運命の番というもの・2
無言で視線を交わし続け
そして、なにもやりとりを始めない俺たちをじっと見ていた秋露が、ニヤニヤとおかしな笑みを浮かべていることに気づいた。
「……なんだよ、秋露センセイ?」
「……君で良かったと思っているところだよ。ヴァルティくん」
彼の言わんとすることが分からなくもない。
だがこっちはこっちで、存外必死だ。
さっきも考えたとおり、αとしての在り様や、社会的に死亡しないためや、αとして発現したばかりのカミユに無様な姿を見せないたや、……目の前の、Ωである彼女をこれ以上怖がらせないために。
ちゃんと抑制剤の効果があるにしても、Ωを前にして理性を飛ばすαなんてザラにいる。
それに、この子は俺の「運命の番」?
本当に?
そんな風に疑いたくはなる。
だって、今の世の中で運命の番に出会える確率なんて、どれほどのものだ?
天文学的数字と言われても不思議じゃない。
だけど思考とは別の感覚が、身体が、それこそ本能が、示している。
求める相手が目の前にいるぞ、と。
同じ空間にいるだけで、肌で感じ取っている。
同じ空間の空気で呼吸し合っているだけで、感じ取っている。
あまりにも甘美なその存在を。
『……拷問に、近い』
一瞬でも気を抜いたら、次の瞬間、自分がどんな行動を取るか想像がつかない。
極限まで神経を張り詰め、内心、拳を握り、奥歯を噛み締めた。
「まだ、……社会的に死ぬわけにはいかないってだけだ。ちゃんとカミユが育つまで、親らしくいさせてくれ」
秋露が眼鏡の向こうの目をひどく優しく細めた。
「それに、あんた、本当に十八……、いや、十七か? カミユと同い年か下だって言われても、納得しちまうぞ?」
近づいたからこそ、改めて分かった彼女の姿。
カミユと並ばせても、同じくらいの身長しか無さそうだ。
カミユは成長期で、これからまだまだ身長も伸びるだろう。彼女の背を抜かすなんてあっという間に違いない。
怯え、遠慮し、緊張ばかりに見えていた彼女の表情が、呆気にとられ、そしてすぐ怒りをたたえたものに変わった。
「ちゃんと十七だもの!! もうすぐ十八だもの!! 中学生と一緒にしないで!!」
「うわ?!」
思ってもいなかった勢いで、彼女は吠えた。
「背だって低くない!! この国の女性の平均値と一緒だもの!!」
「ああ?! それにしたって細すぎだろ?! 秋露センセイ、ちゃんとこの子に飯、食わせてるのか?」
疑問を秋露に振ると、彼は喉を鳴らして笑った。
それを見て、また彼女が憤る。
「食べてるもん!! 不規則で食べないのは秋露おじさんの方なんだから!! いっぱい食べたらその分育ちそうな外国の男の子と一緒にしないでっ」
突然、自分と比べられてしまったカミユがギョッとした。
「この国の飯って世界中から絶賛されるくらいには美味しいはずだよな?」
若干オタク気質の知識を見せるように、憧れの国にようやく来られたばかりのカミユが、彼女の華奢な体躯を見ながら俺の意見に賛同して問う。
「美味しいからっていっぱい食べるかとか、栄養足りているかとかは別でしょ?!」
彼女はそんなカミユに向かって言い返す。
もっともな言い分ではある。
確かに、彼女は華奢だがこれだけ元気に怒ることができるなら、当面心配はなさそうだ。
それによくよく見てみれば出るところはちゃんと出ていて、細い腰なんかの繊細な輪郭が、やけに彼女の身体の線をたおやかに見せていて……。
……これ以上考えるのはやめておいたほうがいい。
感情豊かに怒っている彼女の表情は、年相応にも、やはりカミユと変わらないほどにも見えた。
それでも、どこか暗い影を落としていた先ほどとは違った人間らしい当たり前の感情の発露に、胸を撫で下ろす気分だった。
「ご自分が立派な筋肉をお持ちだからって私と比べないで欲しい…っ。絶対無理だもの…っ。そんなに筋肉があったら、迷うことなく大型バイクの免許取りに行くんだから…っ!!」
「ん? バイクの免許? 確かに持ってるが。あんたバイク乗りたいのか? じゃあ、取りに行けばいいじゃねぇか」
乗りたいのであれば乗ればいい。
免許が必要ならそう行動したらいい。
さらりとその意欲を肯定してやったのに、彼女は目を見開いて、また感情を高ぶらせた。
「だから…っ、やれるならやってる!!」
叫んだ彼女の、その言葉の意味。
ピピピピピピ……ッ。
突然、彼女の腕に着けられていたスマートウォッチがアラームを鳴らす。
全員が、彼女の腕に視線を注いだ。
「あ……」
そして、冷静に返っていく彼女の表情の変化をつぶさに見た。
「そうか、そろそろ検査の時間だったね」
「はい」
落ち着きを取り戻し、腕の端末を操作しながら、秋露に答える。
秋露もまた携帯を取り出し、予定を確認した。
「第一検査室だね。私はまだ彼らと話があるから、先に行きなさい」
「……、……」
なにかを言おうとして、言えなくて、少し迷ったようだった。
そんな彼女の不思議な挙動に、秋露が気づかないはずもない。
「……っ?!」
驚きで、跳ねかけた。
かろうじてビクリと肩を震わせるだけで済んだことに、自分で自分に賞賛を贈りたい。
彼女はちゃんとまっすぐに秋露を見ている。
今も、だ。
ただし、彼女の手が、小さな指が、もうほぼ隣に並んで立って秋露を見ていた俺の手の指をたった一本、掴んでいた。
まるですがりつくような頼りなさで。
離れてくれるなと必死の思いで絡ませているかのような強さで。
でも、その強ささえあまりにもか弱かった。
秋露の視線が、一方的に繋がれた俺たちの手に落ちる。
その視線を追って、彼女の視線も落ちる。
その時にようやく、彼女は俺の指を握っていることに気づいたようだった。
「ふわあっ?!」
奇妙な叫び声を上げて、身を震わせて、爆発するように赤くなった彼女の驚きに、こちらも驚く。
手を繋いできたことは、まさか無意識だったのか?!
握っていた俺の手を投げ出すように離し……。
……離したこと自体に、彼女は確かに、悲痛な表情を浮かべた。
俺が彼女を「運命の番」だと認識しているのと同じように、彼女もまた俺を「運命の番」として認識しているはずだ。
くだらないことで言い合いをして喧嘩をしようとも、気分を害そうとも、思考でどう思っていようとも、……抗えないものがある。
αよりも、Ωのほうが、番への依存度は高い。
Ωよりも、αのほうが、番への庇護欲は深い。
目の前で「離れるのが惜しい」と表情を曇らせた相手を、放り出しておくことはできなかった。
瞬きする暇さえ、必要としない。
片腕だけで、抱き寄せる。
「居なくなるわけじゃない。あとで必ずすぐまた会える。どこに行くわけでもない。だから、……心配するな。……みつき」
一瞬だけ、抱きしめた。
初めての抱擁は短かったが、まるでこの腕の中こそがみつきの場所であると確信を持つには十分だった。
みつきの耳元で、その黒髪の柔らかさを感じながら告げる。
そうして、まるでぴったりと自分の身体に添っていたみつきの身体を、半身を引き剥がすかのような苦しみを持って自由にした。
「……はい」
同じく、自由になったみつきは、惜しみながらも素直に返事をして、名残り惜しそうにしながらも確かな足取りで部屋を出ていった。
去っていく姿を、黙って見送った。
もちろん秋露とカミユもだ。
みつきが出ていったドアが閉まってから、ほんのしばらく経って、……俺は片手で顔を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
カミユは一体なにが起こったんだと言わんばかりに、だが賢くなにも言わずにじっと俺の様子を見つめたままだし、秋露はずっと声を殺して笑っている。
「……ちくしょう。なにが可笑しいんだよ、秋露センセイ?」
「面白可笑しいわけじゃないさ」
答えながらも、秋露は笑い続けている。
バクバクとうるさいほど速い鼓動を刻んでいる心臓を落ち着かせるために、深い呼吸を繰り返した。
うなだれるしかなくて下を向くと、長い髪がザラリと流れてきて鬱陶しい。
髪を掻き上げながら、顔を上げ、じっとりと秋露を睨みつけた。
「くそ…っ。秋露センセイ、明日にでも髪を切りに行きたい。どこか紹介してくれ」
「分かった。私の懇意にしている理容師が近くにいるから、頼んでおくよ」
「よろしく頼む」
はあぁ、と大きくため息を吐くと、気を取り直して立ち上がった。
そうして思考を切り替え終わった俺に、秋露は穏やかな態度で、改めてまっすぐに向かい合った。
「さて、これからの話をしようじゃないか」
こちらに来るようにとカミユを手で呼んで、俺は深くうなずいた。
ヴァルティ
みつき
秋露
カミユ




