第16話 戻りなさい
お父様からの手紙は、布を切り終えた翌朝に届いた。
封蝋を見たとき、到着の報告への返事だろうかと思った。
けれど、書かれていたのは、王都へ戻る日付だった。
晩夏に侯爵家が招かれている夜会へ、伯爵家の娘として出席するように、とある。
『フィオナとアラン殿の婚約変更後、揃って顔を見せる機会にもなる。お前が欠席しては、両家の間に不和があると思われかねない』
読み終えても、紙を畳めなかった。
北へ来てから、季節が少し進んでいる。畑には刈り入れを待つ作物があり、館の庭で見かける花も変わった。
王都へ戻ることを、考えない日が増えていた。
「何とございましたか」
リュシーへ手紙を渡した。
彼女は読み、書かれた日付を指で確かめる。
「移動を考えると、五日後には出る方がよさそうです。天候で遅れることもありますから」
「そうね」
支度の話なら、答えられた。
行きたいかとは、尋ねられなかった。
私も、行きたくないと言わなかった。
妹とアラン様を祝うために、皆の前へ立つ。お父様が望んでいることは分かる。
それを断る手紙を書くことは、まだできなかった。
モーリスに知らせると、馬車と宿の手配を確認すると言った。王都からこちらへ来たときと同じ宿を使えるか、町で尋ねてくれるという。
手紙には、今回の往復の費用は本家で持つと添えてあった。夜会へ出るために呼び戻すのだから、旅程が決まったら知らせるように、と。私はモーリスと確認した予定を、返事に書き入れた。
「不在の間、どうしたらよいのでしょう」
私が尋ねると、彼は普段の仕事について話した。
給金の支払い、館の畑、必要な物の買い足し。これまで通り行い、あとで報告できるものは、いつも通りにする。
予定していない大きな支出や、新しい契約は、急がなければ私の帰還を待つ。急ぐ修繕は、どこまで任せるか先に確かめる。
「水路のように、待っていると畑が困ることなら、必要な手配をしてください。私へ手紙を出してからでは、間に合わないので」
モーリスが頷いた。
言ったあとで、私は自分の手元を見た。
不在になる日があるからといって、こちらの暮らしが止まるわけではない。
モーリスへ任せる仕事を書き出し、戻ってから確かめることと分けた。分からないところは、一つずつ尋ねた。
ペランさんの次の巡回は、私の留守に重なりそうだった。
「村の品は、持ち主の希望を聞いた通りに。館の分は、今回は食べる分を動かさず、既に分けた品だけを、前と同じ条件なら売ってください」
条件が違えば残してよいとも伝えた。
モーリスは、私が書いた紙へ目を通した。
「帰りの日は、いつ頃でしょう」
私はお父様の手紙を見た。
夜会の日は書いてある。帰る日は、なかった。
「夜会が終わったら、こちらへ戻るつもりです。日が決まりましたら、知らせます」
モーリスは頷いた。
「では、その間のご報告を残しておきます」
戻るつもり、と言えたことに、少し安心した。
その日の午後、村へ留守にすることを伝えた。
マルクは水路の見回りを続けると答え、ルネは刈り入れの手を貸す日が決まったと話した。
ニコの家の前を通ると、少年がこちらへ走ってきた。
「帰るの?」
今度は、問いの意味が分かった。
「王都の夜会へ行くの。でも、終わったら、こちらへ戻るつもりよ」
「何日?」
「行くのも帰るのも、何日か掛かるから。まだ、ぴったりとは言えないの」
ニコは少し考え、刈り入れの方が早いかもしれないと言った。
母親が笑い、邪魔をしないのと彼を呼び戻した。
最初に、いつ帰るのと聞かれたときとは違う。
戻る先を、私は北領の方にして話していた。
モーリスと話した紙は、館に置く分と、私が持つ分を一枚ずつ作った。
読み直していると、彼が、お帰りを待つだけではないのですねと言った。
「以前は、本家へ返事を出してからでないと、話を進めにくいこともございました」
「私も、急がなくてよいものは、戻ってから伺いたいです。ですが、待てない仕事まで、待っていただくわけには」
モーリスは頷いた。
留守を任せるからといって、好きにしてくださいとだけ言うのも違う。何を頼んだかが曖昧なら、戻ってから、そんなつもりではなかったと言ってしまうかもしれない。
紙の上の一行を、彼にもう一度読んでもらった。
最後に、急ぐ場合は館の備えの範囲で必要な手配をし、理由と使ったものを残すことを確かめた。大きな借り入れや、土地の処分を頼む話ではない。
「知らないことが出てきたら、私も手紙を書きます」
モーリスがそう言い、館に残す紙を引き出しへ入れた。
私が部屋へ戻ると、リュシーが姉へ手紙を書いていた。王都へ戻るので、都合が合えば会いたいと。
「一緒に来てもらうのに、北の支度ばかり頼んでしまったわね」
「私の用事も、今こうして書いておりますから」
彼女は笑って、紙を折った。
私が屋敷にいる間に、一度休める日を確かめることにした。彼女にも、会いたい人がいる。
出発の荷には、ペランさんから届いた布の残りも少し入れた。前掛けの端を縫う続きを、王都でもできるかもしれない。
お母様に見せるためではなかった。戻ってきたとき、リーズに渡せればよいと思った。
折った布を入れると、北へ来る前には必要のなかった針と糸も、同じ袋へ収まった。
出発の前夜、リュシーがドレスを並べた。
北へ持ってきた服の中で、夜会に着られるのは限られる。王都の部屋にあるものも使うつもりだった。
緑のドレスを見て、彼女が尋ねた。
「こちらも、お持ちになりますか」
アラン様が、似合うと言ってくださった色だった。
私は布の上へ手を置いた。
「ええ。ただ、夜会で何を着るかは、向こうで決めたいわ」
リュシーは畳んで、トランクへ入れた。
彼が褒めた服だから着るのも、彼が褒めた服だから捨てるのも、今は決めたくなかった。
翌朝、馬車は北領の門を出た。
見送りはモーリスとアンヌ、仕事の手が空いたリーズだった。
お父様へ返事を出したときから、胸の重さは消えていない。
でも、膝の上の書類入れには、王都から来た手紙だけでなく、戻ってから確かめる仕事の紙も入っていた。
リュシーが窓掛けを少し上げた。
「道が乾いていて、よかったですね」
「ええ。ペランさんの便も、通りやすいといいわね」
言ってから、王都で何を話すかではなく、留守の北領のことを考えていたのだと気づいた。




