αというもの・高位、低位、劣化
研究者にはよくあること、たぶん
「大まかには、来てもらうまでにメッセージで話し合ったことで変わっていないよ」
「ああ」
秋露は手に持っている携帯をひらひらと振ってみせた。
「カミユくんとも、携帯電話を持っていたらメッセージのフレンド登録をしておきたいんだが」
その提案に、カミユは首を振る。
「俺、携帯解約してきたから、今まだ持ってない。ルティみたいに仕事関係の大事な連絡が入るわけじゃないし、データはクラウドに保存してあるし、この国の最新機種買おうと思ってる」
いつ研究協力が終了して国に帰るかも決まっていない。むしろ、長期の滞在になることだけは決まっていた。
こくこくとうなずく秋露の納得している表情を見る。
「それなら、携帯を買いに行くのも早急に、だね。連絡手段もまともにない、ティーンエイジャーの高位αを一人で自由に、外を出歩かせるわけにもいかない。学校に行くにも支障が出る」
秋露は携帯を手早く操作して何かを書き込み、そしてどこかへメッセージを送る。
「……高位α、ってなんだ?」
「うん?」
ごく自然に秋露が口にしていたαの呼び名に疑問を投げかけた。
「αにはランクというか、明確に能力差があるだろう? その括りを表しているんだ。普通のバース性として呼ぶときはそんな差などなくαと呼ぶ」
「へぇ」
興味深く相づちを返すと、秋露は携帯から顔を上げた。
俺と同じように、興味深そうなカミユの視線にも気づく。
「研究としての括りだから、確かに一般的な表現ではないね。でも、……αなら、そんな名前などつけずとも分かるはずだ」
その言葉には、静かに笑みを浮かべる。
αは、α同士であるならなおさら明確に、相手のαとしての強さが分かる。
力や知力、地位、そんなものの事ではない。
もっと根本的な、もっと原始的な、種としての圧倒的な優劣を、対面したときからまざまざと感じ合う。
αだけが、同じαを威圧できる。
それは己の番を守るため。
己の種を守るため。
比類なき強者の、当たり前の主張にも感じられる。
だが、昨今はそれ自体も、抑制剤の意図しない効果のせいで曖昧になっていた。
それすらも逆手に取って、種として優秀なαはその優秀さをひけらかさないための隠れ蓑に使っている。
……もちろん、俺も。
「昨今の研究協力によってαの能力値の数値化がだいたい終わって、ランク分けが完了した。もちろん、世の中には出回らない情報だ。そのランクによって社会的な影響があるかないか、どうこう、ということは特にない。ただの目安みたいなものだ」
話す口を止めないまま、秋露はぽんぽんと己の白衣のポケットを一つずつ叩いて探っている。
「普通のα。それは近い血脈のどこかにΩから生まれたαの遺伝子を継いでいる者」
一つのポケットから自分の名刺を見つけた秋露はそれを携帯と一緒に片手に持って、また他のポケットを探り出す。
「低位α。α同士の結婚やαβの結婚によって生まれたα。近い血脈の中にΩの遺伝子がない、またはΩと関わったことのない遺伝子を持った者。その能力値は、βに近い」
目当てのものが見つからず、改めてポケットの中をゴソゴソと探し始める。
「劣化α。抑制剤のオーバードーズ及び副作用のせいで、本来の能力を劇的に失ったα。番の消失、上手く番との絆を結べずに能力値に異常をきたした者も、この区分に入る。瞬間的な能力値は本来のものと変わらないことがあるので、接触は要注意」
全部のポケットを探してみたけれど、秋露が思っているものは見つからなかったようだった。
「高位α。αΩとの間に生まれたα。その上、近い血脈、三代は確実とした直系尊属にαΩの遺伝子があるα。その能力値は……」
計り知れない。
とでも言いたかったのだろうか。
秋露の目は、俺とカミユをしっかりととらえていた。
「俺は、血の繋がっている方の自分の親のことはなにも知らねぇよ」
それはカミユも一緒だった。
それを恥じたり後ろめたく思ったりはしていないカミユも、秋露を真っ直ぐに見つめ返していた。
「……ちょうどヴァルティくんが生まれた頃の時代は、この世界が最も愚かに狂っていた時代だからね。なにがあったかなんて、誰にも正しく分かりはしないよ」
まるで嘲笑うかのように、秋露は嗤う。
いつもの穏やかで物腰優しいセンセイ様が微かに見せた、暗く、そして底知れない、知恵者だからこその闇が覗く嘲笑だった。
「今みたいに、たまに研究用語を口走っているかもしれないが気になったら遠慮なく突っ込んでくれ。君たちには包み隠さず答えるつもりだ。それと、一番に見てもらわなきゃいけなかった、カミユくんの入学手続きの記入書類が手元にない」
まるでカメラのシャッターを切ったかのような瞬間の切り替わりだった。
目の前で書類がないと肩を落とす秋露は、いつもの柔らかな雰囲気をまとっている。
「第一検査室の隣が私の部屋……、……研究室の一つで」
わざわざ言い直したと言うことは、そこは秋露の私室の部屋なんかではなく、確かに研究室ではあるんだろう。
みつきが先ほど叫んでいた内容に、秋露の不摂生を暴露するものも含まれていたから、よくあるマッドサイエンティストの、ろくでもない行動のひとつなんじゃないかと想像した。
「さっきまでそこで書類を見ていたから、十中八九、落としてきたんだろう。みつきを先に行かせたことにほとんど意味はなかったなぁ。一緒に行けばよかった」
秋露は俺とカミユを促して、一緒に部屋を出た。
白くて綺麗な廊下が続いている。
窓の向こうには病院が併設されている建物があって、そこで働いたり、廊下を行く人の姿なんかもよく見えた。
こちらは研究センターの建物。
この階には、人の気配はそう多くない。
「……みつきはなんの検査だ?」
尋ねると、前を歩く秋露はわずかにだけ振り返った。
にやりと彼が口角を上げたのが見えた。
「心配ないよ。一ヶ月に一度のいつもの定期検査だ。ちょっとした身体測定、心電図、血圧測定、それに今日は採血がある。その数値によって、抑制剤の見直しもする」
内容に安堵する。
その程度なら、自分たちもよくやる検査だ。
「少し急くけど、検査室でさっさと話してしまおうか。どうせみつきも交えて住居のことなんかを話し合うつもりだったから。そうしたら、今日のうちに携帯を買いに行く時間くらいは取れるかな?」
秋露が携帯の時計に視線を落としている。
歩き進める足は止まっていない。
向かう廊下の先に「第一検査室・Examination Room1」とプレートを掲げた部屋が見える。
その部屋のドアがスラリとスライドして、中から清潔なケーシーを身につけた、いかにも医療従事者、といった風貌の女性看護師が現れた。
一瞬だけ、彼女が驚きで身を強張らせたような気がした。
だが、すぐに元気な声で。
「水実先生、みつきさんの採血終わりました。検査室に回しておきますね。今は心電図中です。あとをお任せしてもいいですか?」
と、まだ少しある距離をものともせず、声をかけてきた。
看護師から投げかけられた声に気づいて、秋露が顔を上げる。
思えば、これはいつもの彼らの日常風景なんだろう。
秋露の明確な返事を待ちもせずに、看護師は検体輸送バッグを小脇に大事に抱えて、足早に去っていこうとする。
宣言したとおり、検査室に向かうのだろう。
みつきの血が入った真空採血管が、その検体輸送バッグの中に入っているだろうことは容易に想像がつく。
……ただし。
明らかに急いでいる様子の看護師から検体輸送バッグを流れるように奪い取り、危なげなくカミユに投げ渡した。
カミユが無事それを受け取ったことを確認すると同時に、看護師を捕らえて、壁に押し付け自由を完全に奪う。
あまりにも自然で、あまりにもスムーズで、あまりにも容易い制圧だった。
なにが起こったのか分かっていない看護師が、壁に押し付けられ、身動き一つ取れなくなった状態となってからようやく、「は?!」と大きな声で現状に震え上がり、戸惑い、驚愕した声を上げた。
「なに?! なんなの?! なんで…っ?!」
自分がどういう状況なのかが理解しきれなくて慌てる看護師が、壁に押さえつけられた状態のまま激しくもがく。
だが、どうやらβであるこの看護師が、αである俺に力で対抗できるわけもない。
なにか他に言葉を付け足すのならば。
……番の血の匂いを漂わせながら逃げ去ろうとする盗人を、自由にするつもりは毛頭ない。
「検査用の採血以外になにか、彼女の血を使う予定があるってんなら、謝るさ。一生遊んで暮らせるだけの賠償金を払ってやる」
ぐっと、さらに看護師を壁に押し付ける。
「説明してみろよ? どうしてあんたから、そんなにもみつきの血の匂いがしているんだ?」
確かに、看護師の顔色が変わったのを見た。
秋露
ヴァルティ
カミユ
看護師




