第35話 嫌だった
フィオナたちが帰る朝、私はアンヌに、道中で食べられるものを包んでもらった。
王都まで、また二泊の旅になる。出発が遅くならないよう、御者が朝のうちに馬車を確かめていた。
アラン様は、宿から戻った従者と荷物を見ている。
フィオナは侍女に最後の支度を任せ、私の部屋へ来た。
「ここからは、畑が見えるのね」
窓へ向かい、外を眺めた。
私は、彼女が座るために椅子の上の上着を取った。机には手帳と、葉の模様の針入れが置いてある。
「それ、前には持っていなかったでしょう」
「町のお祭りで買ったの」
「フェルナン様と行ったとき?」
私は頷いた。
「いただいたものではないの?」
「自分で選んで、買ったのよ」
妹は小さな箱を眺めた。
「もっと飾りのあるものも、売っていたでしょう」
「ええ。でも、これが気に入ったの」
葉の模様をもう一度見た。買った日には、帰りの馬車で何度も包みを開きたくなった。今は針と糸を入れ、机の上で使っている。
フィオナが違うものを選んでも、私の箱を交換する必要はない。
「お姉様が、こういうものを選ぶなんて、知らなかったわ」
妹が言った。
「私も、買う前は知らなかったわ。お店で見て、欲しくなったの」
答えたあと、少し笑った。
妹に選び方を説明して、納得してもらうつもりではなかった。ただ、これは私が欲しくて持ち帰ったものだと、言いたかった。
妹は蓋へ指を置いたが、開けなかった。
「お姉様ばかり、楽しそうね」
私は上着を腕へ掛けたまま、妹を見た。
昨日の夕食では、道中に寄った宿の話もした。フィオナが寒かったと言うと、アンヌが足元に置く布を持ってきてくれた。
北領の暮らしを、ずっと嫌そうに見ていたわけではない。
「お祭りは、楽しかったわ」
答えると、妹は窓の方へ顔を戻した。
「フェルナン様は、お姉様の話をよく聞いてくださるのね。昨日も、何を言うのか、待っていらした」
私は机へ上着を置いた。
橋の置き場を説明したときのことだろうか。仕事の話を聞いていただいただけ、と答えれば、妹はそれ以上聞かないかもしれない。
でも、昨日の彼との時間を、ただそれだけだったことにはしたくなかった。
「私も、聞いていただきたいことがあったから」
「いいわね。アラン様は、私には、好きにすればいいとおっしゃることが増えたの」
妹は椅子へ座った。
私は別の椅子を引いたが、まだ座らなかった。
「以前は、そんなふうではなかったでしょう」
「そうね。でも、今はそうなの」
フィオナは指先を重ねた。
「フェルナン様と先にお会いしていたら、どうだったのかしら」
私は息を止めた。
妹は私の顔を見て、少し笑った。
「そんな顔をしないで。まだ婚約したわけではないのでしょう。私がいい方ねと言ったくらいで」
喉が詰まった。
前にも、アラン様が優しいと話していた。私の婚約者だった人を見て、フィオナの方が似合うと言われるまで、私は何も言わなかった。
今日も、そうなのねと笑えば、妹は安心するのかもしれない。
「そういうこと、言わないで」
声が出ると、フィオナの笑みが止まった。
「何が?」
「私と話している方について、先に会っていたらよかったと、私に言わないで」
妹は椅子の背へ身体を寄せた。
「本気で何かするなんて、言っていないわ」
「分かっているわ。でも、嫌だったの」
私は机の端へ手を置いた。
指に力が入り、爪が木へ触れた。
「アラン様のことも、私は平気だったわけではないの。フィオナには、そう言わなかったけれど」
妹がこちらを見た。
「今になって、そんなことを言われても」
「ええ。今まで言わなかったことは、取り消せないわ」
私は頷いた。
妹が何も知らなかったことにはできない。けれど、私も、嫌だという言葉を出さなかった。
「今日は、同じように笑って答えたくなかったの」
フィオナは立ち上がった。
「私は、お姉様の暮らしを見に来ただけなのよ」
「来てくれたことと、その言葉が嫌だったことは、別よ」
妹が唇を結んだ。
私は呼び止めて、機嫌を直してとは言わなかった。
フィオナは戸口まで歩き、振り返った。
「変わったのね」
何と答えればよいか、分からなかった。
妹は返事を待たずに出ていった。
戸が閉まると、膝から力が抜けた。私は椅子へ座り、机の端から手を離した。
言いたかった言葉だったのに、言えば気が晴れるわけではなかった。
廊下で、妹が侍女へ荷物を持ってくるよう頼む声がした。
私がいま追いかければ、冗談だと分かっているわと言い直すだろうか。
机の針入れを見た。
あれを選んだ時間まで、妹を困らせないように言い換えたくなかった。
私は上着を着て、階下へ降りた。
玄関には、旅の包みと荷物が並んでいる。アラン様が私を見て、二日間のお礼を言った。
「仕事のあるところへ、訪ねてしまいましたね」
「日を知らせていただいていたので、支度はできました」
私は答えた。
フィオナが下りてくると、彼は妹の方を向いた。妹は、出発できるわとだけ言った。
私は包みを侍女へ渡し、雨が増えたら御者の判断で宿へ早く入ってほしいと伝えた。
アラン様は頷き、フィオナに馬車の段差を知らせた。
妹が私を見た。
「お母様にも、無事に着いたと伝えるわ」
「ええ。道中、気をつけて」
声は出た。
笑い合って、何もなかったように別れることはできなかった。それでも、旅の無事を願うことまで、なくなったわけではない。
馬車が門を出たあと、リュシーが隣に立った。
「お部屋の手帳を、あとでお持ちしますね」
「ありがとう」
階段で私を見たとき、いつもより黙っていたので、声を掛けそびれたという。
私は二人の馬車が見えなくなるまで待ち、館へ入った。
客室の戸が開いている。侍女が使った寝台から、リーズが布を外していた。
朝のうちに片づければ、午後には家具を戻せるという。
「急がなくても、明日で大丈夫です」
私は伝えた。
部屋へ戻ると、リュシーが手帳を持ってきてくれた。
「午後に、橋からの報告が来る予定でしたね」
「ええ」
私は受け取り、少し迷ってから言った。
「フィオナに、嫌だったと言ったの」
彼女は手を止めた。
「フェルナン様に、先に会っていたらよかったと。私には、その話をしてほしくなかったわ」
リュシーは少し黙り、頷いた。
「それは、聞いていて困りますね」
仲直りした方がよいとも、もう会わなくてよいとも言わなかった。
私は手帳を開いた。
フィオナが怒った顔は、まだ思い出せる。
それでも、次の手紙で、さっきの言葉をなかったことにはしたくなかった。




