第18話 夜会の隣で
夜会には、青いドレスで出た。
以前のものを少し直してある。妹の仮縫いを見たあと、リュシーが私の支度の時間も取ってくれた。
髪を整え終えると、彼女は鏡の中の私を見た。
「苦しいところは、ありませんか」
「大丈夫。ありがとう」
似合っているかと尋ねるより先に、息を確かめてしまった。
会場へ着くと、お父様が家族を順に紹介した。
妹はアラン様の隣へ立つ。侯爵夫妻も近くにいた。
婚約変更について、長く説明する人はいなかった。両家で合意した新たな婚約として挨拶をし、私にも穏やかな顔が求められた。
「オデット嬢は、北でお暮らしだとか」
年配の夫人に尋ねられ、私は頷いた。
「はい。父から譲り受けた土地で」
「しばらく静かになさるのもよいでしょうね」
お母様が、気候のよい間だけでも休ませたくて、と答えた。
私は杯を受け取り、言葉を飲み込んだ。
土地を持ったことを、否定されたわけではない。ただ、そこでしていることは、会話に入らなかった。
挨拶が一巡しても、妹とアラン様の周りには人が残った。
私は少し離れた柱のそばへ移動した。
会場の灯りは明るい。靴の先が、磨かれた床に映っている。
北領の館なら、今頃アンヌが食器を洗っている。そんなことを考えていると、誰かが私の名を呼んだ。
「オデット様」
振り向いて、すぐには分からなかった。
濃い色の礼装に、銀の留め具。首元まで整えられた姿は、館へ来るときの上着とは違う。
フェルナン様だった。
「こちらに、いらしたのですね」
「父の用件に同行しています。この夜会には、当家も招かれておりました」
彼は会場の向こうへ目を向けた。辺境伯夫妻が主催者と話している。
「北領から、いつお戻りに?」
「一昨日です」
「道は、困りませんでしたか」
私は頷いた。
「乾いていました。荷物も、問題なく」
彼が、それならよかったと答えた。
それだけで、館で話しているときと同じ声だと分かった。
けれど、顔を上げると、いつもより近く感じる。馬や地図へ目を向けず、私の顔を見て話しているからかもしれない。
「巡回の日に、ご不在だと伺いました」
「モーリスにお願いしてきました。村の分は持ち主の希望を聞いて、館の分は食べるものを残すように」
私は説明を始め、途中で口を閉じた。
「すみません。ここで、仕事の話ばかり」
「私から尋ねました」
フェルナン様が答えた。
「前掛けは、できましたか」
私は少し笑った。
「一枚。もう一枚は、まだです。私が縫った端は、アンヌに直してもらいました」
「では、帰られたら続きを」
「ええ」
帰ったら。
北へ戻ることを、自然に話せた。
フェルナン様が会場へ視線を移すと、妹がこちらを見ていた。私と目が合い、アラン様の袖へ手を置いてから、近づいてくる。
「お姉様、お知り合い?」
私は二人を紹介した。
妹は、辺境伯家のお名前を聞くと、少し背筋を伸ばした。
「フィオナと申します。姉が、お世話になっております」
「北領とは、交易路などの調整でご一緒しております」
フェルナン様は一礼した。
アラン様が、サヴェル家の次男でいらっしゃいますかと尋ねる。彼ははいと答え、兄は領内に残っていると話した。
「北は、お二人で回っていらっしゃるの?」
妹が私を見た。
「モーリスも一緒よ。フェルナン様には、道や商人のことで相談を」
「羨ましいわ。私も、一度行ってみたい」
笑って言われたので、私は本当に北を見たいのだと思った。
でも、妹の目は、私ではなくフェルナン様へ戻っていた。
彼は、村へ出る日は道の状態によって予定が変わると答えた。招待をするとも、案内を引き受けるとも言わなかった。
アラン様が妹へ、先ほどの夫人に挨拶をしていなかったねと声を掛けた。
二人が離れると、お父様が近づいてきた。
フェルナン様へ家名を告げ、辺境伯の職務や、周辺領との調整について尋ねる。
その話し方は、北へ発つ朝に私へ言ったものより、ずっと丁寧だった。
「娘が、ご迷惑を掛けておりませんか。何分、経験がなく」
「必要なことは、管理人とも確かめていらっしゃいます。先日、巡回商人との取引も始まりました」
フェルナン様が答えると、お父様は私を見た。
「そうか。それは何よりだ」
水路の修理より、商人と取引をした話の方が、お父様には気になるらしい。
お父様はフェルナン様へ、辺境伯にご挨拶したいと告げた。
彼が父は向こうにおりますと示すと、その前に、会場の奥で呼ばれた。お父様はあとで改めてと離れていく。
私は杯へ目を落とした。
「余計なことを、言ってしまいましたか」
フェルナン様に尋ねられ、顔を上げた。
「いいえ。取引は、始まりましたから」
彼は私を見たまま、少し間を置いた。
「こちらのことも、話していただいて助かりました」
「こちら?」
「豆を分けたことや、館で必要な分を残したことです。商人が行くだけでは、取引にはなりませんから」
私は頷いた。
華やかな会場で、豆の話をするのはおかしいかもしれない。それでも、彼が知っている私の仕事について話せるのは、ほっとした。
フェルナン様が、北へ戻る予定を尋ねた。
「夜会が終わったら、日を決めるつもりです」
「私は、明後日には発ちます。父はまだ王都に残りますが、巡回の調整に戻らなければならないので」
彼は自分の予定を話しただけだった。私を待つとも、一緒に帰ろうとも言わない。
そのことにほっとしながら、帰る道の途中で会うかもしれないと思っていた自分にも気づいた。
「では、北でまた」
私が言うと、彼は頷いた。
「ええ。留守の間に道の様子が変われば、モーリスにも連絡します」
会場の向こうでは、妹がこちらを見ていた。アラン様に何か話しかけられても、すぐには顔を戻していない。
私は、紹介のときに何か説明を間違えたかしらと思った。北へ来たいと話していたから、もっと村のことを伝えればよかったのかもしれない。
そう考えかけると、フェルナン様に、杯を持ちましょうかと声を掛けられた。
いつの間にか、空になっていた。
「ありがとうございます」
彼は私の返事を聞いてから受け取り、通りかかった給仕へ渡した。私は指先を揃えた。北領なら、同じ手は紙を押さえたり、豆を載せたりしている。
今日は手袋越しに、指の置き場が分からなくなる。
フェルナン様の礼装を、もう一度見た。銀の留め具は館へ来るときより大きく、灯りを受けて光っている。顔は同じなのに、目を合わせるたび、知らないところを見たような気がした。
音楽が変わり、踊る人たちが中央へ移動した。
フェルナン様はそちらを見てから、私へ向き直った。
「一曲、ご一緒してもよろしいですか」
返事をする前に、差し出される手を見た。
いつもは手袋をはめて馬へ乗る。その手が今日は、私の返事を待っている。
「はい」
指先を置くと、彼が静かに支えた。
踊り方は知っている。何度も練習した。
けれど、顔を上げるまでに、少し時間が掛かった。
目が合うと、フェルナン様も一瞬、次の言葉を探すように口を閉じた。
館で向かいに座るときとは違う距離だった。
私は息を整え、音楽に合わせて足を動かした。
さっきまで気にしていた妹の居場所を、その間だけ、確かめずにいられた。




