第八話 決闘後は意外と面倒事が多い
歓声は上がらない。誰もがあの炎の威力に言葉を失っているのと、勝ったのが時雨という誰も想像していない出来事が起きてしまったからだ。
月城は険しい表情のまま庭の池まで早歩きで向かう。
時雨は池から顔を出し、頭をブンブンと振り水気を落としている。
「うわ…びちょびちょじゃねぇか……。」
「朝霧!」
「はい!!?」
月城に強い口調で呼びかけられ、池の中で姿勢を正す。
「お前……いつの間に火遁の術を使えるようになったんだ…。」
「あー…えっと…あいつ見てたらなんとなく出来て…。」
「なんとなくで使えただと…?」
「いやぁ、まさかあそこまで威力があるとは。」
時雨の反省のない言葉に月城は思わずキツイ口調になってしまう。
「朝霧!制御できない術は自分だけでなく仲間まで傷つけるんだぞ!」
「あぁ…はい…。」
「一歩間違えれば大事故だったんだ!分かっているのか!!」
月城の説教に時雨はしばらく黙っていたが、ゆっくりと小さく頭を下げた。
「……ごめん。」
「ごめん…だと?」
「……申し訳ありませんでした。」
「はぁ……。分かったならもういい。早く池から出なさい。」
月城の呆れたため息が聞こえてくる。ひとまず池から出ようとした時、目の前に手が差し伸べられた。
隣の組の担任、黒崎だ。
「出れるか?」
「あ、ありがとうございまっ!!?」
黒崎の手を握った瞬間、体が一気に引き寄せられ池から出ることができた。
だがあまりの力強さに少し驚いてしまう。
「く……熊かよ…。」
「ガハハハハ!お疲れさん!お前の火遁、なかなかだったぞ。」
黒崎は時雨の背中をばんばんと叩く。
褒められているのだろうが、あまりの強さにむせそうになる。
「いやぁ、悪かったな!お前を止める方法が思いつかんくて!」
「力!!強すぎんだって!!!いてぇ!!」
「ははは!わざとに決まってるだろ!少し反省しろ。」
「悪かったって!!いてぇ!!」
黒崎は叩いていた手を止める。まだヒリヒリするのか時雨は背中を丸めていた。
「まぁ…制御は全く出来ていないが、才能だけなら俺が今まで見てきた中でも指折りだ。」
「はぁ……そりゃどうも…。」
「朝霧時雨くん。」
黒崎と話している途中に名前を呼ばれ視線をやると、神楽がゆっくりと時雨の前まで歩み寄って来た。
「…正直、ここまでとは思わなかったよ。」
「いやまぁ…俺もびっくりしたと言うか…。」
「それと…今まで正臣や、周りの生徒たちが君にしてきたこと…。本当に申し訳なかった。」
そう言うと神楽は静かに頭を下げた。
この場にいた全員が静まり返る。
神楽ほどの人物が、落ちこぼれと呼ばれていた時雨へ頭を下げている。
誰も予想していなかった光景だ。
そして神楽は顔を上げ、決闘の条件を改めて時雨に伝えた。
「約束だからね。僕と正臣は退学するよ。神楽家次期当主の座も辞退する。」
その言葉を聞いた時雨は、ぽかんと口を開けた。
「え?あれ本気だったのか?」
「もちろん。だから君は安心して残りの学校生活を――…」
「別に俺と二度と関わらないなら、二人とも学校辞めなくていいぞ。あと、その当主ってやつも辞退しなくていい。」
「何言って……。」
「俺は学校を卒業できればそれでいいから。お前らが辞めようが辞めまいが、俺には関係ねぇし興味もねぇよ。」
その言葉に、月城は胸をほっと撫で下ろしたような表情で見つめている。
黒崎は腕を組み、うんうんと笑顔で頷いている。
「とにかく俺に絡むなよ。それだけ守ってくれれば十分だから。」
神楽はしばらく黙って時雨を見つめていた。
九条と神楽がこの学校を去れば、時雨は今より快適に学校生活を送れるはずなのに。
そこまで望んでいないなんて。
神楽は小さく首を振り、小さく呟いた。
「どうして今まで気付かなかったんだろう。」
「え?なに??」
「もっと早く君と話していればよかった…。」
「いや…大丈夫です……。」
神楽のどこか嬉しそうでもあり、時雨に対して興味を持ったようなその笑みに、思わず一歩後ずさった。
(なんだこいつ…。)
パンッ。
月城が両手を叩き、生徒たちの視線を集める。
「はい、そこまで。じゃあ試験を再開します。」
その合図で、隣の組の連中が戻っていく。
「朝霧。」
「え?はい。」
「君は先に教室へ戻って反省文を書きなさい。」
「え!?なんで!?」
「術を制御できないまま使用し、九条に怪我どころか庭を滅茶苦茶にしただろう。」
「あー…。」
(なんか岩壊してたな…。)
「それと、今回の件はご家族にも報告するからな。」
「え…。ほんとに?」
「当然だろう。保護者への報告も教師の務めだ。きちんと反省しなさい。」
「……はい。」
一方、黒崎は気絶したままの九条へ目を向ける。
「神楽。悪いが九条を保健室まで運んでやれ。」
「承知しました。」
神楽は静かに頷くと、九条を背負い上げる。
そして去り際に一度だけ振り返り、時雨へ微笑んだ。
「また話そう、朝霧時雨くん。」
「……いや、もう関わるなって言ったよな。」
時雨の即答に、神楽は困ったように笑うだけだった。
――夕刻。
職員室の窓の外は茜色に染まり、一日の終わりを告げていた。
時雨の教師――月城は、机に向かい一枚の紙を見つめている。
「…………。」
目を通した瞬間から違和感しかなかった、朝霧時雨の反省文。
「……なんだこれは。」
ブツブツと独り言を唱え、何度も反省文と睨めっこする。
月城が知っている朝霧時雨は、術こそ不得手だったが座学は決して悪くない。
字も丁寧で読みやすく、文章をまとめる力もあった。
教師として何度も提出物を見てきたからこそ、それはよく知っている。
だが、今、目の前にある反省文は――
「字が…汚い。」
まるで急いで殴り書きしたような文字。
線は曲がり、ところどころ読みにくい。
そして肝心の内容はというと…。
『決闘したら勝った。』
『でも術が上手く使えなくて、庭めちゃくちゃにした。』
『しかも相手を怪我させた。』
『これに関しては良くなかったと思う。申し訳ない。』
『以上!』
「…………。」
月城は反省文から目を離し、天井を見上げた。
「……え?」
もう一度顔を下げ、反省文を見る。
「いやいやいや……。五歳児でも、もう少し書くぞ…。」
思わず額を押さえ唸る。
深いため息が職員室に響いた。
「本当に朝霧が書いたのか…?これ。」
月城は反省文と、時雨が過去に提出した用紙を並べて見比べる。
相変わらず整った美しい文字だ。
それに比べてこちらは滅的な字…。
あまりにも違いすぎる。
「まるで…別人みたいじゃないか。」
考えた末、反省文を机の引き出しへしまう。
「本当に朝霧だよな…。」
試験を受けた人物も、反省文を書いた人物も朝霧で間違いないはずなのに、どこか違和感がある。
「…ひとまず行くか。」
月城は椅子から立ち上がった。
向かう先は保健室。
反省文も気になるが、九条の容体も気になる。
月城が保健室の前まで来ると扉へ手を掛けた。
その時――
「……ここは。」
中から九条の声が聞こえた。
どうやら目を覚ましたらしい。
月城は扉を開ける手を止め、音を立てないよう様子を外から伺う。
「保健室だよ。九条、決闘の途中で気絶しちゃってさ。」
返事を返したのは神楽だった。
九条はゆっくりと身体を起こし、辺りを見回す。
少しの沈黙のあと、何かを思い出したように顔色を変えた。
「俺は負けたのか…。じゃあ…退学……!」
神楽は苦笑しながら首を横に振った。
「大丈夫だよ。ちなみに、僕の当主辞退も取り消しだ。」
「……は?どういうことだ。」
「朝霧君がね。『二度と俺に関わらないなら、それでいい』だって。」
その話を聞き、九条は呆然としたまま固まる。
神楽は窓の外へ目を向け、少し笑いながら話を続けた。
「僕らは…朝霧君のことを、何も知らなかったんだね。」
「神楽…。俺…」
「正臣も、朝霧君にお礼を言いなよ。退学にならずに済んだのは、彼のおかげなんだから。」
「……。」
「それと…今まで君が彼にしてきたことも、ちゃんと謝るんだ。」
病室に静寂が流れる。
九条はまっすぐ神楽を見つめたまま、一言も返さない。
その様子を見た神楽は、小さくため息をつく。
「謝らないなら、僕はそれでも構わないよ。ただ――」
「…………。」
「後悔するのは、正臣…君だよ。」
「神楽…っ。」
神楽は九条から目を逸らし、椅子から立ち上がった。そして保健室の出口へ向かう。
「僕は先に戻るよ。…先生をお待たせしているみたいだし。」
「えっ…?」
ガララ――
「気付いていたのか。さすが神楽だな。」
「相手が生徒だからって、気を抜きすぎですよ…先生。」
「悪かった悪かった。九条、もう少し休んだら家まで送るから。」
「いや…一人で帰れる…。」
「黒崎先生からも頼まれてるんだ。拒否権は無いぞ。」
二人の会話を邪魔しないよう、神楽はそのまま保健室を後にした。
その背中を、九条は黙ってただ見ていることしか出来なかった。




