第30話 お姉様のほうがいいの
王都のヴェラン家では、来春の婚礼に向け、衣装の布を選んでいた。
フィオナの前には、白い布が三枚並んでいる。窓からの光を受けると、それぞれの織り目が違った。
「こちらの方が、飾りをつけたときに映えますね」
母が一枚を示す。フィオナも、それがよいと思った。
アランは隣の椅子に座り、布を見ていた。相談に同席してほしいとフィオナが頼み、訪問の日に商人の予定を合わせたのだった。
「アラン様は、どう思われますか」
「君が気に入ったもので、よいと思う」
フィオナは笑顔を保った。
それは優しい答えのはずだった。初めの頃なら、自由に選ばせてくれるのが嬉しかっただろう。
今は、どの布でも同じだと思われている気がした。
「では、こちらを」
母と商人が、必要な長さや飾りについて確かめた。フィオナは途中で、もう一枚を持ち上げた。
「お姉様なら、飾りの少ない方を選ぶでしょうね」
母が、オデットにはそういうものが似合うわねと答えた。
アランも布へ目を向けた。
「本人に聞かなければ、分からないだろう」
フィオナは手を止めた。
「いつも、そういうものを着ていましたもの」
「それは、そうだったけれど」
商人が見本を畳み始めたので、話はそこで途切れた。
商人を見送ったあと、母は別の用事へ向かった。二人は小さな客間へ移り、侍女が茶を置いた。
アランはカップを取らずに、北領では冬の支度が進んでいるのかと尋ねた。
「手紙には、修理をすると書いてありました」
「館の?」
「ええ。納屋と、窓だったかしら」
フィオナは椅子の肘へ手を置いた。
姉の手紙は短い。こちらが書いたことにも返事はあるが、以前のように、何でも詳しく教えてくれるわけではなかった。
「お姉様のことが、そんなに気になるのですか」
アランが顔を上げた。
「一人で北へ移ったのだから、暮らしがどうなったかは気になる」
「お姉様も、お父様も、望んで決めたことでしょう」
「だから、何も気にしなくてよいということにはならない」
フィオナは唇を結んだ。
姉が出発するとき、アランは引き止めなかった。婚約を変えるための書面にも、自分で同意した。
あのときは、フィオナを選んでくれたのだった。
「私の布には、何でもよいとおっしゃったのに」
「何でもよいとは言っていない」
「どれが似合うかも、おっしゃらなかったわ」
アランはしばらく黙り、好きなものを着てほしかったと答えた。
フィオナはその説明を聞いても、カップを取らなかった。
「お姉様には、何を望んでいるか、聞かなければ分からないとおっしゃるのですね」
声が少し高くなった。
「私には、聞かなくても分かるのですか。それとも、知りたくないのですか」
「そういうことではない。君の好きなものを選んでほしかった。でも、それだけでは、僕の意見を聞きたいという返事になっていなかったね」
「でも、今はお姉様の話ばかり」
廊下で物音がした。侍女が戸口へ目を向けたが、二人の間へは入らなかった。
アランは背を椅子から離した。
「今日、君と婚礼の支度をするために来た。なのに、僕からもオデットの近況を聞いた。今ここで聞くことではなかったね」
フィオナは、言い返そうとして止まった。
謝られれば、少しは落ち着くはずだった。けれど、布を選ぶ席で、姉ならどう思うかを考えたのは自分でもある。
それでも、彼には自分の話だけをしてほしかった。
「お姉様のほうがよかったと、思っていらっしゃるの?」
口にすると、アランの顔が強張った。
フィオナはその変化を見て、急に怖くなった。いつものように、そんなことはないとすぐに言ってほしかった。
「君と結婚すると決めたことを、軽く扱うつもりはない」
彼はそう答えた。
フィオナが欲しかった言葉とは、少し違っていた。
「では、お姉様のことを気にしないで」
「それは、約束できない」
間を置かずに返ってきた言葉に、彼自身も驚いたようだった。
アランは息をつき、声を落とした。
「婚約を変えたあと、僕は、彼女が同意してくれたから、平気なのだと思い込んでいた。それ以上、聞かなかった」
「お姉様は、嫌だとおっしゃらなかったわ」
「そうだね。でも、王都の屋敷で会ったとき、僕は北領の仕事まで、管理人に任せればよいと言った。彼女が何をしているのか、知らないのに」
フィオナは、あの夜の青いドレスを思い出した。
姉はフェルナンと踊っていた。こちらから見ていたことに気づかず、何かを話し、笑っていた。
姉が寂しそうだったなら、安心できたのかもしれない。
その考えが浮かび、フィオナは指先で肘掛けを押した。
「お姉様には、もう別の方がいらっしゃるのでしょう」
「縁談があるという話で、決まったわけではないだろう」
「お父様から、聞いていらっしゃったのね」
「先日、ご挨拶したときに聞いた」
フィオナは姉へ書いた手紙を思い出した。辺境伯家と親しくするのね、と書いても、姉はその話を長く続けなかった。
自分には答えないことを、父からアランへは伝えている。
「お姉様は、何も損をしていないではありませんか」
言った途端、アランがこちらを見た。
「それを、僕たちが決めるのは違うと思う」
フィオナは椅子から立った。
彼に気に入られたくて、布を選んでいた。その時間が、どうして姉に何をしたのかを考える時間になるのだろう。
「今日は、お帰りになって」
声が震えた。
アランは立ち上がったが、すぐには戸へ向かわなかった。
「僕も、言い方がよくなかった。君の衣装について、何も考えていなかったわけではない」
フィオナは顔を背けた。
ここで、もういいわと笑えば、彼は近づいてくるだろうか。謝って、今の言葉を取り消してくれるだろうか。
けれど、気にしないという約束はできないと言われた。その言葉だけが残っていた。
「また、日を改めよう」
アランはそう言い、一礼して出ていった。
侍女が戸を閉めたあと、フィオナは椅子へ戻った。
茶は冷めていた。
母が来たのは、しばらくしてからだった。アランが早く帰ったと聞き、フィオナの顔を見た。
「何かあったの」
「少し、言い合いになっただけです」
フィオナは答えた。
婚約をやめたいとは思っていない。彼が姉へ戻ることも、許したくなかった。
母は、支度で忙しい時期には行き違いもあるでしょうと、隣へ座った。
「次は、落ち着いて話せばいいわ」
フィオナは頷いた。
次に話せば、また自分だけを見てくれる。
そう思いたかったのに、窓の前に並んでいた白い布の違いが、もう思い出せなかった。
数日後、アランが改めて訪ねてきた。フィオナは会うことを断らなかったが、姉の話で揉めたことを、もう済んだことにもできなかった。
衣装については、商人の次の訪問に合わせ、もう一度一緒に見ることになった。
その話が終わると、フィオナは北領へ行きたいと伝えた。
「前から、お姉様にも書いていたの。今度は、日を決めたいわ」
手紙を待っているだけでは、姉の暮らしも、フェルナンとの関係も分からない。自分の目で見れば、アランが何を気に掛けているのかも分かるかもしれなかった。
「一緒に来てくださいますか」
アランはすぐには答えなかった。
「オデットが迎えられる日なら。僕も、北領の暮らしを知らずに話してしまったから、今度は本人の話を聞きたい」
フィオナは頷いた。
望んでいた理由ではなかった。それでも、二人で訪ねるのなら、彼が姉だけに会いに行くわけではない。
父へ相談すると、姉の返事を待ち、従者と侍女を同行させることを条件に許された。旅の支度は、婚礼の相談とは別に進めることになった。
フィオナは姉へ手紙を書いた。
アランと仲直りしたとは書かなかった。まだ、そう言えるかどうか、自分でも分からなかった。




