ほんの小さな接点 それを
運命と言わずなんと言うのか
「時代は混乱を極めていたけれど、あの頃はまだΩたちの生活は、αやβたちと同じように社会の一員として、歯車として、様々な障害はありはしたものの、世間からの制限はなかった。みやもしっかりと仕事に就いていた。だから番になったあとも私たちの間に、子供はまだ居なかった」
驚きを隠せない俺を置いて、秋露はまた言葉を続ける。
俺の名前の話はいったん後回しなのか、話の内容があっちこっちしているように感じなくもない。
どこから話そうかと言っていたから、秋露自身も混乱しているのかもしれない。
「幼子とΩを連れて、身を潜めるような生活だった。それでも稼ぎは必要でね。私はこの知識と、医者としての伝手をたどって、ヴァルティくんが生きていた世界にもちょろちょろと関わっていたんだ」
それは「表の世界」と「裏の世界」を行き来していたということ。
どちらの世界も知って、生きて、渡り歩いていたのか。
それならば、一度、裏の世界の格闘王者にまで登り詰めた俺の名を知っていても、耳にしていても不思議じゃない。
「……みやが死んでから、しばらくして、……世界はΩの重要性をまざまざと知った」
憎々しげな落胆のため息とともに、秋露は吐き出した。
番を失った経緯に、秋露は触れなかった。
語りたくないのだろう。
ああ、彼は、Ωを蔑ろにした世界を憎んでいる。
己の番を失う原因を作った世界を丸ごと、だ。
「私の経歴は、表の世界の要人たちに重宝された。なにせ、表の世界からはほとんどといっていいほどΩが失われ、ごく少ない数を残すのみ。Ωたち自身が持っていた知識さえ多く失われたんだ」
呆れ果て、蔑みの笑みを浮かべる秋露。
「裏の世界の要人たちは決して表の世界のように浅はかで愚かではない。自分たちの世界にいるΩたちの価値を理解し、ある意味、それはそれは大事にしている。表の世界のΩの数が減ったからといって、自分たちが大事に囲っているΩを渡すような、売りに出すような馬鹿な真似はしない。下手をすればただのα数十人より、Ω一人のほうが大切だと分かっている」
同意だと、深くうなずいた。
「……ああ。あっちでは、αなんてただの『優秀なだけ』の見世物だ。価値も価値観も違う」
それこそ、王者と呼ばれるまでに登り詰めた俺だって、大したものではないように。
格闘家は、いわゆる人気商売の一つ。
俺は師匠に育てられて、その生き方しか知らなかっただけ。
表の世界で生活するようになって、その違いに心底驚いた。
それは今でも受け入れにくい、価値観の違い。
絶対的に、大切にすべきはなになのか。
こちらの世界の人たちは、分かったようであって、まだ分かっていない。
「私は、そんな裏の世界の常識も、医学知識も薬学知識も持ち合わせ、Ωのために尽くし生きると決めているαだ。捨てた実家の名も、こちらの世界ではまだ大きく私の後ろ盾になった。未だ、君のいた世界の重鎮からも声をかけてもらえる。そんな私が、みつきの安全のためにここに居座って研究を続ける。得をするのは誰かな?」
言わずもがな。
国の「御偉いさん」たちには、秋露は間違いなく手放したくない大事な駒だ。
「あちらで、君のことは何度か見かけた。声をかけるような距離にいたわけじゃない。一方的に私が君を見ただけだ」
「分かるよ。見世物だって言ったろう?」
俺が笑うと、ニコリと秋露も笑った。その笑顔がなぜか今まで見た中で一番苦しそうだった。
「……忘れもしない。みつきが、十一の年」
ということは、俺は二十一。約七年前。
「俺のデカい試合があったころ……」
「君と複数人が、王者の称号をかけて闘う試合があったころだ」
お互いの声が重なって、お互いに同じ認識だと理解した。
「たった数部だけ、そのときの格闘家たち、王者候補と呼ばれていた者たちの写真を撮った薄い冊子が作られたのを覚えているかい?」
「……多分、……いや、覚えている。なんでも外部の要人のために配るとかで、サインを入れさせられた」
そのときのことを必死に思い出す。
当時の記憶が薄らぼんやりしているのには、理由があった。
激闘だった試合後の蓄積されたダメージ、傷だらけの身体、片目さえ閉じかけの、ままならない状態。
「でも俺がサインを入れたのは、……一冊だけで。……あのとき、試合後で、……サインをしたときに、血が」
こちらの都合なんてまるで考えない状況でサインを強要されて、案の定、冊子に結構な量の血が落ちた。
だから、慌てたスタッフが俺を怒って罵って去って、結局その後、他の冊子にサインを入れることも、書き直すこともなかった。
「…‥まさか」
「その要人の一人が、私だね」
それはほんの小さな接点。
「君の血がついているなんて気づかずに、私はそれを持ち帰った」
秋露が拳を握った。
ギリリと、手のひらに爪が食い込む音が聞こえるほど、強く。
「同じ時代、近しい世代に『運命の番』が生まれていれば、どんなに低い確率でも、自ずと引き合い、出会うだろう。それが『運命の番』というものだ。……だけど」
苦々しい、悔やんでも悔やみきれないと言った声で、秋露は絞り出す。
「みつきには早すぎた。もう数年あとにΩとして発現していれば、なんら問題はなかった。いずれ君にも出会っただろう。だが、私の不注意で、私の浅慮で、みつきは君の血に触れてしまった。『運命の番』の血に!! かなり早い年齢で、Ωとして発現してしまった……っ!!」
通常、平均的には、第二の性が発現、自覚するのは第二次性徴期のあたり。思春期を迎えた年齢だ。
確かにみつきの年齢では、早い発現だったのだろう。
「誤差の範囲などというには、『運命の番』の存在を自覚したΩには酷な、命取りになる年数だ。前に私は、『一週間』余裕があると言ったね?」
覚えているかと確認されて、うなずいた。
秋露が最初になにかの根拠に基づいて俺に言って聞かせた『一週間』の目安。
「それは、体力が回復するのを待つための一週間だ。君だけじゃない、ヴァルティくん。むしろ君よりも、みつきのほうがもう持たなかったんだ」
もう、持たなかった?
……成人する十八歳の誕生日を迎える前に、法的にも倫理の問題に触れようとも、俺たちを引き合わせなければ、出会わせなければ、……持たなかったのは、みつきの命か?!
「みつきがΩとして発現してから、かなり強い抑制剤の処方が余儀なくされた。みつきだけが一方的に存在を知っている『運命の番』との関係性。どれだけ歪か、君なら理解してくれるだろう?」
その言葉には、期待が含まれていた。
今までのみつきの苦痛を、耐えてきた孤独を、分からないと言ってくれるなという願いのような期待が。
「Ωとして発現したみつきは、表の世界の新しい法の下で今のような生活に囚われた。私はみつきの生活の基盤を整えてから、君を探しに何度かそちらに足を運んだが、君はもうそこには居なかった」
俺に会えなくて当たり前だ。
王者の称号を獲得し、比較的自由を手に入れ、たまたま訪れた場所で映画関係者と撮影に巻き込まれて俳優にならざるを得なくなった。
自分にとっていろんな意味で激動の時期だった。
引き取ったばかりのカミユを連れて、本当にあちこちと世界中を移動したりもしていたのだから。
「そのころはまだ楽観もしていられた。みつきに適合する抑制剤は、強さは心配したが、多くあった。なにより、君の居場所が分かった。……映画の中に」
今までの中で一番愉快そうに、秋露は笑みを浮かべた。
思わず、俺も苦笑いを浮かべる。
ヴァルティ
秋露




