十一話 初めての政治、私だって役に立てる!
秋の奉納舞で初めて民衆の前に立ち、姫から日巫女へと名を改めた十三歳の少女は、早くも次の目標に向かって動き始めていた。
それは、山門壱国の各地を治める長たちの会議に参加することだった。
日巫女にとって、神の使いとして認められることは目的ではない。これまで女という理由で遠ざけられてきた政治の場に、自分の席を得るための第一歩だったのである。
そして、いよいよ初めての会議の日が訪れた。
「今回から会議に参加することになった、娘の日巫女だよ。皆、よろしく頼むね」
那岐がいつもの柔らかな口調で紹介すると、日巫女は集まった長たちに向かって丁寧に頭を下げた。
「若輩者ですが、よしなにお願いいたします」
しかし、長たちの反応は芳しいものではなかった。
「巫女様が会議に参加されるのですか?」
「神事についてであればともかく、村の政にまで関わられるとは……」
「邑長の娘とはいえ、まだ十三歳ではございませんか」
長たちが戸惑うのも無理はなかった。巫女として人々の信仰を集めることと、村々の利害を調整する政治に携わることは、まったく別の話だったからである。
「まあ、早いうちから会議に参加して、いろいろ学ぶことにも意味があると思うんだ。まずは皆の話を聞かせてあげてほしいな」
那岐がそう取りなすと、長たちは互いに顔を見合わせたものの、最終的には異議を唱えなかった。
何百年にもわたって山門の発展を支えてきた那岐の言葉を、正面から退けられる者はいなかったのである。
こうして日巫女は、念願だった会議への参加を認められた。
ただし、那岐からは、しばらくの間は自分の意見を述べず、長たちの話をよく聞くように言われていた。
会議に参加することを許されたからといって、長たちから政治に携わる者として認められたわけではない。その違いは、日巫女自身も十分に理解していた。
そのため、最初の会議では口を挟まず、長たちの議論を注意深く聞くことに徹した。
山門壱国の会議は、各地の村長や集落の長たちが集まり、それぞれの土地の状況を報告するところから始まった。
収穫の見通しや食糧の備蓄、水路の補修、他の村との交易など、議題は多岐にわたる。村同士で意見が食い違えば、その場で論争が始まることも珍しくなかった。
この日も、複数の村を通る水路の補修をめぐって、長たちの意見が割れていた。
「水路を直す必要があるのは承知しております。しかし、我が村の者ばかりに人手を出させるわけにはまいりません」
「その水がなければ、こちらの田は干上がってしまうのですぞ。上流の村にも協力していただかねば困ります」
「だからといって、こちらの田植えの準備を遅らせるわけにもいかぬでしょう」
誰も水路の補修そのものには反対していない。それでも、どの村がどれだけの人手を出すのか、補修の時期をいつにするのかとなると、話はなかなかまとまらなかった。
それぞれの長には、自分の村の暮らしを守る責任がある。簡単に譲歩できない事情があることも、日巫女には理解できた。
しかし、議論を聞き続けるうちに、別の疑問が膨らんでいった。
皆、自分の村のことは真剣に考えている。
けれど、山門壱国全体にとって何が必要なのかという視点で話している者は、ほとんどいないのではないか。
結局、その日の会議では結論が出なかった。
各村で必要な人手や補修の範囲を調べ直し、翌月の会議で再び協議することになったのである。
帰り道、日巫女は隣を歩く父に尋ねた。
「父上、今日の会議は何も決まりませんでしたね」
「うーん、来月までに各村で調べて、もう一度話し合うことになったね」
「……つまり、同じことを来月もされるのですか?」
「そういうことになるかなぁ」
那岐は困ったように笑ったが、日巫女は納得できなかった。
「あの場に、山門壱国全体のことを考えて発言している方はおられませんでしたわ」
「実際のところ、山門壱国はそれぞれの村や集落の集まりだからね。私たちが何かを決めるというより、各地の長たちが互いに納得できるところを探しているんだよ」
「それでは、何かを決めるたびに時間がかかってしまいます」
「そうだね。でも、長たちにも村の人々を守る責任があるから、簡単には譲れないんだ」
那岐の説明は理解できた。それでも日巫女には、このやり方で国全体を発展させていけるとは思えなかった。
父が長い年月をかけて築いてきた山門壱国は、数多くの村や集落を抱えるまでに成長した。
しかし、その意思決定の仕組みは、まだ小さな集落同士が相談していた頃と大きく変わっていなかったのである。
日巫女はそれ以上言い返さず、次の会議でも長たちの話を聞き続けることにした。
年が明け、会議への参加も五回目を迎えた頃には、長たちも日巫女が同席することに慣れ始めていた。
そこで日巫女は、初めて自分から議題を持ち出した。
「皆様、一つご提案したいことがあります」
長たちの視線が集まる。
「各村で罪人に与える刑罰が異なっていることについて、ある程度、基準をそろえてはいかがでしょうか」
日巫女が最初の提案に選んだのは、刑罰の統一だった。
現在の山門壱国では、同じような罪を犯しても、裁く村によって罰の重さが違うことがあった。
盗み一つを取っても、盗んだ物を返して働きで償わせる村もあれば、厳しい場合には村から追放するところもある。
それぞれの長が事情を考えて裁いているとはいえ、明確な基準がなければ、判断が大きく異なってしまう。
日巫女は、こうした違いを少しでも小さくしたかった。
もちろん、最初から各村の自治に深く踏み込むつもりはない。長たちの権限や村の利益を大きく損なわず、それでいて国全体の改善につながるものとして、この議題を選んだのである。
提案そのものに強い反対は出なかったが、年配の長が一つの疑問を口にした。
「しかし巫女様、同じ盗みであっても、事情はそれぞれ違いますぞ。飢えた家族に食べさせるために盗んだ者と、欲に駆られて盗みを重ねた者を、同じ罰にしてよいものでしょうか」
「おっしゃるとおりです。私も、すべてを一律に裁くべきだとは考えておりません」
日巫女は相手の言葉を受け止めてから、続けた。
「私が提案しているのは、あくまで刑罰の目安を定めることです。罪の重さに対して、どの程度の罰が妥当なのかを共有し、個々の事情については、これまでどおり各地の長に判断していただきたいのです」
「なるほど。それならば、我らの裁きが奪われるわけではないのですな」
「ええ。むしろ判断する際の助けになるものと考えていただければ」
日巫女は、相手を言い負かそうとはしなかった。
今の自分に必要なのは、長たちの上に立って命令することではない。まずは提案を受け入れてもらい、実際に役立つものを作ることだった。
その姿勢が伝わったのか、長たちも次第に話し合いに加わるようになった。
ところが、日巫女があらかじめ文字にまとめておいた刑罰の基準を見せると、思わぬ問題が持ち上がった。
「……巫女様、これは何と書いてあるのでしょうか」
「こちらには、盗みと傷害について、それぞれの刑罰の目安を記しております」
「なるほど。では、その内容を口で説明していただけますかな」
日巫女はそこで気づいた。
集まった長たちの多くは、文字を読むことができなかったのである。
大陸から伝わった文字を学んでいる者は、山門壱国ではごく限られていた。
村々の長は、代々受け継がれてきた習わしや自らの経験をもとに物事を判断しており、会議の内容も記憶と口伝えによって共有されていた。
日巫女にとっては文字に記せば済むことでも、長たちにとっては、聞いて覚えなければならないものだった。
それでは、いくら細かく刑罰の基準を定めても、すべてを覚えてもらうことは難しい。
日巫女は用意していた書き付けを見つめた。
楽浪郡で見た役人たちは、文字を使って膨大な記録を扱っていた。法も税も戸数も、書き残すことで管理できる仕組みがあった。
しかし、山門壱国には、その仕組みを支える人材がまだいない。
いくら優れた制度を考えたところで、それを扱える者がいなければ役には立たないのだ。
「……わかりました。それでは、もっと簡潔なものに改めましょう」
日巫女は書き付けを置き、長たちに向き直った。
「罪の種類ごとに基本となる罰を少数にまとめ、誰でも覚えられるようにいたします。詳しい事情については、それぞれの長が判断できる形にしましょう」
「それならば、村に戻ってから他の者たちにも伝えられそうですな」
「ええ。次の会議までに修正案を用意いたしますので、皆様にもご意見をいただければと思います」
こうして、日巫女の最初の提案は、その場で採用されるところまでは至らなかったものの、次の会議で改めて検討することで話がまとまった。
自分の考えを一度で通せなかったことは残念だったが、長たちが耳を傾け、改善に向けて話し合ってくれたことには、確かな手応えもあった。
同時に、日巫女は山門壱国が抱える問題の大きさを思い知らされていた。
制度を整えるには、まずそれを理解し、運用できる者が必要になる。
大陸で見た国の仕組みを、そのまま山門へ持ち込めるわけではない。
会議を終え、那岐と並んで帰路についた日巫女は、しばらく考え込んだ末にぽつりと呟いた。
「……倭には足りないものが多すぎますわ」
「そうだね。大陸とは違いすぎるからね」
「まずは文字を読める者を増やさなくてはいけません。法を定めても、それを読むことすらできないのでは、広めるにも限界がありますわ」
「それも簡単じゃないんだよ。そもそも大陸の文字は大陸の言葉を書き表すためのものだから、倭の言葉をそのまま書こうとすると不便なところが多くてね。私も最初は随分苦労したものだよ」
那岐は昔を思い出したのか、困ったように笑った。
「父上は大陸の言葉まで使いこなせるというのに、山門で文字を読み書きできるのは、父上と私たちくらいなのですね……」
「これが小さな国の現実だよ。文字を教えられる者も少ないし、毎日の暮らしに追われて、学ぶ時間を取れない人も多いからね」
日巫女は小さく息を吐いた。
楽浪郡で目にした帳簿や記録の数々が思い出される。
あちらでは人や物の動きを文字で記し、それを基に役人たちが仕事を進めていた。
だが山門では、決まり事を一つ伝えるだけでも、長たちに口頭で説明し、覚えてもらわなければならない。
「……それでも、少しずつ変えていかなくてはなりませんわね」
「うん。急には変えられないけど、できることから始めればいいと思うよ」
「では、次は税と戸について調べたいです。各村にどれだけの家があり、どれほどの収穫があって、何をどれだけ納めているのか。まずはそこを把握しなくては」
「あーーーー……それは無理かも」
那岐が何とも間の抜けた声を上げたので、日巫女は思わず足を止めた。
「なぜですの?」
「各村に聞けば大まかなことはわかるけど、正確な数となるとね。そもそも記録がないところも多いし、家の数だって増えたり減ったりしているから」
「では、どうすればよいのでしょう?」
「姫と私で、実際に村を回って調べた方が早いかもしれないね。長たちから話を聞いて、田畑も見て、家の数も確かめていくしかないかな」
「……結局、記録を取れる者がいないのですものね」
「そういうこと。調べるだけなら人手を借りられるけど、数字をまとめて帳簿にするとなると、今は私たちでやるしかないね」
日巫女は再び歩き始めた。
法を整えるにも文字が足りず、税を改めるにも記録がない。
国として何をすべきかは見えているのに、そのために必要なものが、あまりにも不足していた。
大陸で見た国の仕組みと、目の前にある山門壱国の現実。その隔たりは、想像していた以上に大きかった。
「……先は長そうですわね」
「そうだね。でも、何百年も前は、この山門に数軒の家しかなかったんだよ。それを考えたら、随分遠くまで来たものだと思うけどね」
「父上にはそうでしょうけれど、私には何百年もの時間はありませんわ」
「あはは、それもそうだね」
那岐は穏やかに笑ったが、日巫女は真剣な表情のままだった。
父のように長い年月をかけて国を育てることはできない。
だからこそ、自分の生きている間に、少しでも先へ進めなければならないのだ。
そう決意を新たにしたところで、日巫女はふと思い出したように父を見上げた。
「それと父上、私は姫ではなく、日巫女ですわ」
「……あはは、また言われちゃったね」
那岐は悪びれる様子もなく笑った。
日巫女は呆れたようにため息をついたものの、父の隣を歩く足取りは、先ほどよりも少しだけ軽くなっていた。




