第十八話 火遁の術をきちんと学びましょう
「婚約って…何の話だよ…。」
︎♢♢♢
休日も終わり、また忍術学校での生活が始まる。
月城に先導され、生徒たちは校舎を抜けて学校裏の山へと向かった。
鬱蒼と茂る木々の間を進んでいくと、視界が一気に開ける。
そこには広大な演習場が広がっていた。
土が踏み固められた広場に、木製の的や巨大な岩、小川まで設けられている。
少し離れた場所には池もあり、周囲には消火用と思われる水桶が規則正しく並べられていた。
「すげぇ……。」
(裏山に移動するぞーって言ってたけど…)
時雨は思わず声を漏らす。
まるで一つの修練場だ。
月城は生徒たちが整列したのを確認すると、静かに口を開いた。
「本日の実技は五大遁術だ。既に扱える者もいるが、忍術は基礎を疎かにした者から命を落とす。…ということで、今日は火遁の基礎を確認する。」
その言葉に、何人かの生徒は表情を緩めた。
既に火遁を扱える者にとっては、何度も学んできた内容だからだ
「火遁の術を扱える者は、他の生徒の補助へ回ってくれ。ただし危険と判断した場合は、必ず私へ報告すること。いいな?」
「「はい。」」
月城の言葉に、生徒たちはそれぞれ散っていく。
そのとき、月城は一人の男子生徒を呼び止めた。
「佐伯。」
「はい。」
黒髪の少年が一歩前へ出る。
短く切り揃えられた髪に、切れ長の瞳は涼しげで、感情を大きく表へ出すことはない。
細身ながら鍛えられた身体つきで、制服の着こなしにも乱れはなく、立ち姿からは真面目な性格が窺えた。
派手さはないがその落ち着いた雰囲気は、自然と人に信頼感を抱かせるものがある。
「お前は火遁、水遁の両方を扱えたな。」
「はい。」
「朝霧についてやってくれないか?」
佐伯は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「承知しました。」
「ありがとう。もしも朝霧がまた術を暴走させた場合は、すぐに報告してくれ。その間、私は火遁の術を抑えるから、佐伯は水遁で朝霧本人を止めてほしい。」
「承知しました。」
(二回目だから大丈夫だって。……たぶん。)
月城は火遁をまだ扱えない生徒たちを前へ集めた。
もちろん、その中にはお気楽な時雨もいる。
「朝霧。」
「え!はい!」
「今度こそ、基礎から正しく教える。一つ一つ確認しながら進めるから、よく見て覚えなさい。」
「はーい…。」
月城は全員の前へ立ち、ゆっくりと両手を構えた。
「まずは印からだ。」
そう言って、一つ目の印を結び始めた。
月城は丁寧に印を結び始める。
指先の動きには一切の無駄がない。
流れるように印が移り変わっていく。
時雨はその手元を食い入るように見つめていた。
本来、忍であれば一度教わった印を忘れることなどまずない。
しかし、時雨だけは違った。
覚えたはずの印が、翌日には綺麗さっぱり頭から抜け落ちている。
「印とは、術を放つためだけに結ぶものではないことは、皆知っているな?」
月城は印を結び続けながら、生徒たちへ語りかける。
もちろん、時雨は初耳だ。
「最も重要なのは『気』だ。印は、体内を巡る気を整え、術へ導くための道筋…。気の流れが乱れていれば、どれほど正確に印を結んでも術は暴発する。」
(気…はよく分からんけど、ひとまず俺は、気が乱れてるから決闘の時やらかしたってことか?)
「逆に、気を完全に制御できれば、最小限の力で最大限の威力を引き出すことができる。」
月城はそこで印を解き、生徒たちを見渡した。
「術とは、ただ威力を競うものではない。気を制する者が、術を制するのだ。」
生徒たちの顔が引き締まる。
「では……やってみなさい。」
月城の言葉を合図に、生徒たちは一斉に印を結び始めた。
それぞれが教わった通り、指を動かしていく。
「火遁の術……!」
生徒たちの小さな声がいくつも響く。
だが――。
何も起こらない。
印は間違っていないはずだ。
手順も合っている。
それでも、炎は生まれなかった。
(これが…さっき言っていた気の問題ってことか?)
時雨は周囲の様子を見ながら考える。
同じ印を結んでいるのに、術が発動する者と、しない者がいる。
ただ形を真似るだけでは足りない。
必要なのは、その先にある「気」の扱いなのだ。
「力を込めすぎるな。」
月城は火遁の術を使えない生徒の元へ歩み寄り、アドバイスをしていく。
「気が一点に集中しすぎている。火を出そうとするな。まずは体内を巡る気を感じろ。術は無理やり引き起こすものではない。」
そう言いながら、別の生徒にも視線を向ける。
「お前は逆だ。気が弱すぎる。何かあればこちらが助けるから、流すことだけに意識しろ。」
月城は一人一人の様子を確認し、細かく修正していく。
すぐに火を出せる者など、ほんの一握り。
多くの生徒は、何度も印を結び直していた。
時雨もまた、自分の中へ意識を向ける。
時雨は先程の月城の動きを思い出す。
(確か……こうして……。)
ゆっくりと印を結んでいく。
指の形を確認しながら、慎重に。
「こうか?…火遁の術!」
……ポスッ。
「……あれ?」
手のひらから小さな煙が上がったが、炎はどこにもない。
時雨は首を傾げる。
もう一度、今度こそ…と思いながら印を結び直した。
だが――。
「…出ねぇな。」
何度試しても、結果は同じだった。
見かねた佐伯が小さく溜息をつきながら、時雨に声をかける。
「……指が違います。」
「え?嘘、どこ?」
「…よく見てください。」
そう言って、ゆっくり正しい形を見せてくれた。
「ほー…なるほどな。おし!ありがとう!」
時雨は勢いよく頷いた後、再び印を結んだ。
「火遁の術!」
ポスッ。
「……あれ?やっぱ出来ない。」
またしても煙だけが出た。その姿を見て、佐伯は信じられない…という顔をしている。
「あなたは何を見ていたのですか…?」
「え?」
「ですから、こうです。こう。」
佐伯は呆れながら、もう一度手本を見せる。
「ははは! ごめんごめん!」
(そういえば…。)
「でもさ、あんたは何で印結んでも火が出ないわけ?」
「…気を出していないからですよ。常識でしょう……?」
「ははははは!そうそう! 常識常識!」
佐伯の表情は少し引きつっていた。
こいつまじか……?という顔だ。
「よし、さすがに覚えた!」
時雨は自信満々に頷いた。
「こうだろ?」
先程、佐伯に教えてもらった印を思い出しながら、素早く指を動かしていく。
今度は間違っていない。
形も順も合っている。
佐伯はその様子を見て、慌てて声を上げた。
「待ってください!」
「え?」
「印だけでは――」
しかし、時すでに遅かった。
「ちゃんと気の流れを意識しないと……!」
佐伯の言葉は間に合わず、時雨の印は最後まで結ばれていた。
ボォォォォォォッ!!
「……っ!?」




