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ここは世界で一番空に近い檻 ディストピア一歩手前のオメガバースの世界で運命の番が幸せになるまで  作者: 庭師K炎


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Ωの血

罪状は明確

 研究所から、被験体となる人物の血液を不当に盗む。

 単純に言って、業務上横領罪に当たる。


 その上、盗んだものは、貴重な貴重なΩの採れたて新鮮な血液だ。

 この国独自のΩ保護法と、世界基準のΩ保護法によって、さらなる罰則が上乗せされる。


 あの「元」看護師は、みつきに向かって「今日は検査項目が多く、採血量がいつもより多い」と伝えて、血を奪ったそうだ。

 そして、常習犯だと指摘したことも、やはり当たっていた。


 検査に使われる真空採血管は三本。

 だが、当事者のみつきは、ここ数ヶ月の間、四本、採血されていたと証言した。


 「元」看護師は、あまりにも容易く大金を手にする手段に、とうとう欲をかいた。


 非合法で危険なルートだが、貴重なΩ(みつき)の血を売る手筈はすでに確立されており、少なくはない者たちがそこに関与しているはずだ。

 彼らは全員、今回の露見によって芋づる式に捕まり、この業界から追放され、しかるべき制裁を受けるだろう。


「Ωの血液かぁ……。余分に研究するために、みんな欲しがるの?」


 とっくに待ちくたびれていたカミユが、ようやく事に一段落ついて戻ってきたばかりの秋露に話しかける。


「それもあるけれど、Ωの血(現物)があれば、それ自体でとても容易くαをコントロールすることができるし、成分を上手く抽出できる者の手に渡れば、抑制剤と真反対の効果を持つ薬も作れるだろう」


「真反対?」

「強制的にαの理性を奪い、発情させる薬だね」


 カミユはしばらく考えて、ちらりと俺の顔を見た。


「そういう薬、前から存在してなかったっけ?」


 若者の素朴な疑問に、正しく答えてやれそうな気がしないから、肩を落として見せた。

 俺たちがもともと住んでいた裏社会では、それなりに話に聞く薬だ、なんてここで口にするつもりもない。


 秋露は笑っている。


「それは番を持ったαにだけ処方される薬のことだね。基本的には世に出回らない薬だよ」


 まるで、表の世界(こちら)裏の世界(あちら)が確かに存在していることをとっくに知っている、と言わんばかりの、秋露の涼しい顔。


「怖いのは、そんな薬が多く出回ることではなく、βの手に渡り、その効力と有用性が知れ渡ることだよ」


 すぐに納得した俺とは違い、カミユは首を傾げる。


「社会的に立場のあるαを陥れるために使える、簡単なお薬、っていうことだ」


 まだまだやんわりとオブラートに包んだような言い方だったが、カミユも理解したようだった。


「βがαにフェロモンアタックと同じことをして、既成事実が作れるってわけか。それに、犯罪者に仕立て上げることだってできる……」


 そうなったαは、社会的に死亡と変わらない。


「だから、検査に使われたΩの血の一滴でさえ、厳重に管理される。……信用を盾にみつきの血をせしめて、彼女は一体、どれだけの金を手に入れたんだろうね? それは人生を丸ごと棒に振るに値する金額だったのかな? まぁ、……分かりたくもないけれど」


 突き放すように、秋露は吐き捨てた。

 そこには同情や憐れみは一切なく、冷徹な蔑みだけがありありと滲んでいた。


 部屋の中に、重い静寂が落ちた。


 ここは秋露の名を掲げてあるセンター長室。

 先ほどの第一検査室があったフロアよりも少し上の、重厚な雰囲気のある階だった。


 あれから警察や、国の特殊機関関連の人間が来て、事件の処理をしている。

 それがまとまるまで、わずかにだけできた時間を、秋露は無駄にしない。


「まったく、カミユくんの携帯を買いに行く時間がなくなってしまったじゃないか。必要書類はこれ、これ、これ。ヴァルティくん、保護者のところに名前を頼む」


 渡された書類と、ペン。

 ーー中学、転入届。留学生枠。

 だいたい読めるな、と安心して、書類に目を通していく。


「悪いけど、カミユくんもヴァルティくんも、今すぐ血をもらうよ」


 先ほどの事件があったばかりで、血をもらうと言われることに、内心、眉をひそめる。

 Ωであるみつきの血ほど貴重ではなくても、正しくαである自分たちの血も、それなりに研究対象として価値はあるからだ。


 だが、秋露が投げ渡してきたものは、穿刺器具とセンサーが一体化した自己測定器だった。


 正式名称は「血中抑制剤濃度測定器」という。

 このαは己の身体に適応した抑制剤を正しく服用し、社会に迷惑をかける危険性はない、という基準の数値で表し、見せてくれる小さな機器だ。


 この数値が異常だった場合、そのαは現在服用中の抑制剤が合っていないことが分かり、すぐさま病院に行って抑制剤の見直しを求められる。


 社会的に何かしらの重要なアクションを起こすときには、必ず求められる確認だ。

 大きな映画の撮影に携わるとき、国家間の移動をするとき、そして新しい学校への入学転入も。


 それが新品であることを示すような保護フィルムを剥がし、慣れた手つきで測定器を使った。


 左の指先にちくりとした痛み。

 血を吸った測定器がゆっくりと「効果適応中・正常」を示す。

 それが、ギリギリの際どいラインでの正常なのは、何度も見た結果だ。


 ……、……いや、今回はなんだか、いつもより余裕がある?


 俺とカミユの測定器を回収して、秋露は交換とばかりにバンドエイドを渡してきた。

 俺たちがそれを指に貼っている間に、秋露は手早く手元の書類に測定器の数値を書き込んでいった。


「二人とも、抑制剤の見直しは悪いけどしばらく毎日するから。スケジュールをギチギチに詰めているわけじゃないから安心してくれ。比較的自由時間は多いよ」

「それは助かる。明日は髪も切りたいし、それこそカミユの携帯を買いに行くだろう? 今週中に、この国での最後の仕事があって行かなくちゃいけない」


 決まっている予定を告げると、秋露は分かったとばかりにうなずいて見せてくる。


「オレの学校はいつからになるの?」

「この書類を書き上げたら提出して、受理されてからだね。二、三日後かな。カミユくんが行く中学校は、国内の優秀なαも多数在籍している、いろいろな実績のある学校だ。不測の事態なんかにも柔軟に対応するし、このセンターと病院とも提携しているから、なにかあったときにも安心だよ」

「なにかがあっちゃ困るんだけどな」


 ツッコミをいれると、それぞれの顔に笑みが浮かんだ。


「そうだね。そして、君たちの在留中の身元保証人は私だ。突拍子もない行動は控えてくれよ? ああ、ヴァルティくん、居住住所はこれ。学校への提出書類の…、……ここに書き込んでくれ」


 詳しい住所が書かれたメモを見本に渡されて、素直にそれを書き込んだ。


「国際免許に切り替えるときの居住住所も、これを使っていいんだよな?」

「もちろん。カミユくんの携帯を買うときにもね。あとは、この国で銀行口座を開くときとか、まあ、いろいろ」

「銀行は今はいい。ちょっと手間取るが、支払いはほとんどカードだし、金を下ろすのにも大手銀行に行けばそれほど苦労はしない」

「そうか。他にも気になることがあったら何でも言ってくれ」


 指し示された書類のすべてに記入が終わると、秋露は先ほどの血中抑制剤濃度測定器が表した数値と、それを正式に証明するという意思を示した書類を俺に差し出した。


「この、医師()の証明と一緒に学校に提出する。不備はないかな?」


 ざっと目を通して、おかしな点があるようにも思えなかったから、また秋露に渡し返した。

 だが、ペラリと一枚は差し出し戻される。


「一枚は君の分だ、ヴァルティくん。国際免許証申請のときにも必要だろうから」

「助かる」


 丁寧に折りたたんで、とりあえずとポケットに仕舞った。


「で、肝心の俺らが住む場所はどこなんだ? 住所は見たが、それだけで場所が分かるわけがないだろう?」


 秋露はいそいそと書類を封筒にまとめて入れて、しっかりと封をした。


「ちょっとだけ待ってて。これを郵送してくれるように頼んでくるから」

「ああ」


 やけに急ぐんだな、と思わなかったわけでもない。

 予定通り、カミユを早めに学校へ行かせてやるためには、急いでくれているのはありがたいことだし。


 秋露が廊下へ出ようとしたところで、なにかに気づいて足を止めた。

 どうやらその気配に、カミユも気づいたようだった。


 俺も、……少し前から分かっていたけれど。


 秋露がやりとりを始めたものだから、彼らのほうへと振り返り、様子を見た。


「みつき、来たか。待ってたよ。具合はどうだい?」

「はい、平気です。みんなが脅かすから、心電図が長くかかっちゃって……。ごめんなさい」


 廊下へと向かって声をかける秋露の後ろ姿しか、今は見えない。

 でも、その向こうに確かにいる、みつきの声がとてもよく聞こえた。


 決して大きな声だったわけじゃない。

 開いているとはいえ、ドアを挟んだ廊下と部屋の中という距離があったのに。


 声だけでも、先ほどの事件は、彼女の体調に悪い変化を起こすほどのものではなかったのだなと理解して、こっそりと安堵の息を吐き出した。


「水実先生。これが今日のみつきさんのデータです。パソコンの方にも送ってありますが、……先ほどのこともありますので」


 どうやらみつきと一緒についてきたらしい看護師の声が聞こえた。


「出力してくれたんだね、助かるよ。今日はゆっくり机に向かってデータを見比べている余裕はなさそうだから」


 秋露の声音を聞く限り、彼が信用おけると言った者の一人なんだろう。


「それと、これを速達ですぐ郵送してくれるよう、手配を頼むよ」

「速達で? ……ああ、学校宛ですか。分かりました、すぐ送っておきます」

「頼むよ」


 秋露は学校宛の封筒を渡し、それから、廊下からみつきを部屋の中へと招き入れた。


 パタンとドアが閉められる音が確かに聞こえたのに、聞こえていなかった。


 それほどに、ただ、彼女が部屋の中に入っただけで、視界に入っただけで、空気が一変した。

 そんな気持ちを味わっていた。





ヴァルティ

秋露

カミユ

みつき

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