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彼の謝る姿に、私は目を見開いた。
頭を上げた彼は、真っ直ぐに私を見る。
「ぬいぐるみは俺にとって大切なものなんだ。だから、つい……頭に血がのぼった」
先程の態度を謝る彼に、誠実さを感じた。
人間が魔法使いに頭を下げるのを、初めて見た。
「……あなたがぬいぐるみを大切にしてるのは、知ってるわ」
ぬいぐるみのことを口にした時、彼の纏う雰囲気が和らいだ気がした。
「まだ、名乗っていなかったな。アルベルトだ。ルミナリア騎士団、第二部隊の隊長をしている。ぬいぐるみは、エリザの……妹の形見なんだ」
彼は少しの間、遠くを見るような目をした。
「俺が女性を泣かせたことを知ったら、エリザは怒るかもしれないな……」
「……仲の良い、兄妹だったのね」
「あぁ、二人だけの家族だったんだ。妹は、元々体が弱かった……」
「そう、体が……」
「自分の方が辛いはずなのに、俺の心配ばかりして……。爵位を持てたら、郊外に家を買って、一緒に住むつもりだった。俺は早く功績をたてようと焦ってたんだ。妹は、俺が遠征に参加していた間に……」
彼の眉が、悔しそうに歪んだ。
「遠征など行かずに、傍にいれば良かった……っ」
彼の青い瞳に、涙がにじんでいた。
その悲痛な表情に、胸が苦しくなる。
「……それは、違うと思う」
「違う?」
彼が私に視線を向ける。
「だって、その時のあなたは……妹さんのために、そうしたんでしょう? 一緒に暮らすために、早く功績を立てようって」
「そうだ。しかし結果的に――」
「結果は……変えられないけど……」
私は彼の目を真っ直ぐ見た。
「でも、その選択が間違いだったって、私は思わない」
私の言葉に、彼の瞳が揺れる。
「俺の行動は、間違ってなかったと言うのか……?」
私は、少しだけ言葉を探した。
「正しかったかどうかなんて……きっと、誰にも決められない。でも――あなたが、妹さんのことを大事に思ってたことだけは、私にも十分伝わってる」
「……そう、か」
彼は視線を落としたまま、しばらく何も言わなかった。
「……あいつは、どう思っていたんだろうな」
その言葉に、すぐには返せなかった。
けれど気づけば、口を開いていた。
「……きっと、あなたのこと、心配してたんじゃないかな」
「そうかもな……」
彼は自嘲するように笑い、俯いた。
口元を固く結び、何かを耐えるようにしていたが、やがて、頬に一筋の涙が流れた。
「あの、これを……」
気づけば、机に置かれたままのハンカチを、彼に差し出していた。
(さっき私が泣いたせいで、湿ってるかもしれないけど……)
彼は驚いたように目を見開いた後、絞り出すような声で言った。
「……ありがとう」
アルベルトはハンカチで目元を押さえる。
じっと見つめるのも悪いと思い、視線を外す。
妹に対する彼の想いを聞いて、なぜ持ち歩くのか分かった気がした。
部屋には、静かな時間が流れていた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
やがて、アルベルトが小さく咳払いをした。
「先程、魔法使いの国と言ったな。魔女の数は少なく、一人で暮らしている者が多いと聞いていたが……」
一瞬だけ迷って、答えることにした。
「……確かに、そういう人もいるけど。私の住んでる国では、皆が協力して暮らしているわ」
アルベルトは顎に手を当てて、考え込む。
「その国の名前は?」
「エルディナよ。エルディナ魔導国」
彼の眉がわずかに寄る。
「エルディナ……初めて聞いたな」
「え?」
(知らないって、どういうこと――?)
予想していない返事だった。
黙ってしまった私に、彼が慌てて口を開く。
「この大陸ではないのかもしれない。明日の昼、図書館で調べてみよう」
「……えぇ、そうね」
(私は思っているよりも、遠くに来てしまったの……?)
「今日はもう休もう」
そう言って、彼はぬいぐるみを掴む。
「え? なに!?」
「まだ、おま……リゼットを完全に信じたわけじゃない。寝ている間に出て行かれても困る。だから、朝までこちらに来てもらう」
そう言って、彼は私を掴んだままベッドに入った。
「ちょっと、離してよ」
「それは出来ない。このまま寝るんだ」
アルベルトは瞼を閉じてしまう。
その後は何を言っても、目を開けてくれなかった。
掴まれているが苦しいほどではない。
けれど、動こうものなら彼はすぐに目を覚ますだろう。
私は仕方なく、眠りについた。
翌日、私はまた彼の鞄にチェーンで取り付けられていた。
「日中に動けないのは、むしろ都合が良い」
移動する馬車の中で、彼が私を見下ろしながら淡々と言った。
続けて、私に聞かせるように話し出す。
「魔法がないこの国では、ぬいぐるみは動かないのが普通だ。今は特に、魔女の存在に敏感になっている。見つかれば、俺でも止められないかもしれない」
昨日のアルベルトの態度が、きっと多くの人が見せる反応なのだろう。
その事実に、少し胸が重たくなった。
彼は眉間にしわを寄せて、続ける。
「ぬいぐるみは俺にとって大事な形見だ。奪われたり燃やされたりするのは、俺としても避けたい。……リゼットも火あぶりは嫌だろう?」
彼の言葉に背筋が冷えた。
ぬいぐるみから抜け出す方法は分からない。
せめて、自分の国に帰れば、詳しい人もいるだろうと思っていた。
けれど、自分の国は近くにないかもしれない。
「だから、夜になっても、他の人の前では魔法を使わず、ぬいぐるみのふりをしていろ」
話し終えたアルベルトは窓の外に視線を向ける。
しばらくして、急に彼の指が近づいて、私の頭をそっと撫でた。
(え……?)
先程まで彼が私に優しくする素振りは感じられなかった。
(……ぬいぐるみを撫でるのが、癖になってるのね)
なのに、なぜか胸の中に何かが引っかかった。
何なのかは、うまく言葉にできなかった。
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お昼休みに向かったのは、王都で一番大きいという図書館だった。
場所は城のすぐ外で、市民も利用できるらしく、親子で来ている人も見かけた。
アルベルトは迷いなく進み、ある本棚の前に立った。
見上げると、棚の上には大きく「地理」と書かれていた。
アルベルトは視線を右から左へと往復させて、どれにするか考えてるようだ。
私は彼から視線をずらして、館内を見回した。
ふと、受付近くの案内が目に入った。
『一度に借りられるのは、三冊までとなっております。』
(三冊か……他には何を選ぶのかしら)
「ふむ……これでいいだろう」
既に三冊の本を手にしていた。
(え、まさか地理だけで三冊!?)
アルベルトは入口近くの受付に向かった。
受付には、本を手にした人が数人並んでいた。
並んだ先には、優しそうな金髪の女性が座っていた。
アルベルトの順番になり、彼は受付の机に本を置いた。
「これを借りたいんだが……」
「はい、こちらの三冊ですね。え、アルベルト様!?」
彼女は驚いて、一気に頬を赤らめた。
「珍しいですね、図書館にいらっしゃるなんて」
「……あぁ」
「お仕事に必要な本ですか?」
「……あぁ、そんなところだ」
「あの――」
「すまないが、急いでいる」
まだ話しかけたい様子の彼女だったが、アルベルトはそっけない。
彼女は、ちらちらとアルベルトを見ながらペンを走らせる。
彼女は柔らかく微笑んで、本をアルベルトに渡した。
「貸し出しの期限は、一週間です」
彼女の声は、他の人の時よりも少し高かった。
そのことが、なぜか心に引っかかる。
図書館を出ると、アルベルトが私の方を見る。
「帰ったら、エルディナを探そう」
彼が少し微笑んで言った。
先程の女性の時と違う態度に、なぜか胸の辺りがあたたかくなる。
いつの間にか、心の引っかかりは消えていた。
(……きっと私が、ぬいぐるみの姿だからね)
朝の撫でられた時と同じで、今までぬいぐるみにしていた癖が出ているのだろう。
そう自分を納得させた。
地理だけで三冊。
忙しい彼が、わざわざ選んだ本だ。
――手がかりが、見つかればいい。




