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妹に婚約者を譲った私ですが、今度の結婚は譲りません  作者: 黒咲かぐら


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第20話 お帰りなさい

 北領の館が見えたとき、馬車の窓を少し開けた。


 庭の木立の向こうに、石の壁がある。門の脇で、リーズが籠を抱えて立っていた。


 こちらへ気づくと、籠を置いて館へ走っていく。


「着いたわ」


 私が言うと、リュシーも窓へ目を向けた。


「道が乾いていて、予定より早かったですね」


 王都を出てから、宿で二度眠った。今回は、窓の外の坂や林に、見覚えがある。


 馬車が止まる前に、モーリスとアンヌが玄関へ出てきた。


「お帰りなさいませ」


 扉が開き、差し出された手を借りて降りた。


 王都でも、同じ言葉を掛けられた。


 けれど、今は、聞いた瞬間に息が楽になった。


「ただいま戻りました」


 答えると、アンヌが笑った。


「お湯を用意してございます。お食事までは、少しありますので」


 モーリスは荷物を運ぶ者へ声を掛けた。私も書類入れを抱え直し、玄関へ向かった。


 入口に、靴の泥を落とす板が二枚置いてあった。


 片方は、新しい木の色をしている。


「置いてくださったのですね」

「はい。今朝も、村から人が来ましたので、使いました」


 モーリスが答えた。


 私のために置いたものは、私が留守の間にも使われていた。


 部屋へ入ると、窓辺に花があった。前に挿してあった白い花とは違う、小さな紫色の花だ。


 荷物を置き、椅子に座った。


 以前、脚の緩んでいた椅子だった。今は軋まない。


 リュシーが背を押して確かめた。


「こちらも、直ったのですね」

「モーリスにお礼を言わなくては」


 私は窓を開けた。


 納屋の扉が開いている。庭の畑で、アンヌが何かを摘んでいた。


 留守の間も、ここは動いていた。


 お湯を使い、旅の服を替えてから、モーリスの話を聞いた。


 水路は崩れていない。両村の見回りも続いている。上の村から下の畑へ手を貸す日には、予定した人数が出た。


「次に手が要る日も、両方で話をしております」


 私は頷いた。


 ペランさんの便も来ていた。


 館の分は前と同じ条件で少し売れた。村の品は、持ち主が希望した分を見てもらい、買われたものと、残ったものがある。


「全部は、売れなかったのですね」

「はい。ただ、残ったものを次まで置くか、食べる分へ戻すかも、持ち主へ伺っています」


 モーリスが紙を見せた。


 私は一つずつ読んだ。留守にする前に確かめた内容と、大きく違うことはない。


「ありがとうございました」


 言うと、彼は、こちらこそと答えた。


「何をお任せいただいたか、分かっておりましたので」


 館が止まらずに済んだことを、私がいなくてもよいという意味にはしたくなかった。


 戻ってきたら確かめ、次のことを一緒に考える。その席が、今はここにある。


 話の終わりに、モーリスが一通の封書を出した。


「フェルナン様からです。王都から戻られ、お嬢様も到着されましたらお渡しするように、と」


 中には、林沿いの道を通る便が変わったことと、私が帰る予定の翌朝、北領へ寄るつもりだと書いてあった。日付を確かめると、明日だった。


 彼は私より先に北へ戻っていた。


 夜会で聞いた予定を、思い出す。


 手紙の字は、いつもと同じだった。


「明日、こちらでお話しする時間を取れますか」


 モーリスへ尋ねた。


「はい。道の件も、報告を用意しています」


 私は封書を畳んだ。


 夕食には、野菜と豆の煮込みが出た。王都で食べた料理より品数は少ないが、匙を持つと、旅が終わった気がした。


 アンヌは、明日は畑の野菜がもう少し採れますと話して、台所へ戻った。


 皿を見ながら、王都で妹に尋ねられたことを思い出した。北でも甘いものがあるか、と。


 こちらにないものは、確かにある。


 それでも、食べる前に何を話せばよいか考えなくてよい食卓は、ありがたかった。


 食事のあと、モーリスと庭を歩いた。出発前に見た花は終わり、同じ場所に種のついた茎が残っている。


「昨日、ニコの母親から、いつお戻りか聞かれました」

「私のことを?」

「はい。町で売る袋を館へ持ってくる日を、お嬢様にも確かめていただきたいと」


 私は、明日、話を聞かせてほしいと頼んだ。


 私が帰るのを、仕事の返事をもらうために待っている人がいる。花を摘んで飾ってくれた人もいる。


 それは王都の部屋が空けてあることとは、少し違った。


 モーリスが戸締まりへ向かったあと、リュシーと二階へ戻った。


 彼女がトランクの中の服を出し、私も手帳を机へ置く。


「今日はもう、予定をお書きにならなくても」

「帰った日だけ、書いておきたいわ」


 日付の横へ、北領へ帰還、と記した。王都を出る前に入れられなかった日が、今は決まっている。


 リュシーは机の端へ燭台を置き、姉から預かった焼き菓子を、小皿に出した。


「日持ちするものをと言ったら、こちらを。少し硬いですけれど」


 私たちは、一つずつ食べた。王都から持ってきたものも、ここで開けて、食べられる。


 窓の外が暗くなるまで、彼女が姉に話したことを聞いた。


 翌朝、馬の音を聞くと、机から顔を上げた。


 リュシーが廊下へ出たが、私は先に立っていた。


「お迎えに行かれますか」

「ええ」


 玄関で、フェルナン様が手袋を外していた。


 王都の礼装ではなく、いつもの灰色の上着だった。靴には薄く土がついている。


「お帰りなさい」


 彼が言った。


 私は、いつも通りのお辞儀をしようとして、少し遅れた。


「……ただいま戻りました」


 彼は頷き、道中の様子を尋ねた。


「問題なく着きました。フェルナン様も、予定通りに?」

「ええ。途中の町で少し用件がありましたが、巡回には間に合いました」


 私は応接室へ案内した。


 モーリスが地図を出す。昨日聞いた話をもう一度確かめ、道の迂回について相談する。


 フェルナン様は、私がどこまで聞いているか確かめてから話を続けた。


 私は紙を押さえ、必要なところを書き留めた。


 夜会のときより、話すことは多い。


 なのに、今日は彼が椅子へ座るだけで、少し嬉しかった。


 その気持ちの名前は、まだ考えなかった。


 用件が済むと、彼は次の町へ向かう時刻を確かめ、立ち上がった。


 私も紙を揃えた。今日は仕事の話だけだった。それでも、向かいにいる彼といつものように話せたことが、嬉しかった。


 門へ見送り、館へ戻る。


 アンヌが台所から顔を出し、食事までに縫いますかと尋ねた。


「ええ。昨日お渡ししそびれたので、布を持ってきます」


 階段を上がりながら、私は手すりへ触れた。


 王都では、夜会が終わるのを待っていた。


 ここでは、終えたい仕事があり、明日したいことがある。


 部屋へ入り、トランクに残った布を出した。


 しまう場所も、出してくる場所も、もう知っている。


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