第十二話 九条家へ苦情!
「では、授業に戻るぞ。まずは五大遁術、それぞれの難易度について確認する。」
月城は黒板へ五つの属性を書き、その横へ順番に丸印を付けていく。
「一般的に、最初に習得すると言われているのは火遁だ。印の数も比較的少なく、初心者でも術を形にしやすい。」
(へー…。)
「だが、火遁は習得しやすいだけで、決して扱いやすい術ではないぞ。炎は一度制御を失えば、敵味方の区別なく焼き尽くすからな。そのせいで毎年、初心者が最も事故を起こすのも火遁だ。」
(たぶんそれ俺だなぁ…。)
「対して水遁は習得に時間を要すが、制御は比較的容易。風遁は応用の幅が広く、術者の技量がそのまま威力へ反映される。」
(制御が安易なら、火遁を使うより俺は水遁の方が合ってんのか…?)
「土遁は防御や地形変化に優れ、雷遁は五大遁術の中でも特に習得難度が高い術だ。」
月城は黒板へ視線を向けたまま話を続ける。
「何名かは既に火遁や水遁を扱えるが…五大遁術すべてを自在に使いこなせる者は、このクラスにまだいない。卒業までには、最低でも五大遁術の基礎を修得できるよう励むように。」
そう言うと、月城は視線を生徒たちへ向けた。
「じゃあ、以前学んだ五大遁術の歴史について覚えているか確認するぞ。」
「……歴史ぃ?」
時雨は思わず小さく呟いた。
月城は教室を見渡し、一人の生徒を指名する。
「火遁が最初に体系化されたのはいつか分かるか?」
「はい。約三百年前、五家が――」
(おいおいおい……。初耳だぞ…。)
「正解。じゃ次は――」
そう言い月城は別の生徒を指名した。
「水遁が発展した理由は?」
「川や湖の多い地域で実戦向きだったためです。」
「その通り。」
質問は次々と続いていく。
生徒たちは当たり前のように答え、月城も満足そうに頷いていた。
一方で、時雨だけは完全に置いていかれていた。
(何一つ分からんぞ…。)
きっと前の時雨なら答えられたのだろう。
だが今は違う。
学んできたであろう歴史の記憶を引き出そうとするが、まったく出てこない。
(そろそろ当てられるか…?)
嫌な予感しかしない。
そして、その予感は見事に的中した。
「では、朝霧。」
「……はい。」
「五大遁術誕生の経緯について説明してみなさい。」
教室中の視線が一斉に集まる。
「…………。」
「どうした?。」
「いや………ううん…。」
やがて諦めたように口を開く。
「……分かりません。」
「えっ……分からない…?」
月城は目を丸くする。
「歴史はお前の得意な科目の一つだろう…?」
周囲の生徒たちも信じられないという表情を浮かべている。
「じゃあ…初代五家が制定した『五遁の誓約』とは何を目的としたものか、分かるか?」
「…………。」
(知らん。)
頭をフル回転させても、それらしい答えは一つも浮かばない。
「……分かりません。」
月城の眉がぴくりと動く。
「…五大遁術を体系化した人物の名は?」
「分かりません。」
「朝霧…本当にどうしたんだ?お前らしくない。昨日の決闘で頭でも打ったのか…?」
「打ってないけど…。」
(どうしたもこうしたも…。俺が歴史を学ぶのは初めてなんだって!)
胸の内でそう呟いても、口には出せない。
言っても誰も信じないだろう。
この身体には、日常生活に困らない程度の記憶だけが残っている。
文字の読み書きや忍装束の着方。
そういったものは考えなくても、身体が勝手に動いてくれる。
だが、それだけだった。
歴史や学問は違う。
誰かに教わり、何度も勉強し、ようやく身につく知識。
身体が覚えるものではない。
当然、この世界の歴史など知るはずもなかった。
……いや。
正確には、この身体の本来の持ち主は知っていたのだろう。
けれど今ここにいるのは、勉強が得意とは到底言えない、別の時雨。
(ただ思い出せないだけか…全部忘れたって事かね…。)
月城はしばらく考え込んだあと、小さく息を吐いた。
「朝霧…。授業が終わったら、職員室へ来なさい。」
「えっ……何で…。」
「話があるからだ。いいな?」
「はい……。」
時雨の返事を聞くと、月城はそれ以上追及することなく授業を再開する。
時雨は教科書へ視線を落としたまま、小さくため息をついた。
(……まずいな。)
この二日間で色々怪しまれている事は、周りの雰囲気を見れば分かる。
月城もその一人だろう。
職員室へ呼ばれれば、当然理由を聞かれてしまう。
(なんて答えりゃいいんだよ……。)
『別の世界から来ました。』
そんなことを言って信じる人間などいるはずがない。
頭がおかしくなったと思われるのが関の山だ。
時雨は頬杖をつきながら、どう誤魔化そうか必死に考え続けていた。
♢♢♢
――一方、その頃。
朝霧家当主…時雨の父は、御影を伴い九条家の屋敷を訪れていた。
御影の両手には、朝霧家の家紋が入った風呂敷に包まれている手土産が抱えられていた。
屋敷の立派な門を叩くと、しばらくして一人の使用人が姿を現した。
「朝霧家当主様。本日はようこそお越しくださいました。」
丁寧に頭を下げる使用人に案内され、二人は静かな廊下を歩く。
磨き上げられた床、手入れの行き届いた庭園。
名家・九条家に相応しい、威厳ある屋敷だった。
「こちらへどうぞ。」
襖が静かに開かれ、二人は客間へと通された。
「旦那様はまもなく参られます。」
使用人は丁寧に一礼すると、静かに客間を後にした。
時雨の父は勧められた座布団へ腰を下ろす。
その後ろには、御影が背筋を伸ばしたまま静かに控えていた。
間もなくして、別の使用人が襖を開ける。
「失礼いたします。」
盆の上には湯気の立つ茶と、上品に盛り付けられた和菓子が並んでいた。
使用人が二人の前へ茶を置く。
時雨の父は小さく頷き、御影へ視線を向けた。
「御影、手土産を。」
「かしこまりました。」
御影は持っていた風呂敷を丁寧に差し出す。
「朝霧家当主様より、お納めください。」
使用人は両手で受け取ると、深々と頭を下げた。
「確かに、お預かりいたします。」
それからほどなくして――。
「旦那様がお見えになりました。」
襖が静かに開くと、そこへ姿を現したのは九条家当主・九条 義宗だった。
年齢は時雨の父と同じくらいに見える。
鍛え上げられた体躯に、鋭い眼差し。
静かに立っているだけで、長年一族を率いてきた者だけが持つ威厳が伝わってくる。
「……待たせたな。」
「いいや。突然の訪問にもかかわらず、歓迎してくれたこと…感謝するよ。」
「ふんっ…。わざわざ朝霧家当主様が来るとは…。何の用だ。…宗一郎。」
時雨の父――宗一郎は優しい雰囲気を纏っているが、目はまったく笑っていない。
「時雨が、ご子息の正臣君に怪我を負わせてしまってね。」
「……怪我?そういえば正臣は手当を受けていたようだが。」
「どうやら、正臣君に決闘を申し込まれたみたいでね。」
「…正臣が?」
「あぁ。その最中、時雨が火遁の術を発動したらしいんだが…制御が上手くできず、正臣君に怪我をさせてしまったんだ。」
その言葉を聞いた義宗の表情が変わる。
「……待て。今、何と言った。」
「時雨の火遁の術に、正臣君が巻き込まれて怪我をしたと言ったんだが?」
「宗一郎の息子が……火遁の術を…だと?」
正臣の怪我の話より、はるかに衝撃的なことだった。
「術を使えるようになったというのか?」
「あぁ。昨日の試験で初めて火遁を発動させたみたいでね。」
宗一郎の言葉を聞き、義宗は腕を組んだ後しばらく黙り込む。
幼い頃から何度も顔を合わせてきた朝霧時雨。
誰よりも術が使えず、そのことで苦しみ続けてきた少年が。
──火遁を使った。
義宗は怒りで拳が震えている。
「……九条家といえば、火遁の名家。代々、火遁を極めてきた一族だ。」
「あぁ…。」
「その家の息子が…初めて火遁を使った者に敗れたというのか。」
怒りというより、己への苛立ちだった。
正臣は幼い頃から五大遁術…特に火遁を叩き込まれ、誰よりも努力してきた。
その正臣が、昨日まで術すら使えなかった時雨に敗れたというのだ。
義宗には到底受け入れ難い事実だった。
「改めて月城先生からも連絡が入ると思うけど…その前に、私の口から伝えておきたくてね。後日、改めて時雨を連れて謝罪に──」
「いらん。」
義宗はその言葉を遮った。
「元はと言えば、正臣が決闘を申し込んだのだろう。ならば怪我を負うことも想定の内だ。」
「だが…。」
「術を防げなかった正臣の責任……。それだけのことだ。」
「時雨は制御出来ないほどの力を放ったと聞いた。…仕方ないだろう?」
「仕方ない……?火遁の名を背負いながら、己より未熟な者の術を見切れなかったことをか!」
義宗の強い言葉に、宗一郎は何も返せなかった。しばらく視線を合わせたあと、宗一郎が口を開いた。
「……すまない。少々口を挟み過ぎた。」
「…いや。熱くなり過ぎたのは私の方だ。」
二人の間に張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
宗一郎は湯呑を手に取り、一口だけ茶を含んだ。
「…時雨が正臣君に怪我を負わせたことについては、親として申し訳なく思っている。だが、術が使えないと分かっている相手に決闘を挑んだこと…それは九条家次期当主として、どうなのだろうとは思うがね。」
義宗は何も言わないかわりに、宗一郎をただ黙って見ていた。
「時雨を見下していたのか…それとも、自分なら必ず勝てるという慢心があったのか…。」
「宗一郎…。」
「時雨が負ければ退学という、くだらない条件を付けたとも聞いた。それに関しては、月城先生も止めるべきだったとは思うが。」
「…あぁ。」
「正臣君も、自分の立場を理解して行動しなければならない。一つの行動が、一族全体の名に関わることを…。」
義宗は目を閉じ、静かに息を吐く。
「……正臣には、私から改めてきちんと話をしておこう。これまでの非礼を詫びさせる。」
宗一郎は小さく首を横に振る。
「いや…分かってくれればいい。こちらにも非はあるからな。」
そう言って立ち上がる。
「長居をしてしまったな。これで失礼するよ。」
宗一郎の言葉に反応し、義宗も立ち上がり襖へ向かった。
「門まで送る。」
「いや、ここで結構だ。ありがとう。」
宗一郎は穏やかに義宗へ笑いかけた。
そしてそのまま玄関へ向かおうと体を向き直したとき、背中から義宗が声を掛けてきた。
「……一つ、伺ってもいいか。」
宗一郎は振り向かず、足を止め返事をした。
「どうした?」
「時雨に…何かあったのか。」
「はは…どうしてそう思う?」
「時雨は術を使えないと聞いていた。そのために朝霧家は次期当主を失い、一時は没落しかけたとも耳にしている。」
「あぁ…色々言われてたな…。」
「それほどまでに、術というものは覆し難いものだ。なのになぜ、急に火遁を……?」
「決まっているだろう?あの子が努力を重ねてきた結果だ。」
宗一郎の返答に義宗は眉をひそめる。
「努力をしても、どうにもならないこともある。それが術だ。お前も分かっているだろう?」
宗一郎はゆっくりと振り返り、義宗の目を真っ直ぐ見つめた。
「……私の息子が、努力で勝ち取ったのだ。…それ以上でもそれ以下でもない。」
その一言には、不思議な重みがあった。
義宗は思わず言葉を失う。
宗一郎は先ほどまでの真剣な表情を和らげ、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「行くぞ、御影。」
「はい。」
御影は深く義宗に一礼し、宗一郎の後に続く。
義宗はその背中が見えなくなるまで、ただ黙って見送っていた。
朝霧家の家紋が入った馬車が、九条家の門前で静かに待機していた。
宗一郎は御者へ軽く会釈をすると、そのまま馬車へ乗り込む。
御影は馬車の横で足を止め、宗一郎に一礼した。
「私はこのまま若様を迎えに学校へ向かいます。」
「…今日はこのあと予定はない。一緒に馬車で向かおうか。」
思ってもいない言葉に、御影は少し困ったように目を伏せた。
「ですが、奥様がお待ちかと……。」
「構わない。せっかくなら、三人で一緒に帰った方が彩乃も喜ぶだろう。」
そう言って、馬車の向かいの席を軽く叩く。
「さあ、御影も乗りなさい。」
主人からの言葉に逆らう理由はない。
「……失礼いたします。」
御影は深く頭を下げ、静かに馬車へ乗り込んだ。
扉が閉まると、御者が手綱を軽く鳴らす。
車輪の音を響かせながら、馬車は影陰忍術学校へ向けて走り出した。




