第19話 お父様の許可
夜会の翌朝、食卓で妹が尋ねた。
「昨日の方とは、よく会うの?」
名前を出さなくても、誰のことか分かった。
「用件があるときに。商人の巡回や、道のお話で」
「館へ、いらっしゃるのよね」
「ええ。モーリスも一緒にお話ししているわ」
妹はパンを小さくちぎった。
「お姉様は、ああいう方がお好きなのね」
私は杯へ伸ばした手を止めた。
「そういう話は、していないわ」
「でも、踊っていたでしょう」
昨夜の手袋に触れた感触が、急に戻ってきた。
フェルナン様と踊ったのは一曲だけだ。終わると、それぞれに挨拶をする相手がいて、離れた。
アラン様とも何度か踊ったことはある。夜会で一曲を共にするだけで、好きだと決まるわけではない。
「誘ってくださったから」
私が答えると、妹は、そうなのと笑った。
食卓にアラン様はいなかった。お父様とお母様は、夜会で会った人たちの話をしている。
私は妹の顔から目を離し、朝食を続けた。
そのあと、居間へ挨拶に来たアラン様にも、フェルナン様のことを聞かれた。
「彼が商人を紹介してくれたのかい」
「はい。買っていただけるかは、直接話して決めました」
「サヴェル家と付き合いがあれば、北でも困らないだろうね」
私は少し考えた。
水路が壊れたとき、フェルナン様は修理をしてくださったわけではない。豆を分けたのも、館で使う分を確かめたのも、モーリスやアンヌと一緒だった。
知り合いがいれば、何も困らないという話ではない。
「相談できる方がいるのは、ありがたいです」
そう答えると、アラン様は頷いた。
「随分、話すようになったね」
私は顔を上げた。
彼は責めているようには見えなかった。少し驚いているだけだ。
「前は、僕が尋ねても、承知しましたと答えることが多かったから」
胸の奥に、固いものが触れた。
あのときも、聞かれたことには答えたつもりだった。次の訪問日も、読む本も、結婚したあとの予定も、彼が決めたことを覚えようとしていた。
でも、それを今説明して、どうなるのだろう。
「北では、聞かないと分からないことが多いので」
私が言うと、妹が居間へ入ってきた。
アラン様はすぐ彼女へ向き直った。今日は侯爵家へ伺う予定だという。
私は二人へお辞儀をし、席を外した。
廊下でリュシーと会った。姉のところへ行ける日が決まったと教えてくれる。
「明日の午後に。夕食までには戻ります」
「ええ。ゆっくり会ってきて」
言ってから、私は王都にあと何日いるのか、まだ決まっていないことを思い出した。
部屋へ戻り、手帳を開いた。
夜会の日には小さく印がついている。北へ戻る、と書いた行には、日付がない。
今日、尋ねなければ、明日も同じだろう。
午前の用事が終わった頃、お父様の書斎へ行った。
「何だ」
「北へ戻る日を、決めてもよろしいでしょうか」
お父様は机の上の手紙を置いた。
「いつを考えている」
「三日後には、出発したいと思っています」
リュシーの休みのあと、旅の支度を整えられる日だった。
「夜会も終わりましたし、モーリスに帰る予定を知らせたいので」
お父様はしばらく私を見た。
「サヴェル家の次男とは、今後も会うのか」
ここでも、その話になった。
「お仕事でお越しになることはあると思います」
「昨日、辺境伯にもご挨拶した。あの次男に北部の調整を任せ、経験を積ませているそうだ」
お父様は椅子へもたれた。
「立場を心得た青年だ。お前も、隣領との付き合いは大切にしなさい」
「はい」
次の縁談について話されると思っていた。
私は机の封書を見た。以前、候補があると聞いた人の名は、まだ知らない。
「こちらでお会いする方は、いらっしゃいますか」
「今回、急いで顔合わせをする必要はない。北で暮らしているなら、その様子も見てから考える」
お父様の声は、前より穏やかだった。
ただ、私が決める話にはなっていない。
「縁談について連絡があれば、すぐ返事を寄越しなさい。こちらが放っているわけではないぞ」
「承知しました」
私は頷き、旅程を家令と確認してよいか尋ねた。
お父様は許可をくださった。
お父様は、もう一つ確かめるように言った。
「北の暮らしで、衣装など足りないものがあれば、今回のうちに揃えておけ。先方へ伺う機会ができたとき、見苦しい格好をするな」
私は頷いた。
南の別邸へ行く話をしたときは、夏の終わりまでと言われた。北領を譲られたときも、次の縁談があると聞いた。
今は、北へ戻って、そちらの家との付き合いを続けろと言われている。
私が帰りたいかどうかは、聞かれなかった。
それでも、聞かれなかったことを口に出すほど、私はまだ強くなかった。
「手紙の受け取り先は、館でよいな」
「はい。前と同じ宛先で届きます」
お父様が次の書類を取ったので、私はお辞儀をした。
書斎を出るとき、背中の緊張が少し解けた。
北へ戻れる。
どうして許されたのか、考えれば、フェルナン様の話が大きかったのだと思う。お父様は、私が北へ戻れば、サヴェル家との付き合いも続くと考えているらしい。
それでも、帰る日を入れられることが嬉しかった。
家令に旅程を話すと、以前使った宿の予約を確かめてくれることになった。王都を出る日から、北領に着く日までを紙に記す。
私はその紙を見て、ようやく実際に戻るのだと思えた。
廊下では、妹が仕立屋から届いた箱を受け取っていた。私を見ると、もう帰るのと尋ねる。
「三日後に」
「もっといてくれればいいのに。まだ決めたいことがあるの」
言われると、足が止まりそうになった。
でも、お父様には日を伝えた。家令も手配を始めている。
「モーリスにも、戻ると知らせるわ。館の予定があるから」
妹は少し唇を尖らせたが、箱の紐を解き始めた。
私の方にも、予定がある。
今は、それを理由にするのが精いっぱいだった。
部屋へ戻ると、リュシーが衣装戸棚を閉めていた。
「三日後に、出発してよいそうよ」
「では、姉には予定通り会えますね。北の方へも知らせましょう」
私は紙を出し、モーリスへ手紙を書いた。
到着は天候によるが、出発の日は決まったこと。館の仕事は、お願いした通り進めてほしいこと。
最後に、前掛けの続きを持ち帰ります、と書いた。
王都で縫ったところは、まだ短い。
けれど、机の上には、持ち帰るために畳んだ布があった。




