第三十二話 ほんとの修羅場
それもそうだろう。三人の美男美女が並んでいるだけでも十分目立つというのに、その三人が人通りの多い道の真ん中で言い争っているのだから。
「あれ、二股がバレたんじゃないか?」
「えっ、どっちがどっちなの?」
「修羅場ってやつか……?」
そんな声まで聞こえてくる。しかし神楽はそんな声など気にせず、澪に対して言葉をぶつけようとした。
「だいたい君は――…。」
その時ふと、通行人の中に見覚えのある人物を見つけたのだ。
「兄上…?」
黒髪の男が人混みの中を歩いている。間違えるはずがない。朝霧家の時雨に仕える付き人だ。
「彼がいるなら……もしかして――。」
神楽はそれ以上言葉を続けなかった。言い合いの途中だったことも忘れ、御影の後を追うように駆け出す。
「兄上!? どこに行くのですか!」
「龍馬様っ……!」
突然のことに澪と桜が慌てて後を追った。神楽も人混みを避けながら、どんどん前へ進む。御影は背が高い。そのおかげで、人の波に紛れて見失うことはなかった。
「……やっぱり。」
ようやく追いついた。御影の隣には――団子をこれでもかというほど頬張っている時雨の姿があった。神楽は一度だけ息を整え、何事もなかったかのように口元へ笑みを浮かべた。
「……朝霧くん。こんにちは。」
「ん?……あ!お前!!神楽じゃねぇか!なんでここに――。」
団子がまだ口の中に残っているのか、時雨は頬を膨らませたまま答える。すると御影が時雨の隣から布を取り出し、口元をそっと拭った。まるで年の離れた兄弟のようだ。
「たまたま城下町に用があってね。朝霧くんは?」
「俺?当分家にいろって言われてさ。それが嫌だったから抜け出してきた。」
「抜け出してきた…?付き人くんは許可したの?」
「いや、ダメだって言われて隙を見て逃げてきたんだけど、こいつ足速くってさ。普通に追いつかれた。」
「ふぅん。でも連れ戻されなかったんだね。」
「団子食ったらもう家から逃げ出さないって言ったら、しぶしぶ許可くれた。」
神楽は時雨の手元を見る。そこには、すでに何本もの団子の串が積み重なっていた。
「だから…そんなに食べているんだね。」
「うまいぞ。食う?」
「……いや、僕はいいよ。」
こんなに美味い団子を食べないなんて…と驚きながらも、時雨はまた団子にかぶりつく。神楽はその姿を眺めながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。
やっぱり朝霧くんは見ていて飽きないな――…
「ねぇ、朝霧くん。団子を食べ終わったら有名な甘味屋に行かない?奢るよ。」
「えっ!マジで!?」
時雨が目を輝かせ返事をしようとした時、御影が二人の間に入ってきた。
「若様。お団子だけと申したはずですよ。」
「甘味屋も団子も変わんねぇだろ。」
「…若様。お言葉ですが、だいたい神楽様とはお関わりしないと決めたのでは?」
「……!そうだった。忘れてた。」
余計なことを言ってくれるな…と、神楽が小さく呟く。そして御影へ視線を向けると何故か彼と目が合った。誰からも好かれる自分が、なぜかこの男だけには好かれない。いや――むしろ嫌われている。そうとしか思えない視線だった。
「付き人くんは、朝霧くんの交友関係に口を出す権利はないんじゃないの?」
「口出しはしておりません。若様ご自身が、神楽様とは関わらないとお決めになったことです。」
「でも――…」
「兄上!!!」
「…はぁ…またか…。」
神楽がゆっくりと目を閉じ、額に指を置く。背後から再び澪の声が聞こえてきたのだ。おそらく桜も一緒なのだろう。
「今度は何…。」
いやいや振り返ると、そこには先程よりも怒った顔をした澪と、その後ろで困ったように立っている桜の姿があった。
「兄上!!!桜さんという人がいながら、何故……!」
(……?この声は……)
以前、城下町で会った神楽の妹の声に似ている。しかし神楽の身長が高いせいで、ちょうど相手の顔が見えない。
「また逢瀬など……!桜さんとの食事会を切り上げたのも、その方とお会いするためなのですね!」
(逢瀬…?あ、そういえば…。)
“逢瀬”…以前神楽に聞いた言葉だ。あの時ははぐらかされたせいで、結局意味を教えてもらっていない。時雨は横にいる御影へ小声で話しかけた。
「なぁなぁ。逢瀬って意味分かる?」
「はい。逢瀬とは――恋愛関係にある男女が、人目を忍んで会うことを指します。」
「はああぁ!?恋愛関係いぃ!?」
時雨はようやく状況を理解し始める。もしも神楽の妹が俺の事を女だと思っているのなら――…
「婚約者がいながら、他の女と浮気してると思われてる?」
そりゃ怒るだろ…というか俺まで勘違いされたままは気分が悪い。時雨は慌てて神楽の肩に手を乗せ、自分の方へ振り向かせる。その瞬間先ほどまで神楽の身体に隠れて見えなかった澪の顔が、はっきりと見えたのだ。
「…………。」
当然、澪の方からも時雨の顔がはっきりと見える。やはり少し神楽に似ている。しかし何故か澪の顔が、みるみる青ざめていく。
「あ……あなた……なんで……。」
「え?俺…?」
(女だと思っていた奴が男だったから驚いているのか?それにしては……少し大げさな気もするけど。)
時雨は不思議そうに澪をジッと見つめた後、隣にいる女性とも目が合った。
「うわ……。」
思わず声が漏れてしまった。なんという美しさ。神楽の…もはや反則と言っていいほど整った顔立ちにも引けを取らない。
(たぶん、この人が神楽の婚約者だよな…?こんな美人見たことねぇ…。)
「なぁ、神楽の婚約者見た?すげぇ美人――…。」
御影に話しかけた言葉が途中で止まった。何故かと言うと、御影が恐ろしい形相で澪を睨んでいたからだ。
まるで――今にも人を殺しかねないような…。
「お、おい…お前、顔怖すぎだろ。どうしたんだよ。」
「……若様。帰りましょう。」
「え!?おい…いきなりどうし――…。」
「付き人くん、待ってくれるかな。」
御影と時雨が小声で話していると、その間に神楽が割って入ってきた。
「まだ僕は朝霧くんと甘味屋に行けてないんだ。帰るならその後でもいいだろう?」
「婚約者殿と行けばよろしいでしょう。」
「…………。」
いつも冷静な御影が妙に焦っている。その様子が、時雨には不思議でならなかった。
(なんでそんなに帰りたがってんだ?)
「……若様。失礼します。」
「え?うわっ!?」
次の瞬間――時雨の身体が、ふわりと宙に浮いた。御影は時雨を片手で軽々と持ち上げ、そのまま自身の腰の横へ抱えるように固定する。
「ちょっ!」
あまりにも突然の出来事に、時雨は抵抗する間もない。御影の華奢な身体のどこから、これほどの力が出ているのか。なにより男として少し情けなく感じた。
「待って!!…時雨さん。」
「え?」
(今俺の名前…?)
澪から突然名前を呼ばれた。いや、名前を呼ぶことがダメなわけじゃない。
――なぜ、神楽の妹…澪は時雨の名前を知っているのか?
神楽は何度か俺の名前を呼んだが苗字のはず。御影に関しては若様呼び…。もちろん驚いたのは時雨だけでは無い。神楽も、婚約者の桜も…この場にいた全員が、同じ疑問を抱いたことだろう。
――しかし御影だけは違った。その表情には驚きも戸惑いもない。御影の瞳には澪への剥き出しの敵意だけが宿っていた。
「澪……朝霧くんを知っているのか?」
「まぁ…………少しだけ。」
澪は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。神楽も二人の関係が気になるのか問い詰める。
「え?初耳だな……。どこで知り合ったんだい?」
「それは……。」
澪の言葉が詰まる。答えそうにない澪の様子を見て、御影が一歩前へ出た。相変わらず、その瞳には冷たい光が宿っている。
「言いにくいのであれば、私が申し上げましょう。若様と…あなた様は、元婚約者同士です。」
「………………え?」
神楽はこれでもかと言うほど、大きく目を見開いている。時雨も御影に抱えられたまま、口をあんぐりと開けていた。
「こ……婚約者?澪……本当なのか?」
「…………。」
澪は答えない。誰とも目を合わせず、俯いたまま何も言おうとしない。
――いや。答えないこと自体が、答えのようなものだった。
(澪…澪……。)
頭の中で、その名前を何度か繰り返す。ずっと気がかりだった名前…どこかで聞いたことがあるような気がする。
「……あ。日記に書いてあった名前か……。」
以前読んだ、過去の時雨が書いていた日記。そこに登場していた名前だ。
「なんで忘れてるかなぁ、俺。」
自分の記憶力のなさに改めて落ち込む。一度しか読んでいないとはいえ、普通は忘れないだろう。




