言いたいことは少しだけ
許されない理由などあっていいわけがない
カミユは駆け込むような勢いで洗面所へ行って、手を綺麗に洗って戻ってきた。
その動き、空気の流れで、俺も動くことを余儀なくされる。
ゆっくり一歩前へ足を踏み出すと、背中側のシャツの裾をずっと、ほんのちょっぴりだけ掴んでいたみつきの指がスッと離れた。
だから、カミユと入れ替わりに俺も洗面所へ行って手を洗って戻ってくる。
みつきはキッチンへと入っていくところだった。
食卓の上には、みつきが用意してくれていた朝食がそのまま残っている。
時刻はもうすぐ昼食をと言い出してもおかしくない時間だった。
ディッシュボウルに盛られたロールパン。朝、カミユに投げつけられて食べたときに気づいたんだが、中にはマーガリンが詰め込まれている。
パセリを飾ったポタージュスープ。チーズとハムが混ぜ込まれたスクランブルエッグ。レタスとベビーリーフのサラダの上に、皮目をパリッと焼いた一口大のチキンがゴロゴロ乗っている。
ジャムとスプレッドの瓶が並び、果物が小鉢に入っていた。ブルーベリー、バナナ、ラズベリー、シードレスのグリーングレープ、よく見たらその下に少しのシリアル。ヨーグルトをかけて食べる予定だったのかもしれない。
キッチンシンクで手を洗ったみつきがこちらを振り返り、食卓の上を見て眉尻を下げる。
カミユはロールパンを先に取って頬張りながら、俺にもひょいと一つ、投げ渡してきた。
遠慮なくかじりつく。
それを見て、ハッとなったみつきが慌てて動き出した。
「ごめんなさい、すぐ、温め直します」
「いいよ、冷めてても美味いものは美味い。ぜんぜんヘーキ」
滑り込むような、流れるような動きでカミユは自分の席に座ると、すっかり冷めているポタージュスープをグビグビとあおり飲んだ。
「でも…っ」
カミユはスープを飲むのをやめもせず、横目でみつきを見てから果物の小鉢の中からグリーングレープだけを数個取り出し、おもむろに彼女に向かって差し出した。
「ん」
「え? あ」
取れ、とばかりにカミユがぐいぐいグレープを差し出すものだから、みつきは押しに負けてそれを受け取った。
食べろと言われていることも、無言の圧力として理解したみつきは、のろのろとグレープを一つずつ口に入れて、咀嚼する。
「オレが言いたいことは少しだけ」
飲み切ったスープ。サラダのチキンにぐさりとフォークを突き立て、カミユは睨むでもなく、威圧するでもなく、真っ直ぐにみつきを見る。
グレープをむぐむぐ食べているみつきは、口を開くことが物理的に出来ずにそんなカミユに向き合った。
「どこか行きたい場所が出来たら、メッセージで行き先を告げるんじゃなくてオレらどっちかに対面で話してから行って。特にルティには必ず言って」
まだ咀嚼を続けているみつきがコクコクと何度もうなずく。
「ルティにも、みつきサンが使ってるこの国のメッセージアプリ入れさせたから、さっさと繋がっといてね。以上」
パクリとサラダとチキンを口いっぱいに頬張って、カミユは満足そうに目を瞑る。
グレープを飲み込んだみつきは口を開くのも少しためらって、戸惑って、それから自責と、困惑と、申し訳なさと、いろんな感情をどうしたらいいのか自分でも分かっていない様子で苦しみながら、選び抜いて、やはり謝罪を口にした。
「……でも、……やっぱり、……ごめんなさい」
じろりとカミユが、みつきを見上げる。
「なんに対しての謝罪?」
「えっと、……えっと、迷惑を、かけて……?」
「どんな迷惑?」
「あ、う……」
目を泳がせ、うつむいて、みつきはギュッと両手を胸の前で握りしめた。
「変な、ことに、巻き込んで」
「巻き込まれてるのはみつきサンもでしょ? あんたも被害者」
「……っ」
驚いた顔で、みつきがカミユを見る。
カミユはもう一つ、チキンにフォークを突き立てた。
「みつきサンが迷惑をかけたって言うなら、それはオレらに対面で話してから出かけなかったってことだけ。そうしてたら、一人でなんて絶対行かせなかった。そうしたら、こんなことは起こらなかった。その件に関してオレはもう言いたいことを言った。みつきサンは了承した。OK?」
そしてカミユはチキンを口に放り込んだ。
もぐもぐ咀嚼によって動くカミユの頬を見つめてしまう。
「……でも、……でも」
みつきは納得がいかないのだろう。
一体なにに対してなのか分からなくもないし、みつきが分からずにいることだって理解できる。
それほど、彼女を取り巻く環境も、その中に居続ける彼女自身も、複雑なんだ。
必然的に巻き込んだ俺たちに、謝らずにはいられないほどに。
カミユがしたみたいに、さっぱりと許されることを受け入れられないほどに。
「でも……っ」
必死に言葉を探そうとする。
許されない理由が欲しいのかと思えてしまう。
……Ωであることが、許されないことなんかであるわけがないのに。
「みつき」
ビクリと肩を震わせて、みつきは俺を見た。
小さな手をもっとぎゅうと握り締めたせいで、また白い肌がもっと白くなってしまっていた。
「もういい」
俺の言葉に疑問を覚えたようで、みつきが少しだけ首を傾げる。
肩までの長さの黒髪が美しく揺れた。
「もういいから、おいで」
そっと、手を差し伸べた。
ピクリとまた違った意味で、みつきの肩が震えた。
無遠慮に彼女を求めるような、そんな強引なもののつもりはない。
無意識に、みつきが求め、繋いでくれていた俺の手に彼女の視線が注がれる。
帰り道のエレベーターの中でも、家に入ってくるときだって、ずっとみつきは俺の背中のシャツを掴んで離さなかった。(実はずっとそれをカミユに気づかれていたが、息子はなにも言ってこなかった。)
Ωの精神は、基本的に脆く弱い。
ストレスがかかればかかるだけ、番への依存度は高まってしまう。
そして、Ωである前に、……一人の年頃の女の子が、理不尽な情欲に狂った男に一方的に迫られて、あれだけ気丈に立ち続けていられたのなら、それは褒めてしかるべきだと思う。
「おいで」
もう一度、優しく呼ぶ。
「……、……っ」
みつきが息を詰める音を、確かに聞いた。
一歩、俺の方へふらりと歩み出したかと思ったみつきの目から、ぼとぼとと涙が溢れ出して、ギョッとしたのはカミユだった。
みつきが駆けた足音もほとんど聞こえない。
腕の中に飛び込んできたみつきを、ギュッと抱きしめた。
「……っ、……っふぅ、うぇ……っ」
泣きながら、泣いてしまいながら、この期に及んでみつきはまだ泣き声を殺そうとする努力をしていた。
柔らかな身体を抱き支え、頭を撫でてやる。
「怖かったろう? 頑張ったな」
「ひぐ…っ、うぅー…っ!!」
みつきが顔を埋めた俺のシャツの胸元が涙で濡れるのを感じた。
カミユは小さく息を吐き出し、ほんの少し笑ってから、俺たちから目を逸らすように食事に戻っていく。
俺は泣きじゃくるみつきを抱き上げると、膝に抱いたままリビングのソファーに腰を下ろした。
ヴァルティ
カミユ
みつき




