運命の番というもの・1
それでも自己紹介は大事
「バース性法律が厳しくなったことは知っているだろう? いくら『運命の番』だとしても、今の法律に照らし合わせて免除されることなんて少ない少ない」
センセイ様が言っていることは、分かる。
とてもよく分かる。
「だから、彼女が十八になるまであとちょっと。親交と親睦を深めつつ、仲良くやってくれ。決して、明日には君の両手に手錠がかかっているようなことにはならないでくれよ?」
茶化して言っているように聞こえるが、センセイ様の言葉は本気だった。
なんなら通報さえ彼自身がするだろうと思えるほど、真剣な眼差しが眼鏡の向こうで光っていた。
「それでは改めて全員自己紹介といこうじゃないか。私は水実秋露。彼女の姉の夫で、今は養親だ。このセンターの所長なんかもやっている。医者で研究者。このあとすぐ全員分の薬を見直させてもらうからね」
パチリと片目を瞑って見せた秋露の明るさに、張り詰めていた空気が少しだけ緩和する。
秋露の視線はカミユに向いた。
それに気づいて、少年は口を開く。
「カミユ・ノーススター。十三、今年の誕生日はもう来た。ルティの生活に合わせて、しばらくこっちの学校に通う、はず。この国の言葉はしゃべれる。でも書くのも読むのもまだ全然」
秋露の後ろで、彼女が目を輝かせて音を立てずに手を叩いている。
カミユの言葉が、発音が、文法が、まったく違和感もなく堪能であることに対しての賞賛だろう。
「前に会ったときにはまだバース性は明確に発現していなかったけれど、……今はもう違うね?」
「うん、センセイさ……、秋露センセイが言ってたとおり、オレはαだった」
静かにうなずく秋露。
「君の抑制剤も、これから先、責任を持って調整していこう」
力強いその言葉に、俺は安堵した。
カミユが驚いて目を見開き、黙ったまま、強い眼差しで俺を見た。
聡明なカミユのことだ。今の秋露の言葉一つで気づかれてしまったに違いない。
ここに来る経緯でカミユに説明したのは、表向き、俺が秋露の研究に付き合う約束だけ。
そこに発生する見返りを、何一つ説明していない。
数多ある理由。
お互い得られる利益、輝かしき研究成果。
そんなものを押しのけて一番に、俺は、世界最高峰の研究者であるDr.水実秋露に、αである息子の抑制剤の管理を願い出た。
それがどれほど意味のあることか。
報酬などそれだけでいい。
これから先どれだけの苦労が舞い込もうと、そう思いさえする最良の契約を得たのだった。
満足気に笑った俺を見て、カミユは音が立ちそうなほど拳を握った。
だがそのことについてとやかく言い合うほどの余裕は、今この場にはなかった。
秋露がすっと手を差し出して、俺に言葉を促してくる。
「あー…、……ヴァルティ・ノーススター。詳しいプロフィールは公表しているやつを参考にしてくれ。元映画俳優、あといくつかこの国での仕事を終えたら、正式に引退だ。そのあとは秋露センセイの研究にしばらく付き合う。その先は考えてない」
自己紹介は慣れたもので、そしていつも投げやり。
実は、公表しているプロフィールを自分でも覚えていない。
年齢、生年月日、実はどれもこれも本当のことか怪しい。
裏社会出身の、元は孤児。
推定でしかない年齢。誕生日はだいたいこのあたり。
真実を堂々と公表するような素直ちゃんではなく、嘘偽りを本当だと公表するだけのふてぶてしさは持っている。
だけど、もうそんな嘘をつく必要もなくなるんだなと思うと、急に不誠実さを感じてしまった。
その不誠実さが向いている相手は、秋露と、自分の番と言われる彼女なんだと思うと、いたたまれないというか、胸の奥がざわつくというか。
思わず、うつむきかけた顔にかかった前髪をかき上げた。
くくって束ねていなければ、今は肩を過ぎる長さの金色の髪。撮影が終わって、役を終えて、もう伸ばしている必要はない。早めに切ってしまおうと心に決めた。
重たい前髪の向こうに、秋露が身をずらした動きが見えた。
そんな彼の後ろから一歩、前へ進み出た小さな姿に、……目が釘付けになる。
しょんぼりと肩を落とした姿は、あまりにもか弱い。
「水実みつきです。……、……説明できるような肩書は、ありません……」
落胆した弱々しい声音。
そんな声さえ、耳に心地良い。
そして、ゆっくりと彼女は顔を上げる。
視線が交わる。
滲んだ黒かと思わせる瞳に光が当たると、鳶色の光が輝いたのが見えた。
つややかで豊かな黒髪は長く、ゆったりと緩い三つ編みに束ねられて、背に落とされている。
髪と瞳の濃い色のインパクトが強いせいで、彼女自身の肌の色は儚さを感じるほど白く見えた。付け足すなら、日焼けなんかとまるで縁がないような瑞々しい白さだ。
Ωというバース性特有の、色素の薄さ、もしくは濃さなのだろう。
αである俺も、またカミユも、色素の薄さは目立つ。
俺の瞳は明るい青色、髪色は金。
カミユはその金髪さえ時々銀色にも見えるプラチナブロンドで、目の色は珍しい赤色だ。極端に色素が薄い事が原因だ。だが、その影響自体は成長や体調には出ていないところが救いだった。
お互いに、ある程度健康的な若者として、他者の目に映るだろう。
だが、彼女は。
……あまりにも華奢で、夢のように儚くて、だが十二分に女性らしい身体つきと、息を呑むような美しさ。
幼ささえまだ残る面立ちの、綺麗に整った目鼻立ちだけのことを言っているわけではない。
そのすべてが。
これほど、心惹かれる美しさというものを目にしたことは間違いなく生まれてはじめてだと、全思考が、全神経が、己そのものが叫んでいるようだった。
喉が渇く。
唾を飲み込もうとしたけれど、無駄だと悟ってしまえるほどには、まだ思考はまともに動いてくれているようだった。
無意識に、でも渇望して、一歩足を踏み出す。
無意識に、でも明確な意志で、彼女に向かって手を伸ばす。
ビクリと、細い肩がひどく跳ねたのが見えた。
戸惑いと怯えを隠すこともできていない、恐怖とも取れる彼女の反応に、胸の内に込み上げた気持ちは疑問だった。
「あれ」は俺のモノだ。
なぜ、「俺」に怯える?
「俺」を拒絶するとでも言うのか?
ーーーー許せるわけがない!!
彼女に向かって伸ばした俺の手の速さに、誰も反応できない。
勢いに任せて彼女に迫り、掴みかかることなどあまりにも容易い。
それほど、彼女は無防備にそこに佇んでいただけだった。
指先が彼女に触れるより先に、……見えた。
まだ夏の暑ささえ残る秋のはじめだというのに、顎下まできっちりあるハイネックのトップスを着た彼女の首にはめられた、幅のあるチョーカーが。
それが示す意味を、……無視できるわけがなかった。
彼女に触れるはずだった拳を握り込んで、下ろした。
もう片方の手で、その拳を掴んで押さえつける。
深い息を数度、繰り返し、繰り返し、……彼女の前で身を正し、立つことだけに止めた。
見上げてくる、小動物のように怯えを内包した、無抵抗で無力な、戦う力など到底持っていなさそうな女性の眼差しを見下ろす。
言葉を交わせば良かったのに、何を言っていいのかさっぱり思いつかない。
それは彼女も同じようだった。
ほんのしばらくの間、無言で見つめ合った。
奇妙な時間ではあったが、不思議と満たされるような安らぎさえあった。
Ωはヒート時(ヒート発情は体調によりけり抑制剤を飲んでいても突然起こることがある)、発情状態を引き起こしたαにうなじを噛まれて意図しない番契約を一方的に結ばれたりしないために、強固なチョーカーなどでうなじ全体を守っている。世界的基準、国家支給の高性能機能搭載で、Ωの意思を無視した脱着はできない。
水実秋露
ヴァルティ・ノーススター
カミユ・ノーススター
水実みつき




