日を合わせているのだな」
「はい。先方の巡回と、村の仕事に合わせています」
私は答えた。
父は、次の買い付けが必ず決まっているのかと聞いた。品を見てから値を確かめること、毎回同じ量が売れるとは限らないことを伝えた。
父は頷いた。
何も知らず、納屋の袋を全部私の収入だと思って来たわけではない。
応接室へ戻ると、父はモーリスに、夕食の前まで娘と話したいと告げた。
モーリスが私を見たので、私は頷いた。デュランさんも用件を預かって外へ出た。
廊下にはリュシーがいたが、戸が閉まると顔は見えなくなった。
「手紙を読んだ」
父が言った。
「条件を確かめる前に断るのは、よく考えた返事とは思えない」
私は膝の上へ手を置いた。
「ベルセの資料は、拝見しました」
「紙で見ただけだろう。向こうへ行き、家令の説明を聞けばよい。今の暮らしより余裕があることは、お前にも分かるはずだ」
私は頷いた。
利点があることは、手紙にも書いた。
「北領で、必要な修理をした。橋のことも、隣家と話をつけた。それは悪くない」
父がそう言ったので、私は顔を上げた。
「だが、これから冬を迎える。お前は、まだここで冬を越したことがない」
「はい」
「何年も同じように暮らせると思うのは早い。遠い領地で、娘一人に任せる負担としては重い」
私は何も言えなかった。
冬の備えを確かめても、冬を知ったことにはならない。
「私は、お前が土地を持つことまでやめろと言っているのではない。別の館と収入を用意すると言っている」
父は机の上へベルセの図を置いた。
「お前のために、まとまった一画を割く提案だ。以前は認めなかったものを、今は考えている」
私は図へ目を向けた。
あのとき、それを与えてもらえたら、父は私の望みも聞いてくれるのだと思ったかもしれない。
「北領を本家で管理すれば、今の取引も引き継げる。辺境伯家との連絡も、家令を置いて続ければよい」
父は図の横へ、別の紙を置いた。
「春から、本家の小口の荷をこちらでまとめる案がある。納屋の一部と、館の脇に仮置きの場所を整える。町で倉を借りるより、費用を抑えられる見込みだ」
運ぶ回数と、置ける量を確かめるための紙だった。村の品を追い出して全部を使うという案ではない。
「北領が戻れば、場所の使用まで本家で決められる。借りる形なら、お前との契約が別に要る」
「今は、まだ、場所をお貸しするともお返事していません」
「分かっている。だから、戻す話をしている」
父は紙を押さえた。
私が残りたいと言っている間にも、父の指は、荷を置く場所を示していた。
「モーリスは、どうなるのでしょう」
「残りたいのであれば、その役目も相談する。お前が心配するような話にはしない」
私は息をついた。
誰かを守るために断る理由を探せば、父はそれを一つずつ取り除くだろう。
「結婚の話もある」
父は続けた。
「隣領の次男と親しくしているから、ここへ残りたいのか」
私は机から目を上げた。
「それだけではありません」
「では、なおさらだ。どの家と縁を結ぶかは、まだ決まっていない。王都へ出やすい土地を持つ方が、お前の将来にはよい」
父は、結婚したら北領を夫へ渡さなければならないとは言わなかった。
どこで暮らし、どの家と付き合うかを考えれば、ベルセの方が使いやすい。それが父の説明だった。
私は手を握った。
「私は、ここで暮らしたいのです」
「今、居心地がよいことと、将来のためになることは違う」
父はすぐに答えた。
昔も、よく聞いた言葉だった。
私のためだと言われれば、分かっていないのは私の方だと思った。父が知っていることを、まだ知らないのだから。
今も、知らないことは多い。
でも、そのことと、ここを手放したいかどうかは同じではなかった。
「北領を、返したくありません」
言うと、父が黙った。
私は目を伏せそうになり、机の図を見た。
紙の上には、父が選んだ暮らす場所があった。
窓の外には、私が帰ってきた場所がある。
「私は、ここで暮らし続けるつもりで、冬の支度をしました。交換をお受けするつもりはありません」
最後の言葉は、少し震えた。
父は図を畳まなかった。
「今日来たばかりだ。明日の朝、もう一度話す」
私は頷いた。
もう一度考えれば、返事が変わると期待されているのだろう。
夕食までの間、父は客室へ向かった。私は応接室に残り、父が置いていった図を見た。
呼ばれるまで、二階へ戻らない方がよいだろうか。
そう考えたところで、立ち上がった。
部屋には、北領を譲り受けたときの契約書がある。
父に黙って取ったものではない。父も読んで、署名したものだった。
私は引き出しから取り出し、机へ置いた。
明日の朝にも、自分の返事を話すために。




