第二十二話 実地訓練とは
♢♢♢
「では、授業を始める。」
月城の呼びかけと共に、忍術を学ぶための授業が始まった。
今日は座学だ。
気の制御を早く習得したい時雨からすれば、座学は退屈極まりない時間でもある。
「忍字の復習をするぞー。まず、この特殊な文だが――…。」
「しのびじ…?」
(何それ。)
月城の口から次々と専門用語が飛び交う。もちろん時雨は半分以上理解できていない。
眠気と戦いながら、必死に板書だけは写していく。
「あぁ、そういえば。明日から外での実技ということは、覚えているな?」
月城がチョークを書く手を止め、サラッと生徒たちに伝えると、教室のあちこちから「はい」という返事が返ってきた。
「実技は二、三日を予定している。その間は学校へは戻らないからな。各自、保護者には今日中に説明しておくように。いいな?」
「……え?」
あと数秒で夢の世界に…というぐらい眠たかったが、聞き覚えのない月城の言葉で目が覚める。
「なにそれ。」
その一言で教室中の視線が時雨に集まる。
月城は大きなため息をつきながら、額へ手を当てた。
「また朝霧か…。」
「はっはっは。すみません…。」
「隣の組が終わり次第、次はうちの組が実地訓練を行うと前に説明しただろう。」
「あぁ…うん。そうそう…そうだった気がする。」
もちろん記憶にはない。
だが周囲の反応を見る限り、本当に月城は事前に説明していたのだろう。
「それで…二、三日かけてなにするんですか?遠足?」
「遠足だと?はぁ…全くお前は…佐伯。」
「はい。」
「後で朝霧に説明してやりなさい。」
「……承知しました。」
佐伯はいつの間にか、時雨の教育係のような立場になってしまっていた。
「友達というより、僕はあなたの保護者ですね」と嫌味を言われた時もあるが最後は結局、時雨に付き合って色々教えてくれるのだ。
(そっかー。明日は遠足かー…。)
もちろん遠足ではないのだが、時雨は楽しい学校行事だとでも思っているようで既に上の空…。
「ほら、授業を続けるぞ。」
月城は教科書を開き、再び黒板へ文字を書き始めた。
「密書に記されている暗号は――」
教室には再び月城の声だけが響く。
その声は、時雨にとって子守歌のようだった。
(……ねむ。)
頬杖をつきながら必死に耐える…が、時雨の眠気は限界だったようで、ゆっくりと瞼が閉じていった。
――ここは時雨の夢の中。
「ナイスパス!」
「朝霧!」
「決めろー!」
体育館から軽快なドリブルの音が聞こえてくる。
ボールを受け取りゴールへ向かっているのは時雨だ。
(よし……!いける!)
ボールを投げようとしたその瞬間――
「――くん。」
「……。」
「――朝霧くん。」
「…ううん…。」
「朝霧くん!」
「!!?」
時雨は勢いよく顔を上げた。
目の前には呆れ顔の佐伯がこちらを見下ろしている。
「あれ…?ボールは?」
「何を言っているのですか。もう授業はとっくに終わりましたよ。」
「え?」
辺りを見回すと、既に月城の姿はなく生徒たちは帰り支度を始めていた。
「あ……ほんとだ。」
「随分楽しそうな夢でしたね。」
「うん。バスケしてた…。」
「ばすけ?」
「あ。……こっちの話。それよりもう帰んの?」
「明日から実地訓練のため、本日は一限で終了ですよ。」
「え!?なんで!?」
思わず大きな声を出してしまった時雨に、佐伯は呆れたように一度目を閉じ、大きくため息をついた。
「あなたって人は本当に……はぁ。明日からの訓練は学校の外で行います。そのため、月城先生は最終確認と下見へ向かわれるんです。」
「下見?それで結局、明日何すんの?」
「ですから…実地訓練です。」
「いや、だからその実地訓練って何?」
佐伯は今日何度目か分からない大きなため息をつきながら、額へ手を当てた。
「……そこから説明しないと駄目ですか。」
「うん。」
「はぁ…。では、一から説明しますので。一回で理解してくださいね。」
「おう!頑張る。よろしくな、先生っ。」
「僕は君の先生ではありません。」
即座にツッコまれ、ははは…と時雨は苦笑いをする。佐伯は呆れて今度はため息も出ないようだ。
「実地訓練というのは、学校で学んだことを実際の野外で試す訓練です。」
「なるほど。」
「場所は学校の裏山よりさらに奥にある演習地で行います。訓練場とは違い、本物の山です。」
「うん。」
「目的は大きく三つあります。一つ目は、生き延びること。二つ目は、仲間と連携すること。三つ目は、与えられた任務を達成することです。」
「任務?」
「はい。先生方から密書や巻物を渡され、それを指定された場所まで届けたり。逆に、目的地に隠された物を探して持ち帰ったり。年によって内容は変わります。」
「なにそれ!面白そうだな!」
時雨は実施訓練の内容に興味を持ったようで、前のめりになり話の続きを求めた。
「…そう思って油断すると痛い目を見ますよ。」
「何で?」
「実地訓練中は、基本的に自分たちで行動します。食事の準備や寝る場所の確保。怪我をした際の応急処置まで。それらも全て訓練の一つです。」
その話を聞いた瞬間、時雨の笑顔が少しずつ引きつっていく。
「なんか…思ってたのと違うかも。」
「もちろん先生方も近くにはいますが…本当に危険な状況にならない限り助けてはくれません。つまり、自分たちで考え、自分たちで行動しなければならないんです。」
「うわぁ…俺、虫とかあんまり得意じゃねぇんだけど……。」
「そこですか?知りませんよ…。」
そこまで聞くと時雨は大きく伸びをし、やっと立ち上がる。
「んんんー…。で?佐伯は俺と組んでくれるの?」
「班は先生方が決めますので…。ですから仲の良い者同士で組めるとは限りませんよ。」
「え!じゃあ俺と佐伯も別々になるかもしれねぇのか…。」
「……いえ。朝霧くんの場合は、気の制御がまだ安定していません。月城先生のことですから、おそらく僕は君と同じ班になると思います。」
「え?ほんとか?」
「あくまで僕の予想ですが、その可能性は高いでしょう。」
「よかった。じゃあ安心だな。…ってことで明日はよろしく!佐伯先生。」
「ですから…先生ではありません。」
「ははっ!分かった分かった。じゃあ、俺は帰るよ。あいつが待ってるしな。また明日!」
「…寝坊しないようにお願いしますよ。」
♢♢♢
佐伯と別れ校門を出ると、見慣れた人影が静かに立っていた。
時雨に気づくと、御影は丁寧に一礼する。
「若様。」
「おー。お疲れー。」
「本日も一日、お疲れ様でした。」
「ははは。一限だけだけどな。」
そして御影は近くにある大木の枝へ飛び移った。
「若様。参りましょう。」
「おう。」
御影に続き、時雨も別の大木へ飛び移った。最初は怖かった移動も、今は楽しくて仕方がない。御影のスピードにもついていけるし、木から木へ移りながら話をするのも慣れてきた。
「あ、そういや御影。明日から実地訓練なんだってさ。二、三日帰れないらしくて。」
時雨からその話を聞いた御影は驚く様子もなく、前を向いたまま小さく頷いた。
「はい。数か月前に、若様より伺っております。」
「そんな前から?」
「はい。実地訓練の日程が決まり次第、お伝えいただきました。」
「へぇー……。」
「以前の若様は、予定を忘れるようなお方ではありませんでしたので。」
「…嫌味か?それ。」
「滅相もございません。」
(こいつ…時々俺の事小馬鹿にしてる気がするんだが…。)
屋敷へ戻ってからは、御影に実地訓練について詳しく教わった。
どうやら、影陰忍術学校の実地訓練は毎年多くの生徒が苦戦する行事らしい。
判断を誤れば途中で脱落する者も少なくないという。
「若様。決して無理はなさらぬよう…。」
「分かった。」
「班の仲間との連携が、何より重要になりますので。」
(班ねぇ……。)
佐伯は先生が班を決めると言っていた。
同じ組で顔と名前が一致するのは佐伯のみ。
あとは全く知らない生徒だ。
「……ま、何とかなるか。」
そう呟いてみるものの、胸の奥には少しだけ不安が残っていた。
(九条みたいな奴じゃなきゃいいけど…。)




