無事に到着、早速洗礼
新天地は憧れの国
約束していた場所は、この国の中でも指折りの、病院まで併設された立派な研究センター。
事前のやりとりや、参考がてらと渡されていたパンフレットや資料なんかで見ていたそのままの、立派すぎる建物を見上げた。
隣に立つカミユも同じように、これから先長く関わることになるだろうこの研究センターを見上げて、ため息のような、だが感心しているかのような息をこぼしている。
その挙動に疑問を覚えて、ちらりとカミユの顔を見やると、息子も俺の視線に気づいた。
「なに?」
「なにはこっちのセリフ。疲れでもしたか? お前の要望で、駅でタクシー拾わずにわざわざ数ブロック以上の距離を歩いたんだからな?」
そう、どうしても必要だと持ってきた簡単な荷物はお互いバックパックに背負っている。大した重さではないにしろ、車社会である母国では、ありえない徒歩移動。
俺たちの格好は、見る者が見れば一目で旅行者かなんかだと判別がつくだろう。
そういう者の荷物には、たいてい、ある程度の貴重品や金が入っている。こちらがいくら腕に覚えがあったとしても、突然やってくる強盗やモノ取りには、気をつけないと。
「疲れてねぇよ。すげえなって感心してただけ」
「なにが?」
カミユは指を指した。
目の前の立派な建物のことを指すかと思いきや、まず足元を。
「駅からここまで歩いてさ、道、綺麗すぎだと思わない? 多少のゴミはもちろん落ちてるけど、……俺が知ってるどこの街の道とも比べものにならねえ」
「……そういやそうだな」
今までに見慣れた、母国の街とは本当に比べものにならない。
数歩歩けばゴミがあるのが当たり前。
下手すればスーパーのカートさえ、当たり前のように道端に放置され転がっている。
結構な距離を歩いてきたが、そんなものは見なかった。
整然と手入れされた街路樹が並び、はがれたりめくれたり穴があいたりなど一切していない歩行者道路を、ただ歩いてきた。
すれ違った人の人数は、なかなかに多かったんじゃないだろうか?
あらゆる年代の人々が安全に歩いて移動できる、それだけでもすごいことだと思う。
カミユは次に、俺を軽く指で指した。
「ルティ、あんた、サングラス忘れてる」
「え? あ、マジだ。いつから忘れてたっけ」
空港に着いて、飛行機のスタッフたちに握手をせがまれて、その時に外した記憶がうっすらある。
そこから、目的地であるここまで、あらかじめ教えてもらっていたルートを頼りに電車に乗って来た。
その間、ずっと顔を隠し忘れていたわけだ。
いまさらサングラスをかけて、最後の映画の役のために伸ばしてくくっていた髪をわざわざ解いてスタイルを変えた。
カミユはそんな俺の無駄なあがきのような変装を冷めた目で見ている。
「すれ違う人が時々、ルティ見てびっくりしてたけどさ。誰も声、かけてこなかった」
「……ただ単に、俺の知名度なんてそんなもんってことじゃねえのか?」
「違うでしょ」
カミユは眉を寄せて顔を歪める。
「ルティが出た映画の、この国での興行成績がどれだけだったか、ちゃんと数字で見たでしょ? シアターグリーティング担当はこの国に当たらなかったけど、反響映像、見せられたでしょ?」
カミユはしっかりしている。
俺の出演映画のことなんかは、俺よりしっかりチェックしている。
だからそっと目を逸らした。
「有名人だからって、プライベートを過ごしているんだから、むやみに声かけたりしてこないんだよ。配慮ってやつ」
ちなみに母国では、ファンに見つかればその時点でおしまいだ。
響き渡る歓喜の悲鳴。サインをねだる声。握手を求められて突撃される。当たり前。
その場から逃げるように離脱しなければいけなくなる。
誰にも声をかけられることもなく街中を歩くなんて、そういえばどれくらいぶりだったか。
「……大違いだな」
「驚くほどにね」
「まぁ、たまたま運が良かっただけかもしれん。このあともこうとは限らない。明日になればもっと」
悲観でもなんでもない。
今までの経験則からの予想だ。
カミユもそれに対して、あまり反論はないようではある。
「別にいいけどね。ルティなんて放って俺一人で動けば、ファンに煩わされることなんて何もないんだから」
「それもそうだ」
カミユがぐっと唇を噛んだのが横目に見えた。
俺を放っておけば自由に行動できる、と自分から言う割には、カミユは納得していなかった。
それほど、母国では俺に自由はなかったのだ。
ついてまわる名声に、αとしての魅力に、周囲のほうが放っておいてくれなかった。
そのために、俺と行動を別にするというカミユへの安全対策に、息子は大きな不満をずっと抱え持っていた。
それを思えば、ここまでの道をカミユと二人、誰にも邪魔されず、なんでもない会話をしながら歩いた時間は、あまりにも貴重だった。
ぽん、と息子の頭に手を置いて撫でる。
「今、お前の憧れの国にいるんだ。どんなカタチであれ、気にしないでさ、そっちを楽しもうぜ?」
カミユはすぐに恥ずかしさに苛立って、俺の手を掴んで無理やり下ろさせた。
「言われなくても分かってるよ。……早く行こうぜ。ルティがセンセイ様との話が終わって、住む場所分かったら、オレはさっきそこにあったコンビニに行くんだから」
「よりによってコンビニ?」
「……ルティ、この国のコンビニの凄さ、知らねえの?」
「……ただの店だろ?」
俺の返事にたっぷりと不服そうな表情を浮かべたカミユは、目の前の立派な建物を指さした。
早く行こう。
言葉にせずにそう促してくる。
黙ったままうなずいて、二人歩き出し、大きな研究センターのエントランスに足を踏み入れた。
「……、……?」
どれだけか中まで進んできて、思わず足を止めた。
広々とした美しいエントランスホール。
高層階まである研究センターの建物。
来客を迎える受付までまだ距離がある。
その上階を、吹き抜けではるか上にある天井を振り仰ぐ。
「どうしたの? ルティ?」
止まってしまった俺を不思議に思って呼びかけてきたカミユの声が静かに響く。
「……いや、なんでもない」
また歩き出す。
なにか不思議な感じがする、なんて曖昧なことをわざわざカミユに伝える必要もないだろう。
『早く行かなくちゃ……』
なぜかそう思った。
はやる心臓が大きく鼓動を刻むのを感じた。
それがなぜなのか、理由もなにも、分からないまま。
ヴァルティ
カミユ




