第26話 嫌ではないけれど
お父様からの手紙が届くまで、六日掛かった。
その間、フェルナン様とは会わなかった。
約束を取り消されたわけではない。彼が北領へ来る日ではなく、道の連絡はモーリスを通じて届いている。
私はいつもの仕事をした。
村から納屋へ運ばれた袋を確かめ、持ち主の名が分かるよう札をつける。冬に残す館の食料についても、アンヌへ聞いた。
夕方、手紙の便が来ると、つい差出人を先に見る。
お父様からの封書を受け取った日には、部屋へ戻ってから開けた。
『サヴェル家へ打診した件について、本人の意向を確かめてほしいとの返答があった。お前はどう考えている』
家同士でまだ合意した話ではなく、候補として考えたいという説明が続いていた。
最後に、徒に返事を遅らせるな、とある。
私は紙を机へ置いた。
断りたいのかと聞かれれば、違う。
結婚したいのかと聞かれると、言葉にできない。
前の婚約では、結婚する相手が先に決まった。その人と上手に暮らせるよう、覚えることがあった。
今は、その前のところを、自分で考えるように言われている。
紙を出し、返事を書いた。
『フェルナン様とのお話を、嫌だとは思っておりません。ただ、今すぐ結婚を決めたいという返事も、できません』
読み返すと、どちらにも取れる言葉だった。
お父様なら、嫌ではない方だけを選んで話を進めるかもしれない。
私はその下へ、一行足した。
『この返事を、正式な縁談への承諾としては扱わないでください』
ペンを置いた。
あまりに強い言い方だろうか。お父様を疑っているように聞こえるかもしれない。
けれど、婚約変更のときは、口で分かりましたと答えたあとも、書面で意思を確かめてもらった。
今、名前を記すつもりのないことまで、了承したと思われたくなかった。
リュシーが封筒を持ってきた。
「こちらで、よろしいですか」
「ええ」
私は手紙を折った。
彼女へ文章を見せて、間違っていないと言ってもらうことはしなかった。
怖かったけれど、今の私の返事だった。
封をする前に、北領の契約書を出した。
結婚しても、土地が自動的に夫のものになるわけではない。その説明は読める。けれど、夫婦でどこへ住むかまで、契約書が決めてくれるわけではなかった。
私はまだ、フェルナン様に、暮らしのことを尋ねたことがない。
彼の仕事は知っている。兄と輪投げをしたことも、窓辺で紙が動いたのを覚えていてくれたことも知った。
でも、結婚という言葉がつくと、知っていることだけでは返事ができなくなった。
嫌ではないという気持ちまで、なかったことにする必要はない。
私は契約書をしまい、返事には書き足さず、封をした。
翌朝の便へ手紙を渡すと、使いの者が、王都の屋敷宛でよいか確かめた。
「はい。お父様へ」
口にして、ようやく返事を送り出したのだと分かった。
戻ると、モーリスが納屋の札のことで尋ねに来た。濡れた札を新しくしてよいかという。
持ち主の名前を確かめ、一緒に書き直した。こちらは、すぐに決められることだった。
同じように答えられないことがあるからといって、全部の返事を止めなくてもよい。札を結び直し、私は次の袋を見た。
翌日、フェルナン様が来た。
今回は、迂回路の脇の草を刈る日を確かめるためだった。荷馬車がすれ違う場所が狭くなっているという報告を受け、モーリスと現場を見る。
私も途中まで一緒に歩いた。
道の幅を御者が示し、モーリスが村へ人を頼める日を話した。私が確かめるべきことは、それまでと同じだった。
館へ戻る頃、モーリスは御者と荷車の置き場所を見に行った。
リュシーは玄関で、私の靴の泥を落とす布を用意している。
私はフェルナン様へ、お父様から手紙が来たと伝えた。
「返事を、出しました」
彼がこちらを見た。
「どのように?」
「嫌ではありませんが、結婚するかは、まだ分からないと。承諾という意味には、しないでいただきたいと書きました」
言い終えると、顔が熱くなった。
彼を相手に、嫌ではないと言ったのだ。
けれど、本人へ伝えず、父にだけ返事をするのも、何か違うように思えた。
フェルナン様は、手の中の手袋を畳んだ。
「分かりました」
その声は、冷たくなかった。
「私も、父に同じことを確かめました。お互いの返事がないまま、正式に申し入れる話にはしないでほしいと」
「フェルナン様は、お困りではないのですか」
尋ねてから、私は目を伏せた。
自分の方は嫌ではないと言っておいて、彼の返事を求めている。
彼はしばらく黙っていた。
「縁談として話題になったことを、迷惑だとは思っていません」
私は顔を上げた。
「ただ、家のために決めてしまえばよいとも、思っていません。私自身がどうしたいかも、考えたいです」
私は頷いた。
私だけが分からないのではない。
そのことに安心し、彼の返事を嬉しいと思ったことには、少し遅れて気づいた。
「お父様へは、急いでお返事をと書かれていました」
「返事は、されたのでしょう」
「はい」
「でしたら、今の考えは伝わります。次に聞かれたとき、考えが変わっていれば、そのことを伝えればよいと思います」
彼は私の代わりに父へ説明するとは言わなかった。
私は、自分の手紙を取り戻す必要はないのだと、ようやく思えた。
廊下へ入ると、リュシーが二人に布を渡してくれた。
フェルナン様は靴の先を拭き、モーリスが戻るのを待った。仕事の残りを確かめてから帰る予定だった。
私は応接室でお茶を用意してもらった。
窓辺には、館の庭から摘んだ枝が一本挿してある。秋になると色が変わるので、アンヌが切ってきてくれたものだ。
フェルナン様が椅子へ座り、枝へ目を向けた。
「晩餐でお話ししていた木ですね」
「はい。モーリスに教えてもらいました。実は食べない方がよいそうです」
彼は頷き、母は庭にあるものなら何でも確かめたがりますと笑った。
縁談のことを話したあとでも、こんな話ができる。私は、彼の家の晩餐で話したことを覚えていてくれたのが嬉しかった。
まだ結婚を決められない返事が、今日の会話をなくすわけではなかった。
枝の話が途切れると、私は卓へ目を落とした。いつもなら地図を見ながら話せるのに、今日は、何も広げていない。
目が合い、慌ててカップへ手を伸ばした。
「熱いので、お気をつけください」
フェルナン様に言われ、私は手を止めた。
彼も自分のカップをすぐには取らず、湯気が薄くなるまで待っていた。
同じように待つ時間が、前より少し長く感じた。




