第十話 こっちの世界の時雨の様子
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朝霧時雨の長所は何かと聞かれれば、誰もが同じ答えを口にするだろう。
明るく、よく笑い、誰とでもすぐに打ち解ける性格。
そして何より、驚くほど丈夫な身体だ。
風邪一つひかず、多少の熱なら「寝たら治る」と笑い飛ばす。
そんな時雨が――…なんと学校を一週間も休んだのだ。
「…まだ既読つかない。」
親友の高橋陽斗は、スマートフォンを見つめ小さくため息をつく。
「家に行っても会えなかったもんね。」
幼なじみの松川雫も、すごく心配そうにしている。
「おばさんは『部屋にはいる』って言ってたけど、全然出てこないんだよね…。」
「でもさ、時雨が一週間も学校休むなんて…しかもスマホも見ないとかおかしくね?」
「うん…。時雨はすぐに既読つけてくれるもんね…。」
二人の間に重い空気が流れる。
勉強は嫌いだが、学校は好きで毎日来ていた。
スマホだって肌身離さず持っている奴だ。
一体どうしたのかと心配していたその時、教室の扉が開いた。
――ガラッ。
「……時雨!」
陽斗が勢いよく立ち上がる。
扉を開けたのは朝霧時雨…のはずだが、少し様子が変だ。
「お前…その髪…」
時雨の髪は高校入学してから変わっていない。
自分で金髪に染めていた。
美容室に行くのがめんどいからという理由で、襟足まで伸びている痛みきった髪。
どれだけ先生に怒られても、生活指導が入っても、時雨は黒に戻そうとしなかった。
なのに今…目の前にいる時雨の髪は真っ黒だ。
きちんと美容室に行ったのだろう。
短く整えられ、心なしか傷んだ箇所もマシになっている気がする。
「時雨…髪の毛…どうしたの?」
雫も驚いているようで、目を見開きながら時雨に近づいていく。勿論驚いているのはこの二人だけではない。クラスメイト全員が口を開けて時雨を見ていた。
そして誰もが想像していなかった言葉を発した。
「高橋陽斗さんに、松川雫さん……で、合っていますか?」
突然の問いに、雫は目をぱちぱちと瞬かせる。
「え……?」
「な、なんだよそれ!一週間ぶりに来たと思ったら、髪の毛も染めちまって…。」
陽斗の言葉を完全に無視し、時雨は雫へ視線を向けた。
「僕の席は、どちらでしょうか。」
雫は困惑しながらも教室の奥を指差す。
「えっ…。席替えしてないから……まだあそこだけど…。」
「そうですか。ありがとうございます。」
軽く頭を下げると、時雨は自分の席へ向かった。
椅子を静かに引き、腰を下ろす。
そして鞄を開けると、中から一冊の分厚い参考書を取り出した。
「……。」
迷いなくページを開き、黙々と読み始める。
その様子に、教室中が静まり返った。
「……時雨…だよな…?」
陽斗が雫にゆっくりと質問をする。
「う、うん……。」
雫も頷くが、その声に自信はない。
朝霧時雨は、授業前に参考書を開くような人間ではない。
なんなら参考書ってなに?のレベルだ。
それなのに今は、周囲の視線など気にも留めず、真剣な表情で参考書に目を走らせている。
「一週間寝込んで、変になったのか…?」
その日一日、朝霧時雨はどこかおかしかった。
授業が終わるたびに、机の中から分厚い参考書を取り出す。
休み時間になると、黙々とページをめくりノートへ何かを書き込んでいた。
スマートフォンを取り出すことは、一度もない。
「……なぁ。」
陽斗は時雨を眺めながら、隣の雫へ小声で話しかける。
「時雨って、こんな勉強熱心だったか?」
「ううん……。」
雫も時雨を眺めながら首を横に振る。
「休み時間はいつもスマホで動画見たり、寝たりしてたのに……。」
「だよなぁ…。しかも一人称も変わってね?“僕”とか言わなかっただろ?」
「うん…。それにずっと敬語だよね…。」
そして昼休みになり、陽斗は立ち上がる。
「時雨! 購買行こうぜ!」
いつもなら真っ先に飛びつく誘い。
しかし時雨は首を横に振った。
「結構です。来る途中で買ってきましたので。」
そう言って鞄から取り出したのは、小さな袋に入った塩おにぎりだった。
「……え?」
陽斗は思わず固まる。
「お前……コンビニで塩おにぎりなんか買ったことあったか?」
時雨は袋を開けながら首を傾げる。
「駄目だったでしょうか。」
「いや、駄目じゃねぇけど……。」
いつもの時雨なら、購買へ行ってパンや揚げ物を買い中庭で食べていた。
塩おにぎり一つだけで満足する姿など、一度も見たことがない。
なにより一番驚いたのは放課後だ。
「時雨!」
帰り支度をする時雨へ、陽斗が笑顔で声を掛ける。
「部活行こうぜ!」
「あぁ…。お伝えしていませんでしたね。部活はもう辞めたんです。」
「…………は?」
陽斗の思考が止まる。
「辞めたって…マジか?何でっ…!」
「元々、僕には運動の才能がありません。入部していたこと自体、おかしいと思いまして。」
「……。」
陽斗は言葉を失う。
確かに時雨は運動神経が良い方ではない。
練習では失敗も多かったし、試合に出たこともない。
それでも――。
「でも、お前…楽しんでたじゃねぇか。」
誰よりも笑って。誰よりも大きな声を出して。
下手でも、仲間と一緒に走ることを楽しんでいた。
だが時雨は表情一つ変えず、鞄を肩へ掛ける。
「もう…楽しくありません。」
それだけ言い残すと、陽斗の横を静かに通り過ぎ教室を後にした。
残された陽斗は、その背中を見つめたまま動けない。
「お前…本当に時雨なのか……?」
♢♢♢
家へ着くと、時雨は静かに玄関の扉を開けた。
「ただいま帰りました。」
返事はない。
どうやら母はパートへ出ているようだった。
時雨は靴をきちんと揃え、洗面所で手を洗う。
制服を脱ぐと洗濯かごへ入れ、そのまま自室へ向かった。
部屋へ入ると制服から動きやすい服へ着替え、迷うことなく机の前へ腰を下ろす。
そして参考書や教科書を並べ、一冊ずつ開いていく。
「……。」
一週間前、気が付けばこの世界に来ていた。
幸いだったのは、この身体に残された記憶だ。
学校で学んできた最低限の知識は残っていた。
そして――スマートフォンやパソコンといった、この世界の便利な道具の使い方も。
しかし、一つだけ大きな問題があった。
「成績が……。」
机の引き出しから取り出した、過去の試験結果を見つめ小さく息をつく。
「……酷いものだな。」
下から数えた方が早い順位だった。
朝霧家の跡取りとして育ってきた時雨にとって、学ぶことを怠るという考えは理解できなかった。
「彼は勉学より、運動や友人との戯れを選んだのだろうな…。」
机の上に置いている写真立ての中には、友人と撮った写真が入っている。
壁にかけられたコルクボードには、部活の人間と思われる人達の写真が。
その中心にいるのはだいたい時雨だった。
「君はこの世界で、人気者だったのだな…。」
本来なら、この世界が自分のいる世界なのに…
あまりにも自分と違いすぎて、少し虚しくなってしまう。
時雨は写真から目を逸らし、静かに教科書のページをめくる。
この一週間、学校を休んでいる間にこの世界の本や資料を読み漁った。
新聞や参考書。図書館にも行った。
テレビは基本ニュースばかり見た。
この世界で生きていくために必要だと思う知識は、できる限り頭へ叩き込んだ。
「……彼の字は汚すぎる。」
時雨はノートへ視線を落とすと、小さくため息をついた。
汚い字が綴られているページを飛ばし、新しいページを開く。
癖のない丁寧な文字が、一行、また一行と静かに並んでいく。
部屋には紙をめくる音とペンを走らせる音だけが響いていた。
そして、ふと手が止まる。
窓の外へ視線を向けると、夕暮れの空が赤く染まっていた。
「……今頃。」
忍の世界では、何が起きているのだろう。
彼は無事に試験へ合格できただろうか。
父上は、周囲から馬鹿にされてはいないだろうか。
母上は、もう涙を流してはいないだろうか。
そして――。
「御影は……元気にしているのだろうか…。」
胸の奥が、少しだけ痛む。
自分には、そんなことを考える資格などないのかもしれない。
この世界へ来ることは知っていたし、覚悟もしていた。
だが、彼は違う。
この世界の朝霧時雨は、何も知らなかった。
家族へ別れを告げる時間もなく。
友人へ何も伝えられぬまま、突然…忍の世界へ放り込まれてしまった。
もし自分が彼の立場だったならで
きっと戸惑い、怒り、不安で押し潰されていただろう。
恨まれても仕方がない。
時雨は再度、教科書へ目を向け勉強を再開した。
♢♢♢
「ご馳走様でした。」
時雨は丁寧に手を合わせると、食卓に並んでいた料理をきれいに平らげた。
その様子を見ていた母が、優しく微笑む。
「美味しかった?」
「あぁ……うん。美味しかった、よ。」
どこかぎこちない返事。
まるで正しい言葉を探すような――。
以前の時雨なら、
「めっちゃうまかった!」
「また作って!」
「ごちそーさん!!」
と、満面の笑みで言っていたはずだ。
母は少しだけ寂しそうに笑う。
「そう…。最近はちゃんと眠れてる?」
「……え?」
「ほら、一週間前までは毎日のように嫌な夢を見てたでしょう?夜中に何度も起きて……。」
その言葉に、時雨の表情がわずかに強張る。
その夢は自分が時雨に見せていたものだ。
――この世界と忍の世界を繋げるために。
「……見てないよ。」
静かにそう答えると、席を立った。
「じゃあ部屋に戻るよ。」
「もう寝るの?今からあなたの好きな番組が…。」
「あぁ…ごめん。勉強の途中なんだ。区切りがいいところまでやりたいから戻るね。」
「そう……。」
小さく頷く母を残し、時雨は二階へ上がっていった。
足音が聞こえなくなると、母は向かいに座る父へ視線を向ける。
「何か変だと思わない?」
父は味噌汁を一口飲み、静かに顔を上げた。
「変って…時雨が?」
「まるで別人みたいじゃない。言葉遣いだってちょっと変よ。食べ方も綺麗すぎるし…それに勉強なんて、自分から進んでする子じゃなかったでしょ?」
「まぁ…たしかに?」
「一週間前よ。あの子がいきなり学校を休んだ日。あの日から人が変わったようになった…。」
「思春期じゃないかー?あいつももう子供じゃないんだし。」
「そんなっ……!」
見た目は確かに時雨そのものだ。だが中身があまりにも違う。
この番組だって、時雨の好きな芸人さんが出ているのに…。
それだけじゃない。髪の毛も染めて大好きなバスケまで辞めてしまった。
「なにがあったのよ…時雨…。」
第十一話は27日19時半頃更新予定です。




