第三話 この世界に少し残ることになった
〇月〇日
今日も術は使えなかった。
何度やっても駄目だ。
父上は「焦る必要はない」と笑ってくれた。
母上も「時雨は十分頑張っている」と頭を撫でてくれた。
でも、今日もまたあいつらに笑われた。
「朝霧の跡取りが聞いて呆れる。」
「術も使えない出来損ない。」
慣れたはずなのに、やっぱり悔しかった。
この体は不思議だ。
身体能力だけは誰にも負けないくらい高い。
でも、それだけじゃ忍にはなれない。
術が使えなければ意味がない。
だから今日も勉強した。誰よりも勉強した。
僕には使えないけど、忍術も練習した。
少しでも、本来の時雨が戻ってきた時に困らないように。
術も、歴史も、忍としての知識も。全部覚えておこう。
あいつが困らないように。
◇
最近知ったことがある。
朝霧家には、魂を元へ戻す術があるそうだ。
だけど父上も母上も、一度もその話をしなかった。
調べてみると、その術には僕が必要みたいだ。
なんでも相手の魂を掴まないといけないらしい。
……よく分からない。やはり父上に聞いてみるしか方法はないのだろうか。
♢
今日は父上と母上が馬鹿にされた。僕のせいで。
悔しい。
こんなにも素敵な両親はどこ探してもいない。
……そんな二人だからこそ、これ以上僕のせいで傷ついてほしくない。
もうすぐ最後の試験が始まる。
あの試験には、朝霧家の術が必要だ。
僕にはできない。
何度努力しても、それだけは届かなかった。
だから決めた。
僕ができる最後の親孝行は――
本来この体にいるべき朝霧時雨を、この世界へ帰すことだ。
♢
〇月〇日
今日、父上と母上へ気持ちを伝えた。
本来の時雨を、この世界へ戻したい。
そう伝えると、やっぱり反対された。
「朝霧家のことなど気にするな。」
「十五年、一緒に過ごしてきたではないか。」
そう言って、二人は笑ってくれた。
……その笑顔が、痛かった。
僕は二人の本当の子どもじゃない。
なのに、ずっと本当の息子として愛してくれた。
だからこそ、このまま甘えてはいけない。
誰に何を言われても、この考えだけは曲げない。
本来の朝霧時雨を、この世界へ帰す。
それが僕にできる、最後の親孝行だから。
◇
この話は、付き人の御影にも伝えた。
あいつは最後まで反対していた。
「若様は、若様です。」
そう言ってくれた。
この世界で、唯一何でも話せる友人。
悲しそうな顔をしてくれたことが、少しだけ嬉しかったなんて。
……口が裂けても言えない。
この世界へ来て、良いことなんて一つもなかった。
術は使えないし笑われる毎日だった。
それでも父上と母上、御影。
朝霧家のみんなに出会えたことだけは、僕の一生の宝物だ。
◇
いよいよ明日、僕は本来の自分の世界へ帰ることとなる。
後悔はない。……嘘。ちょっとある。
でも僕はやる。
僕にとって最初で最後の術が、魂の入れ替えなんて誰が想像しただろう。
もう会えないけど、きっとこの世界のことは忘れない。
明日は早い。もう寝よう。さようなら。
興味本位で開いてしまった一冊の日記も、次で最後だ。
ゆっくりとページをめくる。
「……っ。これ……。」
読まなければよかった。
ぽつり。一滴の涙が、日記の上へ落ちる。
慌てて拭っても、次から次へと溢れてくる。
「……同情さそうなよ…ずりぃ…。」
見なかったことになんて、できるはずがなかった。術が使えないと笑われ、家族が馬鹿にされる姿を見続け…。
それでも一度も諦めず、努力を重ねてきた。
本来なら、味わわなくてよかった人生をこいつは生きたんだ。
日記を握る手に自然と力が入る。
「俺は……どうしたらいいんだよ……。」
しばらく黙ったまま俯いていた時雨は、ゆっくりと涙を拭う。
運命は残酷だ。抗えるものなら抗ってみたい。だが、そう簡単にいかないのもまた運命なのだ。
「…いいよ…やってやるよ。」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。
「その訳の分かんねぇ試験受けて、忍の学校を卒業すればお前は満足なんだろ。」
静かに日記を閉じ、そして窓の外へ目を向けた。
「……帰るのは、その後だ。」
その瞳には、先ほどまでの迷いはなかった。
俺は日記を抱え直すと部屋を飛び出した。
廊下を駆け抜け、その足は迷うことなく屋敷の奥へ向かう。
先程来たばかりの襖の前で、一度だけ深呼吸をし勢いよく開けた。
俺の姿を見た父と母は、突然戻ってきた時雨の姿に目を見開いている。
それもそうだろう。先ほどまで怒りを露わにして部屋を飛び出した少年が、今はどこか吹っ切れたような表情をして目の前にいるからだ。
俺は部屋へ入り、一冊の日記を父へ差し出した。
「これ……読んでくれ。」
父はそんな時雨を不思議そうに見ながら日記を受け取り、表紙へ目を落としページを捲った。
母も横から顔を出し覗いている。
――そこには見慣れた筆跡が。
「これは……時雨の字……?」
またページをめくる。
術が使えない苦しみ。努力しても報われない日々を送っている息子の苦労。
家名を守ろうと、一人で抱え続けた想い。
そして最後のページに綴られた言葉。
『本来の時雨へ。
もしこの日記を読んでいるなら、きっと僕の術は成功したんだと思う。
勝手なことをしてごめん。
でも、僕にはこれしか思いつかなかった。
君にしか頼めないんだ。
どうか、僕の代わりに卒業してほしい。
そして父上を、母上を…朝霧家を頼む。
――朝霧 時雨。』
部屋は静まり返っていた。
母は口元を押さえ、涙を堪えきれず肩を震わせている。
父もまた、日記を握る手を小さく震わせていた。
「……馬鹿者が。」
その一言は、叱責ではなく息子への愛情と後悔が滲んでいた。
時雨は二人を見つめ、小さく息を吐く。
「……帰ることを諦めた訳じゃない。でも、この日記を読んで無視できるほど俺も薄情じゃないからさ。」
少し照れくさいのか、頭をポリポリとかく。
「残りの高校生活……忍の学校で過ごしてやるよ。」
その言葉に、母の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「……ありがとう。本当にありがとう……。」
深々と頭を下げる二人に、時雨は困ったように目を逸らした。
「じゃあさっそく、朝霧家の術ってやつ教えてくれよ。」
俺の言葉に父は少し遅れて反応し、ゆっくり立ち上がった。
「…庭へ来なさい。朝霧家に代々受け継がれる秘術――『魂纏』を教えよう。」
♢♢♢
屋敷の庭へ出ると、夕日が空を赤く染めていた。
庭の中央には誰もおらず、静寂だけが辺りを包んでいる。
父はゆっくりと歩みを止め、やがて時雨へ振り返った。
「朝霧家の秘術――『魂纏』。これは我ら一族だけが扱える術だ。」
「普通の忍術と何が違うわけ?」
「火遁や水遁といった五行術は、魂と肉体を調和させることで発動する。だが魂纏は違う。」
父はそう言いながら自身の胸へそっと手を当てる。
「己の魂を肉体へ纏い、その力を極限まで引き出す秘術。」
「……もうちょっと簡単に。」
「……身体能力の強化だ。」
「あー、ゲームでいうパワーアップみたいなもんか。」
「げぇむ……?……こほん。しかしその代償も大きい。」
「え、代償とかあんの……?」
「あぁ。使いすぎれば魂は傷つく。最悪の場合、二度と目覚めることはない。」
「え…怖すぎ…。」
父はそんな時雨の心を見透かしたように苦笑した。
「安心しなさい。きちんと使いこなせれば何も問題はない。」
「使いこなせなかったら終わりかい……。」
「まぁ……まずは見ていなさい。」
父は静かに目を閉じ、両手で印を結びだした。
流れるような所作は無駄な動きがない。
そして空気が変わった。風が止み、庭の草木が小さく揺れる。
「――魂纏。」
次の瞬間、父の身体から淡い蒼白い光が立ち上る。
まるで炎のように揺らめく光は身体を包み込み、凄まじい威圧感を放っていた。
「うっわ…!…すげぇ。」
あまりの凄さに俺は思わず声を漏らす。
「これが魂纏だ。」
父は術を解くと時雨へゆっくり近づいた。
「次は君の番だ。やってみなさい。」
「え!?もう!?」
「本来なら数年かけて習得する術だ。しかし時間がない。」
「数年で覚える術を今日やれってか…?」
俺は頭を掻きながら、父の立っていた場所へ向かう。
父の視線が強すぎてやりにくさはあるが、やらなければ終わらない。時雨はなんとなくでやってみよう…と覚悟を決めた。
「印はこう……だったっけ?。」
ぎこちなく両手を動かす。
すると――。
頭の奥がズキリと痛んだ。
「っ……!」
知らない景色。
そこには一人で印を結び続ける少年の姿があった。
『違う……もう一度だ。』
『本来の時雨が戻ってきた時、困らないように……。』
『身体で覚えるんだ。』
次々と流れ込む俺の知らない記憶。
それは、この世界で生きてきたもう一人の朝霧時雨のものだった。
「これは……。」
身体が勝手に動く。
指先が迷うことなく印を結び直していく。
父は驚きに目を見開いた。
「まさか……!」
時雨は静かに息を吸い、一言……。
「――魂纏。」
その瞬間、父を遥かに上回る膨大な力が時雨の身体から噴き上がった。
庭全体を突風が駆け抜け、木々が大きくしなる。
地面が小さく震え、砂煙が舞い上がる。
「なっ……!」
父の表情が変わる。
「力が強すぎる!身体がもたんぞ!!」
「えええぇぇ!!?なにこれ何これ!」
(止め方が分かんねぇ!!)
力はなおも溢れ続け、身体がどんどん熱くなっていく。……いや、熱いどころではない。
身体中を何かが暴れ回っている。
「若様!!!」
異変を察した御影が庭へ駆け込んでくる。
父はすぐさま解除の印を結ぶ。
「動くな、時雨!」
そう叫ぶと同時に父は時雨へ手をかざし、暴走した魂の力を強引に抑え込んだ。
激しく吹き荒れていた風が、少しずつ静まり返っていく。
俺はその場へ膝をつき、大きく肩で息をした。
「はぁ……はぁ……。」
父は安堵したように息を吐く。
「本来の魂が戻った影響なのか……。想像以上の力だ。」
(すっげぇ…ファンタジーすぎるだろ…。)
指先がまだ微かに痺れている。
「大丈夫か?」
「あぁ……まぁ、なんとか……。」
短く答えながらも、俺の顔には困惑が残っている。
無理もない。さっきまで普通の高校生だったんだ。
それがこんなに強い術を一発で成功させたのだから、戸惑うのも無理はない。
「なんか…俺の知らねぇ記憶があってさ…そのおかげですんなり出来たというか…。」
その言葉聞いた父は少し嬉しそうで寂しい顔をしていた。
「それは…君じゃない時雨が、毎日毎日積み上げてきたものだ。術は使えなかったが、秘術の書物を読み漁り、何度も印を練習していたからな。印を結んだことで、記憶が流れ込んできたのだろう。」
(俺は初見だけど、身体は覚えてるってことか?)
「だが、術が使えないせいで、時雨に解除の仕方を教えていなかった。すまない…。」
「あー……なるほど。」
「術の解除は全て共通している。後で御影に教わるといい。……さぁ。明日は試験だ。余計な消耗は避けるべきだろう。」
時雨は空を見上げた。
赤かった夕焼けはすでに夜へと変わり始めている。
(……受かるといいけど。)
屋敷へ戻る途中、いつの間にか俺の隣には付き人の御影がいた。
あまりの気配の無さに少し驚いてしまう。
「若様。」
「その若様ってやつやめてくれよ……。なんか変な感じがする。」
「若様、お風呂の準備ができております。」
「無視かい。」
そのまま御影に風呂場まで案内される。
屋敷の中が広いせいで、明日には風呂場までの道も忘れてしまうだろう。
風呂場はさすがといったところか、広くて深い。
ゆっくり足を湯舟へ入れてみる。
――チャポン
「―――!!?熱っっ!!!」
あまりの熱さに反射的に足を湯からすぐに出す。
すると風呂場の入口から御影の声が聞こえた。
「若様。湯加減はいかがでしょうか。」
「分かってて言ってんだろ!!熱すぎる!俺を煮る気か!!」
「その様な事、一切思っておりませぬ。」
「分かっとるわ!!!」
風呂の次は食事だ。またまた御影に部屋を案内される。
「旦那様と奥様からの伝言でございます。『私たちいれば緊張で食事が喉を通らないかもしれない。この生活に慣れるまで、一人でゆっくり食べて』とのことです。」
父の声真似をしながら俺に説明をしてくれたが、その出来栄えはなかなかのものだった。
「え、声真似上手すぎない?」
「痛み入ります。」
そうして席につくと、魚や漬物、味噌汁にご飯が並んでいた。
「いただきます。」
一口食べる。……うん。薄味だがまぁ美味しい。
だが母さんの作る料理は味が濃いため、少し物足りない。
「なぁなぁ。この世界ってハンバーガーとかある?」
「はんばーがーですか?……はんばーがー……とは?」
「……やっぱいい。」
そしてその夜。
自室に戻った俺は、日記を机に置く。
周りは静かだが、虫の声だけ響いている。
「……よし。寝るか。」
部屋の灯りを消し静かに目を閉じる。
夜は深く、そして静かに更けていった。




