第十九話 まずは気の流れを学びましょう
先程まで煙しか出なかった手のひらから、今度は巨大な炎が噴き出した。
だが、それは成功とは呼べない。
炎は一瞬で勢いを増し、まるで獲物に飛び掛かる獣のように燃え広がっていく。
「なっ……!?」
それを見た佐伯の表情が変わる。
「威力が強すぎる……!気を抑えてください!!」
「どうやって!?」
「あぁもう!月城先生!!」
その叫び声に、少し離れた場所で別の生徒を指導していた月城が振り向いた。
「朝霧……!」
月城の表情が変わると、次の瞬間には地面を蹴り、凄いスピードで時雨の元へ駆けつける。
「水遁の術――」
印を結び水遁の術を唱えると、周囲の水分が集まり月城の前へ巨大な水の壁が形成される。
「水壁!」
轟音と共に放たれた水流が、暴走した炎へぶつかる。
バアアアァァン……
そして大量の水蒸気が辺りを包んだ。
「……っ。」
炎は月城の水遁によって抑えられたが、まだ終わっていない。
術者である時雨の中には、未だ気が流れ続けている。
それも、制御されていない気が…。
佐伯も慌てて印を結ぶ。
「水遁の術――水幕!」
瞬間、時雨の周囲に水が集まる。
そして大量の水が時雨へと降り注いだ。
バシャアアア!!
「うわぁ!?」
全身ずぶ濡れになり、時雨はその場に立ち尽くす。
そしてようやく、荒れていた気の流れが途切れたのだ。
「朝霧!!」
水蒸気の中へ、心配そうにしている月城が駆け込んで来た。
「大丈夫か!?」
「はぁ……びちゃびちゃだぁ。」
あれほどの術を出したが、当の本人は全身ずぶ濡れになりながら、ピンピンしている。
「……まただ。」
月城は言葉がつい漏れていた。前回もそうだが、時雨には術の反動がほとんどないのだ。
気の流れを制御できず、あれほどの火遁を放った場合、普通なら体内の気を大量に消費してしまう。その場に膝をついていてもおかしくない。
なのに目の前の時雨は疲労している様子もなく、呼吸も乱れていない。
「…異常だ。」
普通の忍ならば、力が大きければ大きいほど身体への負担も大きくなる。
「そもそも……流せる気の量が異常なのか?」
「え?なに?それよりタオルないー?」
朝霧時雨…。
この少年は、一体何者なのか。
「先生!」
佐伯が額に汗をかきながら、月城に駆け寄る。
「佐伯。先程は助かった。」
「いえ…それより先生。」
「なんだ?」
少し迷ったあと、佐伯は時雨へ視線を向けた。
「彼は……本当に、あの朝霧くんなのですか?」
「……。」
「誰かが変装しているとか、そういう可能性は……。」
自分でも馬鹿げた考えだとは分かっていた。
だが、そう思ってしまうほど前の時雨と違いすぎるのだ。
佐伯の質問に、月城はゆっくりと口を開いた。
「……逆に言えば、以前の朝霧の方が跡取りらしくなかった。」
「え?」
「朝霧家の人間でありながら、術を扱えない。周囲から何を言われても反論しない。己の立場を守ろうとする気概も見えなかった…。」
だが、今の朝霧時雨は…?
「……前の朝霧の方が、偽物だったりしてな。」
「え?先生…今なんて…?」
「……いや。」
月城は小さく首を振った。
「何でもない。」
そして佐伯から時雨へ視線を向け直した。
「朝霧。」
「え?はい。」
「お前はまず、気の流れから学んだ方がいい。」
「気の流れぇ?」
「そうだ。今のお前は、術を発動させるだけの力はあるが…制御が全く出来ていない。この状態だと、他の術を扱った時も同じようなことになる可能性がある。」
「……はぁ。」
時雨は困ったように頭を掻く。
言われたことはわかる。
たが、その“気”とやらをどう扱えばいいか、分からないのだ。
「佐伯。」
「はい。」
月城は隣にいた佐伯へ視線を向ける。
「悪いが、頼めるか?」
「……え?」
佐伯の表情が固まる。
明らかに嫌そうな顔だ。
「僕ですか?」
「あぁ。このクラスの中で、お前が一番成績がいい。それに火遁、水遁の扱いにも長けているしな。頼めるか?」
「……。」
佐伯はしばらく黙って考える。
断りたい。非常に断りたい。
朝霧とは少し話したことはあるが、こんなにも理解力のない人間とは思わなかった。
だが佐伯の性格上、教師から頼まれてしまえば断るわけにもいかない。
「はぁ……分かりました。では、朝霧くん。こちらへ来てください。」
「おう! よろしくな、佐伯!」
「いつから僕のこと呼び捨てにするようになったんですか…。」
「まぁまぁ、細かいことはいいじゃねぇか!」
佐伯は深いため息を吐くと、時雨を連れて他の生徒たちから少し離れた場所へ移動した。
――佐伯蓮。
時雨のような名家の跡取りではないが、成績は常に上位を維持し、気の制御も正確だ。
忍びとして必要な知識と心得を、誰よりも理解している生徒の一人でもある。
「一応…お聞きします。」
「ん?」
「僕の認識では、あなたは今まで一度も術を扱えなかったはずです。ですが、火遁を発動させることが出来た。先日は秘術まで…。何か、変わったことでもあったのですか?」
時雨は一瞬だけ言葉に詰まる。
(そりゃ中身が入れ替わってるなんて言えねぇよな……。)
「あー……まぁ。頑張ったから?かな?」
「……。」
佐伯は無言だった。
明らかに納得していない顔だ。
しかし、それ以上追及することはなかった。
「……まぁ、いいでしょう。僕も深く詮索するつもりはありませんし。…では、気の流れを扱えるように、僕が指導します。」
「おう!よろしくな、佐伯先生!」
「……先生ではありません。」
佐伯は呆れたように肩を落とした。
そして時雨と向かい合うと、真剣な顔を見せた。
「まずは術を使うことを忘れてください。」
「え?どういう意味だよ。」
「今の朝霧くんに必要なのは、気を感じることです。では、目を閉じてください。」
佐伯に言われるがまま、時雨は目を閉じる。
「深く息を吸って。」
「…すぅ。」
「今度はゆっくり吐いてください。」
時雨は何度か深呼吸を繰り返す。
「体の中を意識してください。胸でも、お腹でも構いません。何か温かいものを感じませんか?」
「……んん?」
しばらく沈黙が続く。
そしてもう一度…もう一度…と、深呼吸を繰り返した。
「……あ。」
「感じましたか?」
「なんか……胸の辺りが、少し温かい気がする。」
「その温かさが全身へ流れていく感覚はありますか?曖昧でも構いません。」
「んー…よく分からないけど…。モゾモゾする感じが…」
「それが気です。術とは、その気を外へ導く技術。印は、そのための道筋に過ぎません。」
「へぇ……。」
(何言ってっか、あんまわかんねぇけど…。)
佐伯は少し考えたあと、近くを流れる小川へ視線を向ける。
「朝霧くん。気の流れは、水門と同じです。」
「水門?何それ。」
「……ご存じないのですか?」
「聞いた事ない。」
「…川の水を調整するための門です。門を少し開けば、水も少しだけ流れる。半分開けば、それなりの量が流れる。そして…最初から全開にすれば、大量の水が一気に押し寄せます。」
「なるほどなるほど。」
「朝霧くんは、その水門を最初から全開にしている状態だと思われます。だから術の威力だけが異常に強くなる…。少しずつ開くことを覚えなければ、どの遁術を使っても暴走します。」
時雨は腕を組みながら、何度も何度もウンウンと頷いている。
理解力のない時雨も、流石に分かったようだ。
「つまり俺は、水門を開けすぎてるってことだな!」
「その通りです。じゃあ、今度は少しだけ開くイメージでやってみましょう。では、先程のように気を感じてください。」
「おう!」
時雨は目を閉じ、胸の奥にある温かな気配へ意識を向けた。




