笑顔で迫る盲信の狂気
見たいものしか見ない狂信
その身なりの良いαの男性は、整った面立ちに満面の笑顔を浮かべて両手を広げた。
「やっと見つけたよ。無理をして仕事前にここへ来て良かった」
一歩、近づいてこようとする足取りを見て、一歩、そっと相手を刺激しないように後退する。
胸にギュッと抱きしめるように持った売上金の入ったポーチを握りしめすぎて、中に入っているお金の音まで聞こえた。
大事に持っていた新品の折り紙がくしゃりと曲がる音もした。
「思っていたよりも幼いね。今、何歳だい? まさか番契約を結ぶのを待たなきゃいけない年齢かな?」
なぜそんなこと、あなたに関係あるんだと問いかけたい気持ちが湧き上がってきたが、言葉にはしない。
一見して、きちんと整った身なり。多分かなり上等なビジネススーツに身を包み、髪も清潔に整えられている。しっかりとした役職や身元さえありそうな男性は、普段からそうなのだろう、自信に満ちあふれた態度で胸を張る。
「まあ、構わないさ。法が許す年齢になるまでしっかり匿ってあげるから心配はないよ。さあ、行こうか。もう番のいないΩとして身を削ったり、お菓子をばらまいたりする必要はない。安心して」
そしてまた笑顔で一歩、αの男性は近づいてくる。
今度は明確に、私は一歩下がった。
だから彼の顔には、笑ったままの困惑が広がった。
「どうしたんだい? 迎えに来たと言ったろう? さあ、来るんだ」
ずいと伸ばされる手に、恐怖しかない。
内心、悲鳴を堪えて飲み込む。
震えはじめた身体のせいで、抱えた売上金のポーチのお金がチャリチャリと小刻みに鳴る音が、この静かなガラス張りの廊下に響いた。
朝の柔らかな陽射しを受けて輝く緑の清々しい光も、今は逆に焦燥を駆り立てる。
「Ωが髪を売ったり、『自分で作ったなにか』なんてものを流通に乗せてばらまくのは、相性の良い番を、もしくは運命の番を見つけるための行為だ。そして君は、ちゃんと僕を引き当てた。僕は君にたどり着いた」
どこかうっとりと、一人思いに浸るように恍惚とした表情で、αの男性は語った。
確かに、元々行動の制限があって、自らの手で番を見つけるなんてことができにくいΩの生活。
そういうことも番を見つける手段の一つだと考えて行動する子もいるかもしれない。
けれど、私は違う。
そんなつもりなんて、微塵もない。
恐怖の中に湧き上がったのは、確かな怒りだった。
「そんなつもりはありません!!」
髪を売るのも、お菓子を売るのも、番を見つけるためなんかじゃない。
私にはその必要はない。
だって、Ωとして発現したときから、私の番は決まっていたのだから。
急に私が吠えて叫んだから、αの男性は目を丸くした。
でもすぐに、よく分からない自信と余裕を持って微笑んだ。
「だったらどんなつもりなんだい? 事実、君と僕の相性はとても良い。でないと、君のお菓子を食べた僕がこれほどまでに君に惹かれるはずがないじゃないか?」
やはり彼も、売店で売った私のクッキーを買って食べたお客さんの一人だったのか。
「ちゃんと、いつもお菓子の袋に注意書きを貼っています。『このお菓子を食べて、美味しい以外の感情に襲われた方は現在服用中の抑制剤が合っていない可能性が高いです。すぐに病院へかかり、抑制剤の見直しをしましょう』って!!」
叫ぶように訴えた私を見て、αの男性はゆっくりと腕を組んで顎に手を当て、考える仕草をしてみせた。
普段、仕事場なんかで彼がこういう動作をしているのであれば、βの女性なんかは黄色い声を上げそうな、そんな美麗さがあった。
αである人たちは、大体見た目が良い。とんでもなく良い。
そして、高い知性と、理性と、常識と人格を持っているはずなのに。
「確かに、なにか書いてあった気はするね。でも、僕の主治医がきちんと処方してくれている抑制剤だ。不備なんてあるはずがない」
プライドが高くて、盲目的に自信過剰な人もいるってことは、私が一番知っている。
どうしても、苦々しく顔を歪めた。
ちらりと目線だけで、背後のエレベーターを気にする。
あそこには監視カメラもついている。もう少しだけエレベーターのそばにまで行けば、今、この様子もしっかりと映るはずだ。
そうすれば、警備員の人たちが気づいてくれる。
あとは、この明らかに病院とも研究センターとも関係なさそうなαの男性を問答無用でつまみ出してくれて、解決となるのではなかろうか。
緊張と、恐怖で呼吸がしにくい。
それでも、甘えたことは言っていられない。
自分の身は自分で守らなければ。
秋露おじさんも今はいない。助けてくれる人なんていないんだから。
向かい合ったαの男性の動向は、絶えず視界に収めておかなければ危険だ。
αとΩの身体的能力の差なんて歴然で、駆け寄ってこられたり、飛びかかってこられたらおしまい。
たった一挙動、躱すことができればワンチャン、逃げ出すことはできる、……かもしれない。
可能性だけだとしても諦めない。たった一度だけの、初動だけのチャンスだ。
ふと、一番単純な疑問が頭をかすめて、それを口にしていた。
恐怖で動けなくなる前に、相手と会話を続けることで虚を突くとか油断を誘うなんてやり方があるのは、有名な刑事ドラマや探偵の物語でよく見る手法だもの。
「いったいどこから入って来られたんですか? まだ外来の時間でもない、受付すら開いてない。どこの入り口も、警備員さんがいるはずなのに」
声が震えなかったのは良かったと思う。
αの男性は組んでいた腕を解いて、私を馬鹿にするみたいに鼻を鳴らし、それでも優しく笑った。
みつきのお菓子に貼り付けられている文言
「このお菓子を食べて、美味しい以外の感情に襲われた方は現在服用中の抑制剤が合っていない可能性が高いです。すぐに病院へかかり、抑制剤の見直しをしましょう」
「万が一、転売など販売元の意図しない流通が確認された場合、以降の本商品の製造販売を一切中止いたします」
みつき
身なりの良いαの男性




