滲む怯え みつきのお留守番の日々4
きっと家族だからこその気遣い
夕方になっていた。
携帯には、売り子さん達からのメッセージで。
『完売しました』
『みつきちゃん、大丈夫?』
『しばらくこっちに来ちゃダメよ』
『今日はもう追い返したけど、明日もこっちに来ちゃダメよ』
『私たちのことは気にしないで』
『売上金は売店の金庫にてお預かり中』
『水実先生がお戻りになるまでの辛抱だからね』
そんな温かい言葉がいっぱい。
申し訳なさが胸に広がる。
ぶるぶると、かすかに身体が震えている。
抑制剤はちゃんと飲んでいる。これはそういう震えじゃない。
大丈夫、大丈夫だと何回も心の中で繰り返し唱えても、収まるまでまだ時間がかかりそうだった。
「タダイマー」
玄関から、声がした。
カミユくんの声だ。
反応をしようと思ったけれど、リビングのソファーに座ったまま、機敏には動けなかった。
ガチャリとリビングに続くドアが開いて、カミユくんは明るい笑顔で私を見つけた。
「タダイマ、みつきサン」
「おかえりなさい」
どうにか、一生懸命笑顔を作って迎えた。
「ちゃんと学校まで行って、帰ってこれたよ。毎日歩きで行くって不思議だね。強盗とかが襲ってきたらどうすんの?」
「強盗に遭う確率は、多分低いと思うんだけど……」
どうしても苦笑いが浮かんだ。
「みつきサンも歩いて学校行ってたんだろ?」
「うん、小学校のときなんかはずっとそう。強盗には一度も遭いませんでした」
「嘘だぁ」
なぜそこで「嘘だ」と言われてしまうかは理解できないけれど、そこにある相容れないお互いのお国柄の危険度の違いは、理解し合いたいものだった。
「ベントー、美味かった。ありがとう、急に言ったのに作ってくれて」
「どういたしまして。どこで食べたの?」
「学校に行くまでの途中にあった公園で、元気なグランパグランマたちがお茶してて、一緒に食べようって誘ってくれたからそこで。ダイフクもらった」
老人たちが交流していた場所に誘われたのか。
この街は大きな病院と研究センターがあるからか、いろんな世代の交流の場所となる様々な施設や公園も多い。
「やけにフランクに声をかけてくるから誘拐かと疑ったけど、誰も彼も絶対オレより弱そうなんだもん。この国は不思議だね」
キッチンで、カミユくんは丁寧にお弁当箱を洗って乾燥用の食器置きに並べた。
そして、くるりとこちらを向く。
「みつきサンは、なにがあったの?」
やけにはっきりと、カミユくんは私に問いかけた。
「……え?」
「なにか、怯えるくらい怖いことがあったんでしょ?」
どきりと心臓が跳ねた。
「なん、……なにも」
なんで分かったのかと聞きかけて、慌ててなにもないと答えた。
窓から入ってきている夕方の光を吸って、カミユくんの赤い瞳が燃えるような赤さにきらめいた。
その美しさに息を呑み、その真剣さに思わず怯んだ。
「あ、ごめん。オレだって別にみつきサンを怖がらせたいわけじゃない。そう思えたから聞いただけ。……見過ごせないから、聞いただけ」
カミユくんの真剣さは、確かに純粋な心配から来ているものだと思えた。
だから、改めて聞いてみることができた。
「なんで、分かったの? その、私が、怖がっているとか……」
「んー、なんとなく? 戦う相手の気配とか思考とか読む特訓はよくやってるから、それのせいもあるけど、ほとんどはオレがαで、みつきサンがΩだっていう理由じゃない?」
とても軽く、さっぱりと、迷う気持ちもなく、それが当たり前だと言わんばかりにカミユくんは答えてくれた。
煩わしささえ感じる第二の性。
カミユくんはそれを、当たり前のように認めている。
カミユくん自身のものも。
……私のものも。
ブルリとまた震えかける身体を、自分でギュッと抑えた。
カミユくんが驚いたけれど、どうにか堪えて口を開く。
「少ししたら、収まると思うから、大丈夫。心配してくれて、ありがとう」
声も少し、震えていた。
それでも無理やり笑った私を見て、カミユくんの眼差しが鋭くなる。
「言えないこと? 言いたくないこと?」
「……言う必要がない程度の、ことだと思ってる」
そう告げた私を見て、カミユくんは小さくため息を吐いた。
ほんの少しだけ、私たちの間に静寂が染む。
「……ねえ、そういえば今日の洗濯ってもう終わってるんだよね?」
「え? うん? 洗濯はいつも朝だよ?」
まるで今までと違う話題を突然振られて、目を丸くしてしまう。
それでも答える私を横目に見ながら、カミユくんはリビングを横切って、自分たちの個室が並ぶ廊下を、のしのしと苛立った足音を響かせて歩いていった。
いったいなぜ、今、洗濯の話になったんだろう? なんて思っているうちに、カミユくんはなにかを持って戻ってきた。
「じゃあ、これの洗濯は明日の朝だね。よろしく頼んだ」
バサ…ッ、と音を立てて、ソファーに座ったままの私の上に被さり、なおかつ膝の上にも乗る、シーツと枕。
それが、誰のシーツと枕なのかは確かめなくても分かってしまう。
『ヴァルティさんの……っ!!』
内心、悲鳴のような驚きを上げていたことさえ見透かしていたんじゃないかと思うくらい、赤い目の少年は平然と私を見ていた。
「洗うのは明日なんだから『みつきサンが持ってて』ね。部屋にでも置いておけばいいと思うよ。じゃあオレ、ルティのベッドに新しいシーツ敷いてくる」
くるりと背中を向けて、カミユくんはヴァルティさんの部屋に戻っていく。
驚きと、まだ残る怯えのせいで立ち上がれもしない私を振り向きもせずに行ってしまった。
カミユくんは、知っているのだろう。
Ωになにが必要で、なにが効果的なのかを。
得ようとさえ思えば、知識として得られるΩの習性。
だけどその知識を活用しようだとか、心を砕いて施してやろうなんてこと、家族以外で、己の番でもないαからΩにやることはない。
私はヴァルティさんのシーツ被ったまま、彼の匂いに包まれた安心感に涙をにじませながら、思った。
『……家族だからって、思って、くれてるのかな……?』
それはまた、ヴァルティさんの匂いに感じるのとは違う意味で、私の涙を誘った。
みつき
カミユ




