九話 父から受け継いだ黄金の妖気が発現した!
姫が父の後継者を目指すと決意してから、数日が過ぎたある夜のことだった。
弟たちが眠りについたあとも、姫は灯火のそばで書物を読み続けていた。
大陸から持ち帰った書物には、まだ知らないことが数多く記されており、読み進めるたびに新しい発見があった。
そのとき、竹簡を押さえていた指先から、淡い黄金色の光が立ち上った。
「……あら?」
最初は灯火が反射したのかと思ったが、手を動かしても光は消えず、細い糸のように揺らめきながら指先にまとわりついている。
手のひらを返したり、指を握りしめたりしてみても、光はその動きに合わせて形を変えるばかりだった。
熱さも痛みもなく、ただ身体の奥から何かが流れ出しているような、不思議な感覚があった。
「何かしら、これ……」
しばらく眺めていた姫だったが、自分ではどうすることもできないと悟り、那岐のもとへ向かった。
「父上、少しよろしいですか?」
「うん、どうしたの?」
「実は、こんなものが出てきてしまって……」
姫が手を差し出すと、那岐は指先に揺らめく黄金の光を見つめた。
その途端、普段は穏やかな父の表情が、一瞬だけ強張った。
「……まさか、姫まで」
「父上?」
那岐はすぐに表情を和らげたものの、その目には隠しきれない動揺が残っていた。
「いつから出ているの?」
「つい先ほどですわ。書物を読んでいたら、突然……。何をしても消えないのです」
「そう……。姫、今は身体に変わったところはない? 苦しかったり、熱かったりしないかな?」
「いいえ、何ともありませんけれど」
那岐は姫の手をそっと取り、黄金色の光を確かめるように眺めた。
「これは妖気だよ。私が使っている妖術のもとになる力なんだ」
「これが……父上の妖術と同じものなのですか?」
「うん。まさか、子供にまで受け継がれるとは思わなかったよ」
姫は改めて自分の指先を見つめた。
父が人にはできない不思議な術を使えることは以前から知っていたが、まさか自分の身体にも同じ力が宿っているとは思いもしなかった。
「父上、この妖気とは、いったい何なのですか?」
那岐は少し考え込んでから、静かに答えた。
「……呪いだよ」
「呪い、ですか?」
「少なくとも、私にとってはそうだった。望んで手に入れた力じゃないし、これまでにも何度か恐ろしい思いをしているからね」
姫は驚いたものの、目の前で揺らめく黄金の光を見ていると、どうしても恐ろしいものには思えなかった。
「でも、使い方次第では便利になるのではないでしょうか? 父上だって、いろいろなことに妖術を役立てておられますもの」
「それはそうだけど、むやみに使っていいものではないんだ。まずは自分の妖気を制御できるようにならないとね」
「制御……基本からということですか?」
「うん。妖術は工夫次第でいろいろなことができると思うけど、基礎ができていないうちに無理をすると、力が暴走することがあるんだ。そうなれば、自分の命にまで関わってしまう」
いつになく真剣な父の口調に、姫も自然と背筋を伸ばした。
「だから、しばらくは妖気の流れを感じ取って、必要なときに抑えられるようになることを目指そう。新しい術を試すのは、そのあとだよ」
「わかりましたわ。やってみます」
こうして姫は、那岐から妖気の扱い方を教わることになった。
鍛錬ではまず静かに目を閉じ、身体の内側を巡る妖気の流れに意識を向けるところから始めた。
初めのうちは何も感じ取れなかったが、何度も繰り返すうちに、指先に現れた光が身体の奥から流れてくるものであると、少しずつ理解できるようになっていった。
しかし、流れを感じ取ることと、それを自分の意思で操ることは別だった。
妖気を抑えようとすると、かえって黄金の光が強く輝くこともあれば、集中している最中に突然身体がふわりと浮き上がり、驚いて姿勢を崩すこともあった。
「きゃっ!」
足が地面に戻った姫は、慌てて那岐を振り返った。
「父上! 今、浮きましたわ!」
「うん、浮いたね。でも、今のは自分でやろうと思ってできたわけじゃないでしょう?」
「……はい。勝手に浮いてしまいました」
「それじゃあ、まだ使いこなせているとは言えないね。妖気が動き出しても慌てず、落ち着いて流れを感じてごらん」
「はい!」
姫は気を取り直して鍛錬を続けたが、思うように妖気を扱うことはできなかった。
光を出そうとしても出ず、逆に抑えようとすると輝きが増してしまう。
自分の身体から生まれた力なのに、まるで言うことを聞いてくれないのだった。
それでも那岐は急がせることなく、妖気の流れを感じ取る方法や、力が強まりすぎたときに落ち着かせる方法を、根気よく教え続けた。
そんな鍛錬の最中、姫の手からこぼれた黄金の光が、夕暮れの薄暗い部屋を柔らかく照らした。
那岐はその輝きを眺めながら、ふと微笑んだ。
「姫の妖気は黄金色なんだね。綺麗だ」
「……うん」
姫は思わず頬を緩めた。
父が褒めてくれたのは自分ではなく妖気の色だとわかっていたが、それでも「綺麗」という言葉が嬉しく、胸の奥がくすぐったくなった。
もっと上手に扱えるようになれば、父はまた褒めてくれるだろうか。
そんなことを考えながら、姫はもう一度目を閉じ、身体の内側を巡る妖気に意識を集中させた。
もっとも、妖気の制御は簡単に身につくものではなく、その後も姫は長い時間をかけて鍛錬を重ねていくことになるのだった。
ある夜のことだった。
家族が寝静まった頃、姫はそっと父の寝所を訪れた。
那岐はまだ眠っておらず、寝具の端を持ち上げると、いつものように娘を優しく迎え入れた。
幼い頃から何度も繰り返してきたことで、那岐にとっては珍しいことでもなかった。
しかし、今夜の姫には、父にどうしても聞いておきたいことがあった。
「父上、そろそろ教えていただきたいことがありますの」
「ん? どうしたの?」
「父上が年を取らないことと、妖術を操れることですわ。私にも妖気が現れたのですから、もう秘密にする必要はないでしょう?」
「あー……そうだね」
那岐は少し困ったように笑ったものの、やがて天井へ視線を向けた。
「昔ね、不老長寿の妙薬を求めて旅をしている人たちがいたんだ。私はその人たちに通訳として故郷から連れ出されたんだよ。少しだけ大陸の言葉がわかったからね」
「通訳でしたの?」
「うん。でも、自分の意思でついていったわけじゃない。故郷へ帰ることも許されなかったし、命令には従わなければならなかった。つまり、奴隷のような立場だったんだ」
「父上が奴隷だったなんて……」
姫は驚いて父の顔を見上げた。
山門壱国の誰もが敬い、何百年にもわたって人々の暮らしを支えてきた父に、そのような過去があったとは想像もしていなかった。
「それでね、旅の途中で、不死山に不老長寿の効能を持つ草があるという話が持ち上がったんだ。不死草と呼ばれていて、それを飲めば死なずに生きられるかもしれないって」
「本当に、そのような草があったのですか?」
「草はあったよ。ただ、期待されていたようなものではなかったんだ」
那岐は一度言葉を切った。
「不死草の正体は、恐ろしい猛毒だった。煎じても、粉にしても、口にした人はみんな死んでしまった。それでも彼らは諦めなかったんだ。量や飲ませ方を変えれば効果があるんじゃないかと考えて、何度も人体実験を繰り返した」
「そんな……人が亡くなっているのに、実験を続けたのですか?」
「うん。不老長寿を求めるあまり、人の命が見えなくなっていたんだろうね。そして私も実験を受けることになった」
姫は思わず息を呑んだ。
「父上まで……?」
「逃げることもできなかったからね。私も不死草を飲まされて、一度は死んだんだ」
「……死んだ?」
「そう。少なくとも、あのときはそうだったと思う。身体が動かなくなって、意識もなくなった。けれど、なぜか私は息を吹き返したんだよ」
那岐は自分の手のひらを見つめた。
「後になって考えると、完全に死んだわけではなく、仮死状態だったのかもしれない。偶然だったのか、奇跡だったのか、それとも何か別の理由があったのか……今となっては、もう確かめようもないんだけどね」
「なんて恐ろしいことを……」
姫は父の身体にそっと寄り添った。
いつも穏やかに笑い、困ったときには優しく助けてくれる父が、かつては自由を奪われ、命まで奪われかけていた。その事実だけでも、胸が締めつけられる思いだった。
那岐はそんな娘の様子に気づき、安心させるように微笑もうとした。
しかし、その表情は途中で止まってしまった。遠い昔の記憶が、ふいによみがえったのである。
あのとき、那岐には愛する女性がいた。漣という名の、大陸から渡ってきた少女だった。
二人はともに逃亡を企てたものの、途中で捕らえられ、結局は同じ場所で不死草の人体実験を受けることになった。
猛毒が身体を蝕み、耐え難い苦しみに襲われるなか、漣は那岐に唇を重ねた。そして、彼の口から息を吸い出したのだ。
呼吸を奪われた那岐の意識は、それから間もなく途切れた。なぜ彼女がそのようなことをしたのか、今でも確かなことはわからない。
けれど那岐は、彼女が自分の苦しみを少しでも早く終わらせようとしてくれたのだと思っていた。
自分自身も毒に苦しめられていたというのに、最後の瞬間まで那岐のことを案じてくれていたのだろう。
漣はそのまま息を引き取った。
そして、那岐だけが生き残った。
あのとき、漣によって早く意識を失ったことが、何らかの影響を与えたのだろうか。それとも、まったく別の理由があったのだろうか。
今となっては調べる方法もない。ただ一つ確かなのは、同じ毒を飲まされた二人のうち、那岐だけが仮死状態から回復し、不老の身体を得たということだった。
あれから三百年以上もの歳月が流れた。漣の声も、笑顔も、最後に触れた唇の感触も、那岐の記憶から消えることはなかった。
しかし、そのすべてを姫に語るつもりはなかった。ただでさえ恐ろしい話を聞かせてしまったのだ。これ以上、娘に悲しい思いをさせたくはない。
那岐は静かに目を伏せ、胸の奥に残る記憶をそっとしまい込んだ。
「父上……?」
姫の呼びかけに、那岐はすぐには答えなかった。
先ほどまで穏やかに語っていた父の顔に、いつの間にか暗い影が差していることに気づき、姫はそれ以上の言葉を飲み込んだ。
三百年以上も昔の出来事だというのに、今もこれほど辛そうな顔をするのだから、きっと自分には想像もできないような経験だったのだろう。
「ああ……ごめんごめん。あまりにも昔のことだから、思い出すのも大変なんだよ」
那岐は我に返ったように笑ったが、その表情はどこかぎこちなかった。
「ゆっくりでいいですわ。無理に思い出さなくても構いませんから」
「うん、ありがとう」
姫は父の顔を覗き込み、少しでも気持ちを和らげようと、わざと冗談めかして尋ねてみた。
「ひょっとして、当時の恋人のことでも思い出されたのではないかしら?」
「えっ……そ、そんなことないよ」
那岐は明らかに動揺し、姫から視線をそらした。
その反応を見た途端、姫の胸に小さな棘が刺さった。
「……いたんだ。ふーん」
軽い冗談のつもりだったのに、思いがけず知りたくなかった事実に触れてしまったらしい。
母の那美と出会うよりもずっと昔、父には愛した女性がいたのだ。
考えてみれば不思議でもない。
これほど長く生きてきた父に、母と出会うまで誰一人として大切な人がいなかったと考える方がおかしいのだから。
それでも、姫は少しばかり面白くなかった。
那岐は娘のそんな胸中に気づかないまま、気を取り直して話を続けた。
「ともかく、不死草は最後には採り尽くされてしまってね。あの山から姿を消してしまったんだ。人体実験を受けた者の中で生き残ったのは私だけで、どうにか逃げ出して、それからずっと生きてきたんだよ。そのときに、この妖気まで身についてしまった」
那岐は自分の手のひらに目を落とした。そこに宿る力が、遠い昔の出来事を今も忘れさせてくれないようだった。
「では、妖気が発現した私も、不老長寿になるのでしょうか?」
「どうだろうね。私の力のどこまでが姫に受け継がれたのか、まだわからないんだ。ただ、その可能性はあると思うよ」
「そうなのですね……」
姫は自分の指先を見つめた。
今は黄金の光も消え、普段と変わらない小さな手があるだけだったが、その内側に父と同じ力が宿っているのだと思うと、何とも不思議な気持ちになった。
「ただし、妖術を使いすぎないように気をつけてね。妖気を無理に使えば、命に関わることもあるんだ。私も一度、力を使いすぎて、回復するまで随分と時間がかかったことがあるから」
「父上でも、そのようなことがあるのですか?」
「もちろん。私だって何でもできるわけじゃないよ。だからこそ、自分の限界を知っておくことが大切なんだ」
「はい。気をつけますわ」
姫が素直に頷くと、那岐はようやく安心したように微笑んだ。
「それにしても、あの頃に不老長寿を求めていた人たちは、もう誰も残っていないだろうね……」
那岐が遠い昔を懐かしむように呟くと、姫は書物で学んだ歴史を思い出した。
「それって、秦帝国の始皇帝が求めていたものですわね?」
「えっ、知っていたの?」
「歴史には一応、目を通していますもの。確か、徐福という方士が不老長寿の妙薬を探しに東方へ赴いたのでしょう?」
「そうだね。結局、始皇帝に届けられるような霊薬は見つからなかった。秦も、そのあと間もなく滅んでしまったしね」
那岐は静かに頷いた。
姫はしばらく考え込み、ふと気になったことを尋ねた。
「父上、もし当時、父上が不死草によって生き返ったことや、不老長寿の力を得たことが始皇帝に報告されていたら、どうなっていたのでしょう?」
「……そうだね」
那岐は少しばかり表情を曇らせた。
「後に残された記録を読む限り、あの皇帝なら、さらに多くの人を倭へ送り込んだかもしれないね。場合によっては、倭の国々を力ずくで支配してでも、不老長寿の秘密を手に入れようとしたかもしれない」
「倭国を征服してしまうということですか?」
「必ずそうなったとは言えないけれど、始皇帝がそれほどまでに不老長寿を求めていたことは確かだよ」
姫は思わず口を閉ざした。
楽浪郡で目にした大陸の街並み、整備された役所、膨大な物資を動かす仕組み、そして書物に記された歴代王朝の軍勢。
そうしたものを思い返すほど、山門壱国との隔たりが浮き彫りになっていく。
「……倭は、あまりにも遅れていますわ」
姫は小さく呟いた。
「もし本当に大陸から大軍が攻めてきたら、今の倭では到底抵抗できませんもの」
「…………」
那岐は何も答えなかった。
父が沈黙した理由を、姫は問いたださなかった。代わりに、自分たちが暮らす国の将来へと思いを巡らせた。
もし父から不老長寿の力まで受け継いでいるのなら、自分も長い年月を生きられるのかもしれない。
不老でなくても構わない。
人より少しでも長く生きられるのであれば、何十年も先を見据えた計画を立て、その成果を自分の目で確かめることができる。
それは、国を発展させるうえで大きな利点になるだろう。
けれど、妖術そのものを国を治めるための武器にするつもりはなかった。
父は人の身では考えられないほどの力を持ちながら、それを誇ることも、力によって人々を従わせようとすることもなかった。
むしろ妖術を呪いと呼び、姫がその力を使うことにさえ慎重だった。
姫自身も、妖術を覚えたからといって、それだけで国が豊かになるとは思えなかった。
光を放つことができても、荒れた田畑に実りが生まれるわけではない。
空を飛べるようになったところで、村長たちの利害が一致するとも限らない。
どれほど不思議な力を見せつけても、女が長になることを当然のように受け入れてもらえるとは思えなかった。
妖術は、きっと何かの役には立つ。
しかし、それだけでは足りないのだ。
今の倭国に根づく制度や風習、人々が当たり前だと信じて疑わない考え方。
そのすべてを乗り越えるには、もっと別の何かが必要だった。
後の世に『魏志倭人伝』で鬼道と記されることになる力も、このときの姫にとっては、目の前に立ちはだかる壁を打ち破る決め手には思えなかった。
父の後継者となり、いつか倭国を一つにまとめる。
その願いだけは、以前にも増して強くなっていた。
けれど、そこへ至る道筋はまだ見えていない。
姫が目指す未来は、今はまだ、遠く険しい道の先にあった。




