第29話 私たちのこと
窓の修理が終わると、応接室の机を元へ戻した。
紙を押さえていた石も置いたけれど、今日は出番がない。リュシーが窓の前に立ち、枠へ手を近づけた。
「ここから、風が入っていましたね」
「ええ。これなら、冬にも座れそう」
納屋も、雨の入るところを塞いでもらった。職人への支払いを確かめ、冬の備えをもう一度モーリスと見直した。
お父様へ送ると約束しなかったお金は、必要な仕事に変わっていた。
その週、フェルナン様から訪問の連絡が来た。
道の報告を受け取る用件のほかに、私と話したいことがあるという。
私は返事を書き、渡す前に日付を確かめた。村の品を預かる日とは重なっていない。
会えると思うと嬉しいのに、何を話すのかが気になった。
当日、フェルナン様は机の上の石を見て、窓は直ったのですねと言った。
「はい。今度は、紙が動きません」
「それでも、その石は残すのですか」
「外で地図を見るときには、必要なので」
私が答えると、彼は笑った。
モーリスが報告を持ってきて、雨の日の道について話した。フェルナン様は翌週の荷車の予定を確かめ、帰ってから商人へ伝えると答えた。
用件が終わると、モーリスは納屋へ向かった。
リュシーがお茶を置き、廊下の隣室へ下がる。戸は少し開けたままだった。
「お父上から、当家へ、もう一度お手紙が届きました」
私はカップへ伸ばしかけた手を止めた。
「先のお話を、そのままにしておくつもりかと。両家で条件を確かめれば、私たちも考えやすくなるだろうという内容です」
「私には、まだ……」
「こちらへ送ったことは、書かれていなかったのですね」
私は頷いた。
家同士で相談できることはある。住む場所や、結婚の支度も、当人だけでは整えられない。
でも、私たちの返事より先に条件が決まれば、あとから断るのは難しく感じるだろう。
「父からは、まず私たちに確かめると返事をしています。今日、あなたと話すことは、私から頼みました」
フェルナン様は、そこで言葉を切った。
仕事の報告をする声より、少しゆっくりだった。
「私は、このお話を終わりにしたいとは思っていません」
机の端を見ていた私は、顔を上げた。
「北領との付き合いがあるから、というだけではありません。あなたと、もっと親しくなりたいと思っています」
返事をしなければと思った。
けれど、頷いたら、その先まで了承したように見えるのだろうか。
黙っていると、彼は続けた。
「祭りで、針入れを選んでいたでしょう。買うと決めたあとに、蓋をもう一度開けて見ていた」
「……使いにくくないか、確かめたくて」
「はい。でも、気に入ったものを持って帰れるのが、嬉しそうでした」
あのとき、誰かに見られていたとは思わなかった。
「仕事の相談でない時間にも、あなたが何を気に入るのか、聞きたいです。私のことも、知ってもらいたいと思います」
私は膝の上の手を緩めた。
何をできるようになったからでも、北領が便利な土地だからでもない話だった。
「私も、フェルナン様とお話しするのが好きです」
声は、最後まで出た。
「来てくださる日を聞くと、何をお話ししようか考えます。道のことが終わっても、帰られる前に、もう少し……」
そこまで言って、顔が熱くなった。
もう少し、いてほしい。
普段なら、彼の帰る時刻を聞いてから、仕事が残らないように話す。それとは別の気持ちだった。
「私も、そう思うことがあります」
フェルナン様は答えた。
私は彼を見たまま、すぐには目を伏せられなかった。
「今、結婚するとお返事するのは、まだ難しいです」
「はい」
「でも、知らないまま話を終わらせたいわけではありません」
彼は頷き、少し考えた。
「では、家同士の話を先に進めるより、私たちで会って話す時間を作りませんか。仕事のある日だけでなく」
私は頷きかけ、今度は、自分が何に返事をするのか分かっていると思った。
「はい。そうしたいです」
フェルナン様は息をつき、カップを取った。
「ただ、今のまま返事を置き続けるつもりはありません。もう少しお互いを知ってから、改めて、私の考えをお伝えしたいです。あなたにも、そのときの考えを聞かせていただきたい」
いつまでも決めなくてよいという約束ではなかった。
それが怖くないわけではない。けれど、次に何を話すのかさえ分からないまま、お父様の手紙を待つより、私の選べることがあった。
「私からも、お父様へ返事をします」
帰る前、彼は次の休みについて話した。
確定していないので、予定を調整してから便で知らせたいという。北領の都合も返してほしいと頼まれた。
「私にも、村へ行く日がありますから」
「ええ。どちらかの用事を、勝手に空いていることにはできませんね」
私は笑った。
今度は、お父様が会う日を決めるのではない。
玄関へ向かう途中、彼が壁に立て掛けた板を見た。
「修理で外したものですか」
「まだ使える部分を、リーズが棚にするそうです」
彼は、それなら捨てる前に見てもらえてよかったですねと言った。
私も、棚ができたら見ていただけますと答えた。
今日言えたことは特別だったのに、廊下で話すことは普段と同じだった。その両方が、なくならずに続いていた。
見送ったあと、二階で手紙を書いた。
『フェルナン様と、私たち自身で、これからのことを考えていきたいと思います。私へ確かめず、家同士で条件のお話を進めないでください』
前の手紙では、承諾していないと書いた。
今日は、何をしたいかも書けた。
読み返すと、お父様の手間を拒む娘のように見えるかもしれない。それでも、両家のためだからと決められた条件を、私の望みだと言われたくなかった。
封をする前に、窓の外を見た。
庭の葉は、先週より色が濃い。
次に会う日に、私は何を話すだろう。
彼がどんなことを面白いと思い、どんなときに困るのか。仕事以外の彼を、私はまだあまり知らない。
知らないから終わりにするのでなく、これから聞きたいと思っていた。




