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ここは世界で一番空に近い檻 ディストピア一歩手前のオメガバースの世界で運命の番が幸せになるまで  作者: 庭師K炎


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髪 みつきのお留守番の日々2

Ωのフェロモン、血、髪に対するαの基本的な反応、その軽い見解

 小鳥が鳴くような目覚まし音で目を覚ます。

 それはいつものこと。


 ずっと抱きしめるように寄り添って眠っていたシャツはもうくしゃくしゃになってしまっていた。

 地味にショックを受ける。


 そして、顔を寄せて匂いを嗅いでみる。

 やっぱりもう彼の匂いは飛んでしまっていて、なんの匂いもしない。強いて言うなら私自身の匂いがしているのだろう。


 泣いてしまいたいほどショックだなんて、きっと同じΩ以外、誰も理解してくれない。


 ぐずぐずしていても仕方ないので、シャツを大事に畳んで枕元に置いておいた。


 起き出して、着替えて、家の中を確認してみる。

 カミユくんはいない。

 前もって教えてもらっている朝の予定の、ワークアウト。身体を鍛えるトレーニングに出ているのだろう。


 カミユくんにメッセージを送る。


『おはよう』


 顔を洗ったり、カーテンを開けたり、キッチンの準備をしているとメッセージの横に既読が付いて、音が鳴った。


『おはよ、みつきサン。いま、三階のジムについた。いちじかんくらい動いてもどるね』


 はーい、と言っているうさぎのスタンプを送ると、カミユくんからは、腹ペコでお腹がぐーぐー鳴っている狼のスタンプが送られてきた。


 私のうさぎさん、食べられちゃいそうだ。


 そっとご飯を提供するスタンプを送ると、既読はついたけれど返事は返ってこなかった。


 きっと身体を動かすことに集中するためだろう。


 私も朝ご飯を作ることに集中しなきゃ。

 でもその前に、と、もう一度、あるアプリを開こうとした。


 カミユくんが起き出して身体を動かしているなら、同じようにヴァルティさんも起きて、身体を動かしている時間のはず。


 でも、開いたアプリは最初の起動画面のままフリーズする。


 画面の下の方に「お使いのアカウントは凍結されております。解除をお求めの場合は以下へアクセスしてください」という内容が英語で書かれているが、そこへアクセスしようものなら、アプリごと即座に落ちてしまう。


 ため息が出た。

 別にこれが初めてのことじゃない。

 同じことが起きた友達の話も聞いている。


 遠回しになのか、明確になのか、何かしらの防衛策として、私はこのアプリを使ってはいけないと警告を受けているのだ。


 ヴァルティさんへの連絡方法は、このメッセージアプリしか知らないのに。


 あんなふうにお仕事へ送り出してしまって、おやすみなさいもおはようも言えない現状。


 全部、カミユくんに頼むしかない。

 邪魔くさいだろうに、嫌な顔一つしないでカミユくんは快くヴァルティさんへの言伝を伝えてくれる。


「……よし、朝ご飯も頑張るか!!」


 それに報いるためにも腕まくりをすると、勢い勇んでキッチンに向かった。 





 

 Ωの切った髪。

 それは、血よりも安全で扱いやすい、Ωの存在を感じさせるだけの媒体となる。


 濃厚すぎるフェロモンの原点とも言える血は、一歩間違えば大惨事を引き起こす爆弾と変わらない。


 だけど髪は、切り落とした瞬間から含有されるフェロモンの量は激減し、Ωの気配だけを時間をかけて消費していく使い捨てのアイテムに変わる。


 αは、番を持っていようといまいと、その番がΩでない限りは、ゆっくりと精神を削られていく。

 番を持っていないαの場合は、もっと顕著にその症状が出る。


 いくら本人が優秀でも、いくら抑制剤が身体に合っていても、精神的に負荷がかかり続ける状態で良いパフォーマンスなどしていられない。


 それは本人の意思に関係なく襲いかかってくる、このΩが激減した世界に生きるαすべての身に起こる、無慈悲な現実なのだ。


 身近にΩがいるなら、それは緩和される。

 その場合、番を持っていないΩである必然性はなく、番を持っているΩでも可能だ。


 Ωが存在しているという気配。

 もう一声と求めるならば、Ωが生きて様々な感情によって発露する気配、主にフェロモンだが、その中でも幸せを感じているときの気配に、αたちは安らぎを感じ取る。


 これは、己が番を求める衝動的なものとは大きく違う。


 よほどの条件が揃わない限り、αは他のαの番になったΩに手を出さない。奪おうなどという考えが湧かない。


 だが、ちょっかいはかける。

 声をかけ、自分を認識してもらいたいと望み、ほんの少しだけ、気にかけてほしいと望む。


 そうして自分のために向けられる気配に、安らぎを得る。


 大抵、番であるαに見つかればトラブルとなるため、推奨される行為ではないのだが。


 そして、それが番のいないΩの場合は……。


 注意事項として言っておくと、αとΩの間にも、相性というものは存在する。

 それは深く遺伝子的な相性でもあり、彼らは本能でそれを感じ取る。


 あまりにも相性が良いと、お互いの気配やフェロモンを感じた途端、抑制剤の効果なんてものを消し飛ばして、愛欲に堕ちた凶行に走る者もいる。


 運命の番は、これに近い。


 ただ、運命の番の場合は、肉欲と同じだけ精神的な欲求も深く深く発現するため、まだギリギリ理性が効くと語る者もいた。真偽は定かではない。


 そして、遺伝子的にも相性のよろしくないαとΩは、番えないわけではないが、よく耳にする燃え上がるような肉欲はなく、彼らをよほど追い込んだ状況にでも陥らせない限りは、間違いなんてことは起こらないらしい。


 未だ検証と研究の余地のある内容だが、そのような検証に貴重なΩを投入する余裕はない。


 そんなふうにΩを求めてやまないαは、人口数は多少減少傾向とはいえ、Ωよりも多いのは確か。

 依然、全世界規模でΩの気配の欠乏症であえぐαは多い。


 優秀なαの能力を活かすために、様々な企業は、あらゆる手段でΩ関連のアイテムを求めている。


 それ一つを会社に置いておけば、雇っているαはこぞって出社を求め、やる気向上、勝手に利益を上げてくれるという、まるで魔法のアイテムだ。


 安全で、使用に心配もなく、信用のある効果と合法性、そして良心的な価格のもの。


 それが、Ωたちの髪。


 ……ちなみに、爪やら皮膚組織なんかにも効果はあるが、衛生的にも、Ωたちの精神的な影響も鑑みて、禁止、とまではいかないが、理性的に、人権的に使用は憚られている。


 そして、番を持ったΩの髪がこういったルートに乗ることはほとんどない。


 番であるαが許さないことのほうが多いからだ。



 理容師のシンさんが私の髪を長いまま、一つずつ細く、丁寧に束ねたものを切り落としていく。

 それを厳重保管と書かれた密閉用の箱に、大事に詰めていく。


「伸びたね、みつきちゃん。毛先を揃える以外でみつきちゃんの髪を切るのはどれくらいだったかな」

「どれくらいでしょうね? 私も忘れてしまいました」


 情けなく笑うと、シンさんも笑って、それからまた真剣な眼差しでカットに戻った。


 私の髪をほんの少しだって無駄にしない、と決意を込めているような真剣さに、深く感謝する。


 短くなった髪を整えるために細かく切った髪さえ、ギリギリまで集めて、彼はそれを箱に詰めた。


 ちなみに、切った髪を洗ってしまえばΩの気配とやらはまったく失われるので、私が髪を洗って抜けてしまった髪たちはただのゴミになる。


 毎朝櫛で梳いたりした抜け毛は、……それを集めて売る? 生理的嫌悪でゾワゾワっとしちゃう。


 だからこその、切った髪。


 すべての工程が終わると、シンさんはこの散髪用に用意された密閉空間の外にいる、秋露おじさんや他の研究員の皆さんに合図を送った。


 私がこの場を去っても、シンさんは厳重に不正がないか確認されて、私の髪を不当に奪っていないか確認されて、彼自身、入浴を強制されて、そんな不条理を受け入れてから、ようやく解放される。


 研究センターに所属していない外部の人間が(Ω)に関わるときは、いつもこう。


 それでも、私がΩとして発現する前から知っているからと、彼はその不条理を受け入れてくれるほど、秋露おじさんとの付き合いが長い。


 シャワーを浴びに一度部屋へ戻って、秋露おじさんの研究室へ行く。

 そこで待っていてくれたシンさんに、散髪の出来栄えの最終チェックを受ける。


「うん。やっぱり俺の腕は世界一だろう? 水実くん?」

「はいはい。シンくんの腕はともかく、素材がいいからに決まってるだろう? よく似合ってるよ、みつき。とても素敵だ」

「もちろん、みつきちゃんはいつでも可愛い。短い髪もよく似合う」


 手放しで褒めてくれるおじさん二人に、えへへと照れて笑った。



 シンさんは警備の人たちに付き添われて、元気に帰っていった。


 秋露おじさんはもう学会に出向く準備のすべてを整えており、最後に私の髪が入った箱を大事そうに検体バッグの中に仕舞った。


 それを肩からかけて、ベルトを自分の腕に固定する。

 万が一にでも強盗に遭って、検体バッグを盗られてしまわないためのセーフティベルト。そんなこともしないといけないほどの物体なんだと、見るたびになんとも言えない気持ちになるのは変わらない。


 そんな私の気持ちを知ってか、秋露おじさんは明るい声で私に話しかけた。


「さて、今、別階でカミユくんが制服の試着をしているんだが、……みつき、一緒に冷やかしに行かないかい?」


 目を輝かせた私がなんて答えるか、秋露おじさんは聞かなくても分かっている、と言わんばかりの笑顔を浮かべた。





みつき

秋露

シン店主

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