↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ここは世界で一番空に近い檻 ディストピア一歩手前のオメガバースの世界で運命の番が幸せになるまで 《第一部完》  作者: 庭師K炎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
74/79

栄誉ある抱き枕

そして気絶

 みつきの柔らかな頬を伝って、とめどなく落ちていく涙を優しく拭う。


「ごめ、なさい…っ、ごめ、なさい…っ」

「ほら、謝らない。カミユも言ったろう? あんたは悪くない」


 少しくらくらするのは、この涙に乗っている甘い匂いのせいだろうか。涙にも、みつきのフェロモンが含まれているはずだ。


 ……そろそろ、抑制剤の効果が切れかける時間かもしれない。

 秋露はいつ帰ってくるんだろうか?


 みつきが嗚咽を堪えて深く息をするたびに、彼女の身体が引きつって震える。

 優しく優しく背を撫でて、顔に近いあたりの髪も撫でて、払ってやる。


 黒髪に指を通すたびに、思考がざわつく。


 これは、……俺が危険かもしれない。

 みつきにとっても、現状、俺こそが危険かもしれない。


 理性は、もう離れたほうがいいと警鐘を鳴らしている。

 だけど、俺の胸に額を押し付けて泣いているみつきの涙が頬を流れ落ちるのを見るたびに、離れるなんて選択肢が浮かんでこない。


 それどころか、こうしてみつきを抱きしめ、存分に泣かせてやりながら涙を拭ってやる、それこそが今やるべき最大級の使命だというような壮大な感情まで湧いている。


 番のΩに対するαの大きすぎる庇護欲。

 まだ番契約をしていない関係でも、この有様。

 運命の番ってのは本当にヤバいもんだ。


 先人たちが凶行に狂った恐怖を、少しだけ理解できる。


 こうして頼られて、甘えられて、すがりつかれて泣かれている現状が、とてつもなく甘美でしかたない。


 嬉しくて嬉しくてたまらない。


 彼女が不誠実な事件に巻き込まれたことも、今まで積み重ねてきただろう辛い過去も、無視しているわけじゃない。

 ただ、ずっとどこか遠慮して、俺と距離を取っていたみつきが、やっと俺に感情をさらけ出してくれたのだと、大きく隔たりがあった壁が取っ払われたのだと感じて、嬉しく思わないわけがない。


 柔らかくて手触りが良くてしっとりとした黒髪のつむじに、唇を落とす。

 シャンプーの匂いと、みつきの甘くて胸を透くいい匂い。


 チュッと唇の音を鳴らして、離れた。


 ほんのしばらく間をあけて、なにをされたんだ? とばかりにみつきが顔を上げた。


 泣きすぎて赤くなった目と、大粒の涙で滲んできらめく鳶色の瞳に純粋な疑問だけが浮かんでいる。


「……ァル、ティ、さ……?」


 どうにか俺の名前を呼んだけれど、引きつった喉ではまともに言葉を紡げなくて、まるでカミユが使う俺の愛称を呼ばれたみたいになった。


 悶絶一歩手前。頭の中で欲望が理性を押し潰そうとしている。


 危険、危険、危険!!


 早く離れないと、と頭の中でも胸の中でも叫ぶ。


 だけど、手触りのいい髪を梳いた手が、意図せずみつきのうなじに、彼女を守るチョーカー越しに触れた。

 細い首をなぞる俺の指の動きに、みつきの顎が上がる。


「……ふ、ぁ……」


 甘い声が、涙で濡れた艶めかしい唇からこぼれ落ちた。

 吸い寄せられるようにみつきに顔を寄せ、柔らかな身体をぐっと引き寄せる。


 滲んだ瞳が、至近距離で、不思議そうに俺を見つめ返した。



ーーーーデフォルトの携帯着信音が、ポケットの中で鳴り響く。



 ビクリと、俺は肩を震わせて、動きを止めた。


 ヤバい。自分がなにをしようとしていたか認識して口を引き結ぶ。

 ヤバい。やってしまったらどんなことになっていたか考えて、青ざめる。

 ヤバい。それでもみつきを離すに離せない俺自身を理解して、精一杯、腕を伸ばすだけぐらいの距離を取ろうとした。


 俺が意図的に離れようとしたことに気づいたみつきの手が、一生懸命俺のシャツを掴んですがった。


 なぜ離れるんだと、行かないでくれと、そんな必死さで訴えてくるみつきの目。



 ああー……、ヤバい!! もう勘弁してくれ!!



 ポケットから即座に携帯を取り出して、耳に当てた。

 ただし、慌てすぎてスピーカーに切り替えてしまっていたが。


「Hello?」

「ハロー?! あっ、すみません、先ほどお話させていただきました警備監視ルームの者ですが」


 確かについさっき、なにか新たな問題が起こったり、必要な連絡があればと言って俺の携帯番号を警備員に渡した。

 早速の電話なんて、いったいなんの用だ? と思いながらも、心の中では最大限の感謝を述べたい気持ちで一杯だった。


「ああ、なにかあったのか?」

「いえ、その、みつきちゃ……、みつきさんの忘れ物だと思われるポーチと折り紙をお預かりしておりまして」

「ポーチ?」


 そういえば、みつきはずっとなにかを抱えて持っていたはずだったのに、もちろん今はそれはない。

 家の中のどこかに置いたという気配もなかった。


 スピーカーにした電話の向こうからの声はみつきにも聞こえている。

 みつきは小さく、あ、と呟いたが、その声さえもまだ震えていた。


「分かった。取りに行くから預かっておいてくれないか?」

「それは構いません。お待ちしております」


 警備員は快く了承してくれて、電話は切れた。


 携帯を置いて、みつきを見る。

 涙は止まりかけていたが、まだ喉を引きつらせて息をしている。


「取ってきてやろうと思ってるんだけど?」


 尋ねてみたけれど、みつきは返事も、うなずきもしない。

 ただギュッと、もっと強く握りしめられたシャツが音を立てただけだった。


 みつきが瞬きをすると、またぽとりと涙が落ちた。

 だからそっと、頬を撫でて涙を拭ってやった。


「オレ、行ってこようか?」


 どうやら食事を終えたカミユが、空になった皿を持って立ち上がった。

 キッチンに行って皿をシンクに入れると、くるりとこちらへ振り返る。


「なに持って帰ってくればいいかは、行けば分かるんだろ?」

「たぶんな。……な?」


 聞いてみると、みつきはのろりとうなずいた。

 なんだかその眼差しも気だるそうだ。ぼんやり感が増したというか、疲れが見えているというか。


「そんな状態のみつきサンが自分で行くのなんて無理そうだし、ルティが行ったら、みつきサンまた……」


 泣きそうだし、と言いたかったのだろう言葉を、カミユはわざと言わずに止めた。


 みつきがのろのろ動いて、ほんの少し空けていた俺との距離を詰めてきた。

 俺の胸にまた額を寄せて、引っついてくる。


 ……俺は諦めた。


 抵抗する気力を失って、虚脱感に身を任せる。


「じゃあ頼んだ、カミユ。俺はもう栄誉あるみつきの抱き枕に成り下がる。満足するまで好きにしてくれ」


 そう言って、ソファーにボスリと身を横たえた。


 俺は枕。俺は枕。

 枕は持ち主におかしな期待を抱いたり、欲情したりしません。


 この国にある言葉で「心頭滅却」ってやつが今の俺に一番必要で、一番似合うだろう。


 明らかにみつきは嬉しげな気配で、俺を追って身を横たえた。


 多分だけど、みつきはもう疲れ果てているんだ。


 そりゃそうだろう。

 朝から今まで、どれだけのことがあって、どれだけ気を張っていたか。


 大泣きして、我慢していたものが全部取っ払われて、眠気にも襲われているのだろう。


 当たり前の肉体の反応。当たり前の精神の緩み。


 俺を枕に横たわったみつきがすぐに、うとうとしだしていることにカミユも気づいたようだった。


「じゃ、行ってくるね」

「おう、よろしく」


 最後にカミユは、自分の両目に指を二本当てて、それから俺を指差してくるというジェスチャーをしてきた。


 ちゃんと見てるからな。

 (これ以上)変なマネするなよ。


 言葉にせず、カミユが行動だけで俺に警告してくる。

 俺は唇を引き結んで、静かにうなずいた。


 カミユは静かにリビングを、家を出ていく。

 玄関のドアが閉まって、オートロックがかかる音まできちんと聞こえるほど、家の中は静まり返っていた。


 聞こえるのは、みつきの時々引きつらせるような呼吸音だけだ。


「大変だったなぁ。疲れたろ? 寝ちまえ、寝ちまえ」


 何度もみつきの頭を撫でる。

 抱きしめているみつきの身体から、ゆっくりと力が抜けていくのが分かる。


 はぁ、と深い息を吐く。

 引きつけがなくなるほどには落ち着いた様子のみつきの息が鎖骨のあたりにかかって、むずかゆい。


 俺は枕。俺は枕。

 もう一度呪文を繰り返す。


 でも、これだけは言っておきたくて、みつきの黒髪にキスを送りながら、口を開いた。


「……切った髪、よく似合ってるよ。……お世辞じゃないからな」


 もう目を閉じかけていたみつきに、ちゃんと聞こえたかどうかと思わず訝しんだ。


 髪をもう一度撫でる間に、コクリと、みつきがゆっくりとうなずいたのを見て、ちゃんと言葉が届いたんだと安堵した。


 良かった。

 今度こそちゃんと伝わった。


 みつきの頭に頬を寄せて、笑みが溢れた。


「……、……助け、に」

「ん?」


 眠たげな、眠たげな、小さく力のない声で、みつきは言葉を紡ぐ。


「来て、くれて」


 全神経を集中させて、その微かな声に耳を傾けた。


「ありが、と……、ヴァルティエル……」


 それは礼だった。


 求めても得られないと思っていた助けに涙する。

 ずっとずっと諦めるしかなかった彼女が、ようやく自分を助けてくれた俺に向けた、救われたと言わんばかりの切実な礼。


 だけど、どうして。


「みつき、今、俺の名前……っ」


 彼女に伝えていないはずの、裏の世界に置いてきた俺の本当の名前を、なぜ、みつきが。


 驚きのあまり、少し身体を起こした。

 問い詰める勢いで、みつきを見下ろして。


 意外にも、ゆっくりと顔を上げたみつきの顔があまりにも近くにあった。



 柔らかくて甘やかな唇が、確かに触れ合う。



 ちゅ、とささやかな音を立てて唇は離れ、みつきはすぐに俺の胸にまたもたれかかって目を閉ざしてしまった。


 穏やかな寝息が聞こえる。

 俺は反射的に、唇が触れ合った箇所を舌で舐めた。



 ……そこから、記憶がない。



 気がついたら、いつの間にか戻ってきていたカミユに。


「ルティまで寝てんの? どうする? 寝とく?」


 なんて言って起こされていたのだった。


 腕の中では、みつきがすやすやと眠っていた。


 どうやら俺は、気絶していたらしい。

 いや、でも、覚えているぞ?!


 俺は手を出していない!!


 でも、みつきからキスされた。

 それは、……セーフってことだよな?!


 ……なにか、他にも大事なことを忘れている気がするけど……?


「いや、起きるよ」


 みつきを起こさないように抱き上げて、起き上がる。


 やっぱりしっかり自室のドアを閉めているみつきの部屋に入るわけにもいかず、カミユが「いいんじゃない?」なんて言うから、彼女を俺の部屋のベッドに寝かせた。


 そして、食卓の上の朝食と言う名の昼食を食べ切るころ、秋露から、「帰ってきた」という旨のメッセージを受け取って、俺は彼の研究室へと向かったのだった。





ヴァルティ

みつき

カミユ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。