十三話 生意気巫女、税と法をいただきますわ!
初夏を迎えた山門壱国では、田畑の緑が日に日に濃さを増していた。
日巫女は数か月を費やして各地の村や集落を巡り、収穫量や税の納付状況、戸数などを調べ上げ、ようやく膨大な記録の集計を終えたところだった。
そして今、日巫女はその調査結果をもとに、長たちの会議でこれまで誰も手を付けようとしなかった改革を提案しようとしていた。
「姫、これ……本当に言っちゃうつもり?」
会議に持ち込む資料に目を通していた那岐は、困惑を隠せない様子で娘を見つめた。
「当然ですわ。そのために何か月もかけて調査してきたのではありませんか」
「それはそうだけど……間違いなく揉めるよ。今まで各村に任せていたことに、山門の邑が直接関わることになるんだから」
「承知しております。それでも、いつまでも曖昧なまま放置するわけにはまいりません。問題が明らかになった以上、手を打つべきですわ」
日巫女は少しもひるむことなく言い切った。その自信に満ちた態度に、那岐は小さく息をつく。
「倭国では、こんな仕組みを取り入れた国なんて聞いたことがないんだけどなぁ……」
「だからこそ、私たちが最初に始めればよいのです。前例がないからと諦めていては、いつまで経っても何も変わりませんわ」
那岐はしばらく娘の顔を見つめていたが、その決意が揺らがないことを悟ると、諦めたように微笑んだ。
「……わかったよ。それじゃあ、打ち合わせた通り、私も自分の役目を果たすことにするね」
「よろしくお願いいたします、父上。今回の改革は、父上が協力してくださるからこそ実現できるのですから」
そう言って微笑む日巫女に、那岐も穏やかに頷いた。
日巫女は各村の調査結果を順に示し、収穫量や交易による収入、実際に納められた税を照らし合わせながら、その過不足を明らかにしていった。
調査の結果、ほぼすべての村や集落で、本来納めるべき税が不足していることが判明していた。
「今回の調査では、報告されていた数よりも多くの船や網が確認されました。特に海産物や塩については、実際の生産量に比べて納められた量が著しく少ないことがわかりましたわ」
「船は沈むこともあるし、網だって傷めば使えなくなる。数が変わるのは仕方あるまい」
漁村の長が弁明すると、日巫女は手元の記録に視線を落とし、落ち着いた口調で答えた。
「もちろん、船や網の数が変動することは承知しております。ですが、今回確認された差は、そうした事情だけでは説明がつきません。それに、船や網だけでなく、漁に出た日数や干物の生産量についても調べております。多少の変動で済む数字ではございませんでしたわ」
「しかし、今さら海産物や塩を納めろと言われても困る。すでに交易に出したものもあるし、手元に残っておらんぞ」
「事情は承知しておりますが、不足があったことに変わりはありません。反対に、本来の額よりも多く納めていた村には、その分を返還いたします。不足していた村には、差額を速やかに納めていただきますわ」
日巫女が当然のように告げると、それまで黙っていた村長たちからも次々と不満の声が上がった。
「待ってくれ、今さら不足分を納めろと言われても無理だ!」
「そもそも、その集計は本当に正しいのか? 何かの間違いではあるまいな」
「皆様の村には、私と父上が直接赴いて調査いたしました。一つ一つ確認して回ったことを、お忘れになったのですか?」
「それは覚えておるが、何かの記憶違いということもあるだろう」
「いいえ。調べた内容は、その場ですべて文字にして記録しております。帰ってから記憶を頼りに数字を並べたわけではございません」
日巫女は記録を収めた紙の束を広げ、各村の収穫量と納税額を改めて示した。
文字を読める者はほとんどいなかったが、調査に立ち会った村長たち自身が数字を申告していたため、正面から否定することも難しかった。
比較的小さな集落では税の過不足も少なく、大きな反対意見は出なかった。
問題となったのは、収穫量が多く、漁業や交易も盛んな村々である。
そうした村ほど報告と実態の差が大きく、中には到底見過ごせないほどの不足が生じているところもあった。
日巫女は、そのすべてが単なる計算違いや管理不足によるものだとは考えていなかった。
村長の中には、納めるべき品を意図的に少なく報告し、余剰分を自分たちの利益としている者がいるのではないか。
そう疑ってはいたものの、現時点では横領を裏付ける証拠までは掴めていない。
だからこそ、個々の村長を追及するだけでは不十分だった。
同じことが繰り返されないよう、税を管理する仕組みそのものを改める必要がある。
「皆様、そもそも何のために税を納めていただいているのか、今一度お考えください。集めた穀物や海産物は倉に蓄え、不作や飢饉で食糧が不足した際に民を救うために使います。それだけではございません。交易によって鉄や布をはじめとする貴重な品々を手に入れ、各地へ行き渡らせるためにも必要なのです」
日巫女は一度言葉を切り、居並ぶ長たちを見渡してから続けた。
「さらに、他国から攻め込まれた際には、兵を集め、武具や食糧を整えなければなりません。国に十分な蓄えがなければ、民の暮らしを守ることも、外敵から国を守ることもできませんわ。税は山門邑だけを豊かにするためのものではなく、山門壱国全体を支えるためのものなのです」
しかし、その説明に納得する者がいる一方で、村長たちの反発は収まらなかった。
「言いたいことはわかる。だが、すでに使ってしまったものを今さら納めろと言われても困るのだ」
「足りないものはどうしようもあるまい。無理に徴収すれば、今度は村の暮らしが苦しくなるぞ」
「それなら今後の納めを少しずつ減らして、不足分を埋め合わせればよいではないか」
次々と飛び出す意見を聞きながら、日巫女は表情を変えなかった。こうした反発が起こることは、最初から予想していたのである。
「皆様の事情は理解いたしました。ですが、今回明らかになった問題を、そのままにしておくつもりはございません。今後は山門邑に税の管理官を設け、専門の者を数名置くことにいたします。各村の収穫や納税の状況を継続して確認し、不足や不正があれば、定められた法に従って対処いたしますわ」
日巫女の言葉に、会議の場がにわかに騒がしくなった。
彼女が政治に参加して最初に取り組んだのは、村ごとに異なっていた刑罰の基準を整えることだった。
その際、正当な理由なく税を納めなかった場合には、不足分に相当する労働を課すことも定められている。
「待たれよ。税の不足については、相当する労働を課すと法に定められておったな?」
「ええ、そのとおりですわ」
「では、我ら村長もその法によって裁かれるというのか?」
「当然です。法は一部の者だけを裁くためのものではございません。村長であろうと、集落の長であろうと、守るべき定めは同じですわ。さらに、法の運用を任せる管理官も山門邑に設け、各地で判断が大きく異なることのないようにいたします」
「そんなことを、いきなり決められても困る!」
「儂らの村には村のやり方がある。これまで自分たちで治めてきたことに、山門邑がそこまで口を出すというのか!」
村長たちの反発が収まらない中、それまで黙って成り行きを見守っていた那岐が、穏やかな口調で仲裁に入った。
「どうだろう。皆も困っているようだし、今回までの不足分は免除するというわけにはいかないだろうか?」
その言葉に、険悪になりかけていた場の空気が一変した。
「そうですぞ。昨年の税を今さら納めろと言われても、もう手元には残っておりません」
「那岐様、ありがたいお言葉です。どうかそのようにお願いいたします」
村長たちは次々と賛同し、那岐の提案に期待を寄せた。
日巫女はすぐには答えず、しばらく考えるように黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「父上がおっしゃるのであれば、今回までの不足分は免除いたしましょう」
その瞬間、長たちの間から安堵の声が広がった。しかし、日巫女の話はそれで終わりではなかった。
「ただし、今後は同じ問題を繰り返さぬよう、山門邑に税の管理官と法の管理官を新設いたします。これからは専門の者を置き、各村の納税状況と法の運用を管理することにいたしますわ」
これまで各村に任されていた税と法の管理を、山門邑が直接担うというのである。
当然ながら、村長たちからは再び戸惑いの声が上がった。
「儂らでは管理させてもらえんのか?」
「今までずっと村ごとに取り仕切ってきたのだ。それで十分ではないか」
「ですが、その結果として、これほど多くの間違いが生じていたのです。今回の調査で、その実態は十分に明らかになりましたわ。税も法も、専門の者に任せた方が公平で確実ではありませんこと?」
日巫女が当然のように言い切ると、村長たちは互いに顔を見合わせた。
従来のやり方を変えることへの抵抗は根強く、なおも反論しようとする者がいたが、そこで再び那岐が口を開いた。
「今回の実地調査には私も同行したけれど、村によって納められる税に大きな差があることは確かだったよ。長い間、きちんとした仕組みを整えずに任せきりにしていた私にも責任がある。公平な税の管理ができていなかったのは、邑長である私の至らなさだと思う」
那岐が自らの責任を認めたことで、村長たちは慌てて首を振った。
「そんな、邑長の責任などではございません!」
「確かに多少の間違いはございましたが、それを那岐様が背負われる必要はありませぬ」
「ありがとう。でも、誰かが悪かったという話ではなく、今までの仕組みでは十分に管理できなくなってきたということなんだと思うよ。山門壱国も昔とは比べものにならないほど大きくなったからね」
那岐は村長たちを見渡すと、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「それなら、税や法を扱う専門の者を置いて任せてみるのもよいのではないかな。皆もその分、自分の村の田畑や暮らしのことに専念できるだろうし、私も助かるよ」
長年にわたり山門壱国を支えてきた那岐が、自らの不備を認めたうえで新しい制度を支持したのである。
村長たちもそれ以上は強く反対できず、やがて異論を唱える声は聞こえなくなった。
こうして税と法の管理官を山門邑に新設することが認められ、最後は那岐が会議を締めくくった。
会議を終え、長たちが去っていくのを見送った日巫女は、満足そうに息をついた。
「これでようやく、村々の寄り合い所帯だった山門壱国も、山門邑を中心とした一つの国として機能し始めますわ」
「それにしても剛腕だったね……私はずっと冷や冷やしていたよ」
那岐が苦笑すると、日巫女は得意げに胸を張った。
「小さくとも、きちんとした国家を作り上げることが大切なのですわ。すべてはそこから始まるのですから」
「そうだね。ところで姫、肩は凝らない?」
そう言いながら、那岐は娘の肩にそっと手を置き、優しくさすり始めた。
突然のことに日巫女は少し頬を赤らめたが、平静を装って父を見上げる。
「父上、それでは肩を揉んでいることになりませんわよ」
「あはは、ごめんね。それにしても税と法か……中央集権化に必要な二つの大きな柱を、一度に手に入れてしまったんだね」
「今回の決定が本当は何を意味しているのか、理解している長はまだほとんどいないでしょうね」
「いずれはわかることだよ」
「この程度のことすら理解できない方が悪いのですわ」
日巫女が当然のように言い切ると、那岐は困ったように微笑んだ。
「倭には、そもそもそうした制度が存在しないからね。概念すら知らない仕組みをいきなり理解しろと言われても、難しいと思うよ」
「それはわかっていますけれど……倭に父上のような方が、もう少しだけでもいらっしゃればよいのに」
「それなら、その人に長を任せて、私は喜んで田を耕すよ」
「もう、茶化さないでくださいませ。私は本気で申し上げているのです。父上の器の大きさには、私などまだまだ遠く及びませんわ」
珍しく素直な称賛を向けられた那岐だったが、本人は大したことではないと言わんばかりに首を傾げた。
「私はただの農夫だよ。姫の方がずっと立派だと思うけどなぁ」
「そんなことはありません。今回の改革だって、父上にとっては必ずしも本意ではなかったのでしょう?」
「そこまで反対していたわけではないよ。私だって長く生きてきたし、大陸の歴史や政治の仕組みについては、それなりに学んできたつもりだからね。ただ、知識として知っていることと、それを実際に自分たちの国で行うことは、まったく別の話なんだよ」
那岐は穏やかに微笑みながら、娘へと視線を向けた。
「私は知っていても、なかなか行動に移せなかった。でも姫は、自分で調べ、考え、周りを説得して、本当に制度を変えてしまった。だから凄いことをしているなぁって、感心しているんだよ」
父の言葉に日巫女は嬉しそうに目を細めたが、すぐにいつもの自信に満ちた表情へ戻った。
「ふふん、まだまだやることは山ほどありますわよ。というより、これからが本番なのですから!」
「ええ……まだあるの? お手柔らかにお願いするよ」
「まあ! 父上ったら、私を鬼か何かだと思っていらっしゃいませんこと?」
わざとらしく頬を膨らませる娘を見て、那岐は楽しそうに笑うと、その頭を優しく撫でた。
「うん、とっても可愛い小鬼さんだねぇ」
「もうっ! 父上ったら!」
日巫女は不満そうに声を上げたものの、頭を撫でる父の手を振り払おうとはしなかった。




