第十三話 月城先生からは逃げられない
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放課後。
授業の終わりを告げる鐘が鳴り響き、生徒たちは思い思いに教室を後にしていく。
『朝霧…。授業が終わったら、職員室へ来なさい。』
『話があるからだ。いいな?』
授業中、月城に言われた言葉だ。当然、時雨も覚えている。
――だが。
「よしっ!」
時雨は、職員室と反対方向に全力で駆け出していた。
――そう。逃げているのである。
(職員室なんか行ったら絶対問い詰められる!)
後のことは考えていない。とにかく今なんとか逃げないと。
廊下を走りながら後ろをちらりと振り返る。
…月城が追ってくる気配はない。
(このまま校門まで行けば――…)
「いでっ!!」
ゴンッ、と鈍い音が響く。
額に激しい衝撃が走り、時雨は思わず顔を押さえた。
「いっ……たぁ……。」
「大丈夫?」
穏やかな声が頭上から降ってきた。
どうやら男子生徒とぶつかったみたいだ。
「ちゃんと前を見て歩かないと危ないよ。」
「あぁ…わりぃ…!?」
両手で額を抑えながら顔を上げると、男子生徒の顔が見えた。
「お前っ……!!」
そこに立っていたのは神楽だった。
整った顔立ちに爽やかな笑み。そしてスラリとした長身。
廊下を歩く女子生徒たちは神楽を見つけるなり、頬を赤く染めて小声ではしゃぎ始めている。
(コイツ無駄に顔が良いせいか…腹立つな。)
理不尽な理由だが、時雨は少しだけ相手を睨みつける。
あまり睨みが聞いていないのか、神楽は苦笑しながら時雨の顔を覗き込んだ。
「思い切り顔をぶつけたみたいだけど…あぁ、やっぱり赤くなってる。」
「ばっ!見るな!触るな!ってか、二度と近付くなって言っただろ!」
「近付いてきたのは朝霧くんじゃないか。僕は普通に歩いていただけだよ。」
「んなわけ……!!」
時雨は少し考えた。
(……確かに。ぶつかったの俺か…。)
よく良く考えれば、前を見ず廊下を走っていたのは事実だ。時雨は気まずそうに頭を掻く。
「それは……悪かった。お前は怪我してないか?」
神楽は一瞬きょとんとした表情を浮かべると、くすりと笑った。
「ははっ。大丈夫。僕は何ともないよ。」
そう言って制服についた埃を軽く払う。
「相変わらず君は面白いね。」
「…なんも面白いこと言ってないんだが。」
「それより、だいぶ急いでたみたいだけど…どこへ行くつもりだったの?」
「……。」
時雨は思わず視線を逸らす。
「いや…早く家に帰ろうと…」
「職員室へ呼ばれていたんじゃないの?」
「っ!」
図星だ。
「もしかして…月城先生から逃げようとしてたの?」
「ち、違っ……!」
目の前の時雨がアタフタする姿を見て、神楽は思わず吹き出した。
「はははっ!ごめんね。あまりに分かりやすいから。」
「…悪かったな。」
「馬鹿にしてないよ。可愛いなぁと思っただけで。」
「男に可愛いって言うなよ…。」
神楽はひとしきり笑うと、ようやく息を整えた。
「それで?今日は何をやらかしたの?」
「何もしてねぇよ……。ただ、歴史の問題が分からなくて呼び出しくらっただけ。」
「……歴史?」
時雨の言葉に、神楽は思わず聞き返した。
「君が…?本当に?」
「うん。」
「僕が唯一、一位を取れなかった科目なのに?」
「……え?」
時雨は目をぱちくりさせる。
「俺、歴史一位だったの?」
「……忘れたの?」
「いや、その……。」
しまった、と時雨は内心で舌を打つ。
(また余計なこと言った……!)
「そうだった、そうだった。俺、一位だったわ、うん。」
苦笑いを浮かべながら誤魔化す。
神楽はどこか腑に落ちない様子だったが、それ以上は追及しなかった。
「ちなみに、どんな問題だったの?」
時雨は天井を見上げ、思い出すように口を開く。
「えーっと……。五大遁術がどうとか、その歴史がどうとか。」
「え…。」
「初代五家が何とかって言ってた気がするな。」
神楽は驚いているのだろうが、それだけでなく少し引いている。
「そんな…当たり前の事も忘れるなんて、本当に珍しいね。」
「そうなのか?俺からしたら、初めて聞く話だったからなぁ…。」
「ん?」
「いや、何でもない。」
また危うく本音が漏れそうになり、時雨は慌てて話を切り上げた。
「じゃあ俺は行くから。とにかくもう関わるなよ!!」
神楽に文句を言いながら、ゆっくり門の方向へ歩いていく。
それを見た神楽は何故かクスッと笑っている。
「朝霧くん…ちゃんと前を見て歩く癖をつけた方がいいよ?」
「……え?何て──」
「どこへ行く気だ。」
低く落ち着いた声が頭上から聞こえてきた。
時雨の肩がぴくりと震える。
声の主はだいたい検討がつく。
時雨は恐る恐る振り返った。
「つ……つきしろ……。」
月城は腕を組み、じっと時雨を見下ろしていた。
「月城“先生”だろう、朝霧…。」
「あ……すみませ…。」
「なかなか来ないと思えば…どこへ行こうとしていた。」
「あぁ…まぁ…そのー…」
「職員室は反対方向だろう。」
「いや、あの……。」
時雨は視線を泳がせる。
何か言い訳を考えようとするが、一つも思い浮かばない。
完全に追い詰められたその時、神楽が口を挟んできた。
「実は僕が朝霧くんを呼び止めてしまったんです。昨日の決闘の件で少し話をしていて…。」
「え?」
(なんでこいつ…。)
「彼を引き止めたのは僕です。月城先生、申し訳ありませんでした。」
「朝霧…それは本当か?」
「まぁ…はぁ…」
「朝霧くんは、今から先生のところへ向かうところでした。そうだよね?」
「う…うん…。」
(俺を庇ってる?)
月城は二人を見比べた後、渋々納得した様子で口を開いた。
「事情は分かった。じゃあ朝霧、今度こそ職員室へ来なさい。」
「……はい。」
時雨は観念し、月城の後ろへついていく。
「またね。朝霧くん。」
ニコニコしながら、時雨に向かって手を振っている。
その姿はまるで王子さながらだ。
「またねじゃなくて、さようならだろうが…。」
強く言いたいところだが、助けてくれた礼もある為小さく呟いた。
神楽は聞こえているのか聞こえていないのか、時雨の言葉には何も返事をしなかった。
職員室へ入ると月城は自分の机へ向かい、椅子へ腰を下ろした。
「そこへ座りなさい。」
「はい……。」
時雨は横の空いている椅子に腰掛けた。
職員室には数人の教師がいたが、二人の様子を気にしながらも仕事を続けていた。
月城は腕を組み、静かに口を開く。
「……何の話かは分かるな?」
「歴史の授業…ですよね?」
「分かっているなら説明しなさい。あんな基礎問題…誰でも答えられるはずだぞ。」
月城の強い視線に耐えきれず、時雨は思わず目を逸らす。
「いやぁ…昨日、術を使った反動で記憶が吹き飛んだのかなぁ……なんて。」
乾いた笑いを浮かべると、月城は深いため息をついた。
「誤魔化すな。」
「……。」
時雨は頭を掻きながら視線を泳がせた。
何かうまい言い訳はないかと必死に考える。
だが、時雨の頭では何も思い付かない。
「先ほどのように、助け舟は来ないぞ。」
月城は静かに言った。
時雨は思わず顔を上げ目を合わせる。
「……え。」
「神楽が庇ってくれたことくらい、見れば分かる。」
(バレてんのかーい!!)
心の中で盛大にツッコミを入れる。
神楽の名演技も、月城の前では通用していなかったらしい。
時雨は観念したように深く息を吐いた。
「その…本当に何も覚えてなくて…。」
「覚えてない…?」
「はい…。綺麗に記憶が抜け落ちたと言いますか…その代わり、術が使えるようになったと言いますか…。」
(間違ってはないだろ…。うん。)
「意味の分からんことを言うな。」
「ですよねー…。」
月城は深いため息をついた。
やはり納得していないのだろう。
(……もう本当のこと言っちまうか?『別の世界から来ましたー!』って。……いや、絶対信じてもらえねぇよな。それどころか余計に質問攻めにされるだろうし…。)
時雨が頭を抱えていると、月城は机の引き出しを開け、一枚の紙を取り出した。
「これを見なさい。」
机の上へ置かれた紙を見て、時雨は目を丸くする。
「これ……俺が書いた反省文?」
「そうだ。」
月城は呆れたように反省文を指で叩いた。
「この字。読めたものじゃないぞ。」
時雨は紙を手に取り、自分の字を見つめる。
「……そんなに?」
「あぁ。それに内容も酷い。」
「そこまで言わなくても……。」
そして月城はもう一枚、机の引き出しから紙を取り出した。
「これは覚えているか?」
時雨は受け取り、首を傾げる。
「何これ……誰の?」
「お前のだろう。以前、提出した課題だ。」
時雨は再度、紙へ視線を落とした。
そこに並んでいた文字は――。
先ほどの反省文とはまるで別人だった。
癖の少ない整った字。読みやすく、美しい筆跡。
時雨は反省文と見比べる…が、どう見ても同じ人間が書いた字には見えなかった。
「これはお前が試験前日に提出した課題だ。それが、たった一日でここまで字が崩れるものか?」
時雨は二枚の紙を交互に見つめる。
…ふと思い出した。
(そういえば…あいつが書いた日記の字も綺麗だったな。)
「試験の日からだ。お前は人が変わったようになった。」
時雨の心臓が一つ大きく脈打つ。
「今まで私に対して、お前が敬語を外したことは一度もない。それに、一人称も『俺』ではない。『僕』だったはずだ。」
その言葉に時雨は引きつった笑みを浮かべる。
額から冷や汗が滲み出てきた。
「……そう、でしたかね?」
「担任を舐めるな。」
「…。」
「口調。歩き方。態度。文字…。どれを取っても以前のお前とは違う。まるで…。」
「まるで……?」
「中身だけ、別人と入れ替わったようだ。」
(……バレてる。)
その一言で、時雨の背筋に冷たいものが走った。
月城の真剣な眼差しからは逃げられない。
(…もう無理だ。面倒なことになるけど……全部話すしかない。)
時雨が覚悟を決め、ゆっくりと口を開こうとした――その時だった。
ぞくり。
どこからか気配を感じる。
時雨が気付くより先に、月城がその気配を感じ取っていた。
反射的に椅子を蹴って立ち上がり、素早く構えを取りながら振り返る。
月城の背後に、一人の人影が静かに立っていた。
「あなたは…。」
月城は目を見開いて固まる。
黒装束に身を包んだ青年は、いつものように静かに一礼した。
「若様、お迎えに上がりました。」
その一言で、時雨は思わず肩の力が抜けた。
そう。時雨の付き人、御影だ。
「お前かよ…。びっくりした…。」




