第十六話 神楽と城下町へ
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ここは忍びの世界。
今日は学校が休みだ。
せっかくの休日なのだから昼まで寝ていよう――そう思っていた。
「若様。朝でございます。」
「……もう少し。」
「いけません。」
そう言われても睡魔が…ともう一度夢の世界へ行こうとした瞬間、御影が容赦なく布団を剥ぎ取る。
「うわっ!」
「若様。おはようございます。」
「お前…意外と強引だよな…。はぁ…休日くらい寝てもいいだろ…。」
「生活の乱れは忍びの乱れです。」
「ちょっと何言ってるか分からない。」
御影に急かされ、ぶつぶつ文句を言いながら身支度を済ませる。
時雨は濃紺の着流しに黒い袴という、動きやすさを重視した質素な服装に身を包んだ。腰には護身用の短刀が差されているが、扱えるかは不明だ。名家の跡取りとは思えないほど飾り気はないが、不思議とその姿はよく似合っている。
鏡を見ながら前髪を整えていると、後ろから御影が声をかけてきた。
「若様。」
「ん?」
「お客様がお見えです。」
「……え?客?」
「はい。お客様がお見えです。」
「俺に客?」
(担任の月城か?)
昨日の職員室での件を思い出し、時雨は肩を落としながら返事をする。
「はぁ…せっかくの休みなのに…。」
「既に居間へお通ししております。」
「分かった…居間ってどこだっけ?」
「…ご案内いたします。」
時雨は御影と共に居間へ向かった。
襖の前で一度深呼吸をし、勢いよく開ける。
ガララッ。
そこには――。
見覚えのある青年が、涼しい顔で茶を飲みながら菓子をつまんでいた。
白い着物に深緑の羽織を重ねた上品な装いに、胸元には家の家紋がさりげなく入っている。
「お前っ……!」
時雨は思わず指を差す。
「神楽じゃねぇか!!」
青年――神楽はにこりと時雨へ微笑む。
「やぁ、朝霧くん。いい天気だね。」
(なんで通した!?)
目だけで横にいる御影に必死に訴える。
しかし御影は何事もなかったかのように、時雨から視線を逸らした。
(こいつ…無視しやがった……。)
「チッ……なんだよ。」
「昨日のお礼をしてもらおうと思ってね。」
「……お礼?何のだよ。」
「あれ?もう忘れたの?月城先生のところで助けたじゃないか。」
「うっ……。」
(そういえばそうだった…。)
確かに、昨日は神楽に助けられた。
結局バレてはいたが…
「だからって…こんな朝から、わざわざ家まで来なくてもいいだろ。」
呆れたように言うと、神楽は湯呑みを置いて微笑みかけてきた。
「せっかくの休みだからね。何より、早くしないと朝霧くん、忘れちゃいそうだから。」
「さすがに一日じゃ忘れねぇよ。」
「そうかな?君、昨日も僕の顔見て『誰だっけ?』って顔してたし。」
「うっ……。」
痛いところを突かれた。
実際、この世界へ来てまだ日が浅い時雨は、人の顔と名前を覚えるだけでも精一杯だった。
「…色々あんだよ。」
「ふふ。やっぱり朝霧くんは面白いね。」
「面白くねぇよ。…それで?お礼って何すればいいんだよ。」
「難しいことじゃないよ。今日一日、僕に付き合ってほしいんだ。」
「はぁぁー!?」
時雨は思わず声を上げた。
「なんで俺が付き合わなきゃいけねぇんだよ。」
「どうせやることないんでしょ?君、友達いなさそうだし。」
「痛いとこ突くなよ……。」
「ははっ、ごめんごめん。」
神楽は悪びれる様子もなく笑う。
「で? どうする?」
「どうするって…どこ行くんだよ。」
「城下町。最近、新しい和菓子屋ができたんだ。そこへ行きたくてね。」
「城下町って何?」
「……それ、本気で言ってる?」
見かねた御影が、そっと時雨の耳元へ口を寄せた。
「城下町とは、商人や職人が集まる町のことでございます。」
「アウトレットみたいなもんか?」
「あうと……れっと?」
神楽が首を傾げる。
「いや、こっちの話。…まぁ、暇だし行ってもいいぞ。」
「本当?」
その言葉に、神楽の表情がぱっと明るくなる。
「じゃあ、さっそく行こう!」
神楽はすぐに立ち上がり、玄関へ向かおうとした。
御影も当然のように二人の後ろへ付こうとする。
しかし神楽が手を上げて制する。
「あ。君はここに残ってよ。」
「……。」
御影の表情が僅かに険しくなる。
「それは出来ません。」
「朝霧家は少し過保護すぎるよ。何かあれば、僕が守るし。」
「しかし……。」
「まぁいいんじゃねぇか。たまにはお前も休んどけよ。何かあったら走って帰ってくるし。」
「……。」
御影はまだ納得していない。
すると神楽が困ったように笑った。
「いやいや。僕が守るって言ってるんだけど。」
「何で野郎に守られなきゃいけねぇんだよ。」
「彼も野郎の一人だけど?」
「…あぁいえばこういうな、お前。」
時雨は呆れたようにため息をついた。
「ほら。さっさと行くぞ。」
二人は屋敷を出る。
玄関の前には、一台の立派な馬車が止まっていた。
漆黒の車体に、神楽家の家紋が刻まれている。
「これで行くのか?」
「うん。」
神楽は自分で扉を開け、時雨へ手を向けた。
「さぁ、乗って。」
「…姫扱いやめろ。」
時雨は神楽の手をスルーし、馬車へ乗り込んだ。その向かいへ神楽も腰を下ろす。
外では御影が静かに一礼していた。
「お気を付けて、若様。」
「あぁ。じゃあな。」
御者が手綱を鳴らす。
馬がゆっくりと歩き始め、やがて速度を上げる。
ガタゴトと心地よい揺れが馬車の中へ伝わった。
窓の外には朝霧家の屋敷が少しずつ遠ざかっていく。
そして二人を乗せた馬車は、賑わう城下町へ向けて走り出した。
城下町へ着くと、辺りは人で溢れ返っていた。
威勢のいい呼び込み。
軒先に並ぶ色鮮やかな品々。
焼きたての団子の香りが風に乗って漂う。
城下町の雰囲気に時雨は思わず目を輝かせた。
「おぉ……!なんだこれ!」
目に留まったのは、木で作られた小さなからくり玩具。
歯車を回すと、小さな侍人形が刀を振り、忍び人形が屋根を飛び移る。
「すげぇ!」
夢中になって玩具を眺める時雨に、神楽は思わず笑みをこぼした。
「そんなに珍しい?」
「あぁ。初めて見た!…あっちは何だ?」
「ふふ。君は本当に落ち着きがないねぇ。」
時雨は店先に並ぶ透き通った細工へ顔を近付けた。
「綺麗だな、これ。何て名前?」
「ガラス細工だよ。」
「へぇー……。」
陽の光を受けて七色に輝く小さな飾りを、時雨は子どものような顔で見つめる。
だが、その興味も長くは続かなかった。
「あっちから美味そうな匂いがする。行こう!」
「ちょっ…朝霧くん!」
神楽が止めるより早く、時雨は人混みへ飛び込んでいく。
「待って!」
神楽は慌てて後を追う。
焼き団子の店を覗いたかと思えば、今度は忍具屋。
忍具屋を出たかと思えば、隣の和菓子屋。
和菓子屋を出れば、今度は玩具屋へ…。
「これ何だ?」
「おぉ! すげぇ!」
「こんなの初めて見た!」
次から次へと店を渡り歩いては、ハイテンションになっていく。
その姿は、まるで初めて祭りへ来た子どものようだった。
神楽は思わず笑みを零す。
「城下町に初めて来た訳じゃないだろう…?」
聞きたいことは山ほどある。
どうして急に人が変わったのか。
どうして術が使えるようになったのか。
だが――。
「おーい!早く来いよ!」
「…今日はいいか。今行くよー。」
今はただ、この無邪気に城下町を楽しむ時雨を見ていようと思った。
休憩を挟みながら城下町を歩いていると、時雨はふと足を止めた。
「なぁなぁ。」
「ん?どうしたんだい?」
「あいつに何か買って帰りたいんだけど。」
「あいつって…もしかして君の付き人くんかい?」
「うん。いつも世話になってるし、ちょうどあいつの監視もないから今のうちに何か買いたいなって。」
「うーん…実用的な物なら喜ぶんじゃないかな。」
「実用的?」
「例えば……手ぬぐいとか。忍びって汗も拭くし、包みとしても使うし、怪我をした時には応急処置にも使えるし…。何枚あっても困らない物だしね。」
「なるほど…。」
「まぁ、君から貰った物なら何でも喜んでくれると思うよ。」
「そうか。じゃあ手ぬぐいにする!」
神楽の案内で、二人は手ぬぐいを扱う店へ足を運んだ。
棚には様々な柄が並んでいる。
「これは派手すぎるか……。」
「あいつのイメージは黒だけど…うーん。」
「なんだこの柄は……。」
真剣な表情で一枚一枚見比べる時雨を見て、神楽は不思議そうにただ見ていた。
ただの付き人に、手ぬぐい一枚でそこまで悩むものなのかと。
「そんなに悩む…?」
「当たり前だろー?毎日使う物なんだし。」
しばらく色んな手ぬぐいを眺めていたが、ようやく決まったのか一枚の手ぬぐいを神楽へ見せた。
「これにする!」
それは鮮やかな黄色の手ぬぐいだった。
明るく、少し目を引く色。
神楽はそれを見て、少しだけ首を傾げる。
「良い色だけど…君の付き人には、少し合わなさそうな色じゃない?」
御影はいつも黒装束に身を包んでおり、表情もほとんど変わらない。
そんな彼が黄色の手ぬぐいを持っている姿は、確かに少し想像しづらい。
しかし、時雨は迷うことなく答えた。
「いいんだよ。俺の好きな色だから。」
そう言って笑う。
「それにさ、あいついっつも黒ばっかりだから、たまにはこういう色も持ってていいだろ?」
「なるほど…。その考えは素敵だね。じゃあ、それにしよう。」
時雨は満足そうに頷いた。
そして手ぬぐいを購入し、店を出る。
時雨は満足そうに袋を眺めていた。
「さて…そろそろ僕の行きたい店に行ってもいいかな?」
「あ。」
時雨はそこでようやく気付いた。
本来の目的は、神楽へのお礼だ。
なのに気付けば、自分の行きたい場所ばかり回っている。
「ご、ごめん!!」
「いや、謝らなくていいよ。君の新しい一面を知れたから、僕としては良かったし。」
そう言って、神楽は優しく微笑んだあと、
ぽん。と優しく時雨の頭に手を乗せた。
「……。」
あまりの自然な行動に、時雨は一瞬固まってしまう。
「お前…それ、女子にやるなよ。」
「え?なんで?」
「なんでって…普通に勘違いされるぞ。」
「?」
「その反応も含めてだよ……。」
神楽は本気で分かっていない顔をしながら、首を傾げている。
「この天然タラシが……。」
「天然?それは褒めてるの?」
「褒めてるわけねぇだろ。」
そんな会話をしながら、二人は神楽の目的の店へ向かって歩いていく。
城下町の賑やかな通り。
神楽のことはまだ警戒しているが、時雨がこの世界へ来てから、初めて心から楽しめる休日なのは確かだ。
「ほら、これ被ってみてよ。」
「うわっ!何これ。キツネ?」
キツネのお面を被らされ、何故か神楽は楽しそうに笑っている。
「ふふ。意外と似合うね。じゃあ次はこれとかどう?」
「…店に行くんじゃなかったのかよ。」
されるがままの時雨に、満足そうにお面を付け替えている。
「兄上?」
――その時、背後から女の子の声がした。
時雨が振り返るとそこに立っていたのは――。
(見たことねぇ女子だな。)
整った顔立ちに涼しげな瞳。
上品な立ち振る舞いは、どこか神楽に似ていた。
長い愛色は綺麗に整えられ、後ろ手に一本で結ばれている。そして淡い色の着物がその雰囲気によく似合っていた。
(誰だ?俺の知り合いか?それとも…神楽の彼女とかか?)
時雨がそんなことを考えていると、隣にいた神楽が口を開いた。
「……こんなところで何をしている。澪。」




