だからこその特別
最後の訴え
「そんなもの、病院の救急外来出入り口からなら、どんな時間であっても入って来られるじゃないか」
小馬鹿にしたような物言いの中に、頭の足りない相手を蔑みながらも愛でるような、圧倒的優位性を持っているからこその態度が垣間見えて、気持ち悪さを感じた。
そう考えていなかったわけじゃない。
むしろ、そこからじゃないと警備員さんに止められる。
危惧した予想と、αの男性の意見が合致してさらに嫌悪が湧いた。
目的のために常識を欠いた行動をしてもいいと思える判断力の低下。
そこまでして侵入を果たそうとする倫理の欠如。
そして、その行動が異常だと気づいているクセに気づいていない、彼自身。
もうだめだ。
一見、立ち振る舞いにも会話にも理知的なものが有りはするが、……その目の奥に見え隠れする、熱っぽい狂気。
都合のいい盲信と、思い込みによる抑制剤の不適合。
救いの手は何度もあったはずなのに、ことごとく自ら振り払ったのだろう。
そんなわけはないと。
自分は間違ってないと。
そのうえで、縋った。
Ωさえ手に入れて番えば、行動に移した狂気は正当化されて、己の身を苛んでいるあらゆるものから救われるのだと。
ーーーーそんな理不尽、あってたまるか!!
彼の中に私はいない。
自分に都合のいい私を妄想し、作っている。
そんな相手とまともに対峙する労力なんて割けない。
そもそも、……今さら私の言葉なんて通じはしないだろう。
私のほうの抑制剤は効いている。
ちゃんと効いている。
あと小一時間以内に次の抑制剤を飲む時間だとはいえ、世界に誇るDr.水実秋露が微量のズレもなく調整してくれる抑制剤を飲んでいるんだ。
αからの一方的なフェロモンの影響だって受けやしない。
よほどのαが私に向かって強制発情のフェロモン攻撃を向けたとしても、効果はない、……はず。
そもそも、番でもないΩに対して強制発情のフェロモンを向けた時点でそのαは逮捕なんだけど。
ついでに、ちゃんとした抑制剤を飲んでいたら、むやみにフェロモンを操作してヒトに向けるなんてこと、よっぽど高位なαでもないと出来やしない現象だ。
じりっと、また後ろへ下がる。
今度はそれを、αの男性は見逃さなかった。
明らかに、彼が疑問と疑念を抱いたのが分かった。
「どうして下がるんだ? ほら、いい加減こっちに来なさい」
まるでもう自分が私の保護者にでもなったような口調で、命令してくる。
おもむろに伸ばされるαの男性の手。
自分に向かって伸ばされてくる手が、怖い。
それはずっと昔から。
Ωという性が発現してから、ずっと、……ずっと。
その手に捕まれば、終わってしまう。
無理やり押さえつけられて、うなじを噛まれてしまえば、終わってしまう。
この心は、まともに見たこともない運命の番である人だけを求めているというのに、私の周りに存在するαという性を持つ人たちは軒並み、私の気持ちなど微塵も必要ないと、勝手に手を伸ばしてくる。
恐怖に負けて、大きく後退りした。
その瞬間、αの男性は逃げようとする獲物を追う獣と変わらない変化を遂げた。
口の中で上げた悲鳴は、音にならない。
「怯えているのか? なぜだい? 君は僕の番になるんだよ?」
一歩、また一歩と迫りくるαの男性のゆっくりとした足取り。
「あなたは、私の、番じゃないっ!! 番になんてならない!!」
必死に叫んだ声は、ついには色濃い恐怖で震えていた。
その途端にαの男性の顔に広がった、狂気と愛欲に満ちた下卑た笑み。
無駄に整った面立ちによって、さらに醜悪に見える。
「大丈夫だ。なにも心配しなくてもいい。君は安心して僕のもとへ来ればいいのさ。ちゃんと優しくしてあげるよ。そのうなじを噛むときもね」
伸ばされた手が、指先が、私のうなじを指差す。
恐怖と嫌悪と無力感で、涙が滲んだ。
彼はついに、自分よりも弱くて、怯えて、逃げようとする獲物を追い詰めることに喜びまで感じるようになってしまったようだ。
身をひるがえして背中を見せれば、その途端に襲ってくるだろう。
そうなれば、瞬く間に捕らえられてしまう。
うなじを守っている幅広のチョーカーは、Ωを守る特製品だ。外部から外そうとする力がどれだけかかろうと、Ω本人の意思を無視して外せるものではない。
それにヒート中でなければ、そもそもうなじを噛まれても番契約は成されない。
仮契約止まりだ。
今まで一度もヒートを起こしたこともなく、抑制剤ですべて管理している私には、多分意味がないに違いない。
だからといって、襲いかかられることを甘んじて受け入れていい理由にはならない。
迫ってくる歩幅よりも少なくはあるが、後退を止めない。
そして、もう一度だけ、震える声で絞り出した。
「……お願いです、思い止まって。今ならまだ、今なら、なにも言わないから、誰にも言わないから……っ。家に帰って、病院へ行って、診察を受けて、抑制剤を見直して」
ピクリと、αの男性の身体が震えて止まった。
私を見る眼差しの奥に、……明確な不満。
「どうして君が僕の行動に口を出すんだ? 君は黙って、さっさと僕について来ればいい」
……最後の訴えは、煩わしいものとして一蹴されてしまった。
これが、今でも変わらない、世の中の大半のαの人がΩに対する対応だと、絶望とともに落胆する。
だから、カミユくんが特別に思えた。
だから、ヴァルティさんが特別に感じた。
……あの人は元々、特別で特別で、特別なんだけど。
「お前は大人しくうなじを差し出せばいいんだ。大人しく飼われて、優秀な子を孕めばいいのさ。僕の、番として!!」
αの男性が身を躍らせた。
卓越したαの身体能力を使って床を蹴り、飛びかかってくる。
私は恐怖の中、身構えて、覚悟した。
怖くてしかたのない、自分に向かって容赦なく、遠慮なく、襲いかかり伸ばされる手。
ーーーー……誰の番だって?」
低く、重く、だけど静かな声が響く。
どんなことになろうとも、と、最後の最後まで私は目を閉じなかった。
だからαの男性の手が、いいや、手どころか身体全体が、ピタリと空中で止まった瞬間を確かに見たのだった。
みつき
見なりのいいαの男性
間に合った人




