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ここは世界で一番空に近い檻 ディストピア一歩手前のオメガバースの世界で運命の番が幸せになるまで  作者: 庭師K炎


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おこづかいの稼ぎ(ぶん取り)方

みつき血と長い髪の行方

「あんたの状況は、……改めて『分かった』と言いたい。俺ら(α)はどうしてもあんた(Ω)の事情には疎い。その都度教えてくれると助かる」

「……努力します。なにを伝えるべきなのか、分かってないことも多くて」

「まあ、そうかもな」


 それはお互い様のはずだ。


「なにもタンデムに乗るばかりが乗り方じゃない。それは追々用意するとして、近場で歩いてなら、そう遠くないうちに番になる俺と一緒ならどこへ行ってもいいんだろう? 秋露センセイが言ってたみたいにさ」


 みつき自身も「お買い物に行きたい」とあれほど意気込んでいたじゃないか。

 荷物持ちをする約束は、忘れていない。


 じわっと、みつきの頬が赤く染まった。

 恥ずかしそうに、目が泳ぐ。


 なにのせいでそんな、かわいい反応を見せてくれたんだ?


「多分……。秋露おじさんが研究センター(ここ)に居てくれる日だと、許可は出やすいのかも」

「あのときの秋露センセイの言い方だと、許可も要らなさそうだったけど?」


 俺の言葉に、ほんの少し首を傾げたことでみつきの黒髪がさらりと音を立てて流れた。

 長い髪でも、今の短くなった髪でも、つやがあって柔らかくて、触れたら気持ちいいと思える手触りなのはきっと変わらないだろう。


 ……なんで俺は、みつきの髪の触り心地をこれほどまで明確に知っているんだ?


「そんなこと、したことがないので分かりません。でも秋露おじさんの許可があると言ったほうが、いつもうるさく言ってくる人も黙って、邪魔くさくはないかも?」

「それはそうかもしれないが……。いつも言ってくる人? 誰だ、それは?」


 秋露はここの研究センターのトップと言って過言じゃない。実際所長を名乗っているようだし。そして国に認められたオメガバース性研究の権威。彼の意見を蔑ろにする者など、いないはずでは。


「色々な『御偉いさん』がことあるごとにチクチク言ってくるそうです。もっと警備を厳重にしろだとか、たとえセンター内でも保護対象を勝手に自由行動させるなだとか、貴重なΩの手作りお菓子を安売りするなだとか。お値段は原材料費と私の労働時間をちゃんと考えて、常識的で良心的な値段にしてるのに」


 不満を口にして、みつきの唇がほんの少し尖る。


「だから秋露おじさんが、『不幸にも予期せぬかたちで提供できる研究材料がたっぷり手に入ってしまったから、思いっきり恩着せがましく、とことん吹っかけて、そこのところ黙らせてくる』って、学会に行かれました。ヴァルティさんとカミユくんのこともありますね。来月からいよいよ食費が三倍に…!!」


 話の内容が食のことになった途端、みつきの機嫌は上向きになった。

 ただし、それに対して一緒に喜んでやることができない。ツッコミどころが多すぎた。


「待ってくれ。提供できる研究材料? 吹っかけてってなにを? 来月から食費、って今現在俺らの分の生活費は研究協力費から払われているんじゃないのか?!」


 慌てて問いかけた。

 みつきはキョトンとした表情で。


「はい」


 さっぱりとした返事をした。


 一瞬混乱した。

 この国の「はい」は、YESともNOとも取れる。


「その返事……。それは、居住費はともかくとして、今、一番比率のデカそうな俺たちの食費は……」


 みつきはキッチンにあるカレンダーをチラ見した。

 きっと俺たちが一緒に住み始めて何日経ったのか、正しく確認したのだろう。


「今月分は、日割り計算で後払いされるんじゃないでしょうか?」


 後払い、の言葉に、顔も、胸の中も、身体もギュッとなる。


 どれだけ金がかかったかは分からない。

 でも安い金額じゃないことだけは確か。


 だってあの美味さで、あの量で、あのラインナップだぞ?

 自分だけでなく、カミユなんてどれだけ食べていると?!


 目の前に用意されている、身体に良さそうで美味しそうで心のこもった、俺のためにみつきが用意してくれた夕食を改めて見ながらポケットの財布を探る。


「頼む……。食費だけでいいから、先に払わせてくれ……」


 凄まじい自責の念とともに、クレジットカードを取り出した。


 現状、俺たちはみつきになにからなにまで支払わせている状態だ。


 養ってもらっている?

 食べさせてもらっている?

 世話になっている?

 ……なりっぱなしでは?


 だが、みつきは面白いものを見たような愉快さで、楽しい冗談を聞いたとでもいうような軽快さで笑った。


「クレジットカード決済端末なんて、私、持っていませんよ?」


 ふふふ、と声に出して。

 今までに見た中で一番自然な、年相応の少女の楽しそうな笑顔。


「大丈夫です。気にしないでください。ちゃんとやりくりできていますから。ただし、お二人の歓迎会のためのお料理を作るのは、秋露おじさんが持って帰って来てくれる特別臨時収入が入ったあとでお願いしますね」


 うきうきと、みつきは上機嫌にそんなことを言う。


 歓迎会? そのための料理?

 ……今まで以上の食事が、まだ出てくるっていうのか?


 ごくりと期待で喉が鳴ったのは、今も腹が減っているせいだったのかもしれない。


「特別臨時収入? 秋露センセイが? それに吹っかけに行ってるって、学会に行ったんじゃないの?」


 やはり俺と同じように色々疑問に思っていたのだろう、ようやく口の中が空っぽになったカミユも問いかけてきた。


「はい。そんな『御偉いさん』たちもいる学会です」


 やっぱりみつきは確信を持って、秋露の動向を理解している。そして。


「この前、必要以上に採られてしまった私の血と、切った分の髪を交渉材料に、そのあたりの方々を捩じ伏せて、黙らせて、吹っかけてぶん取ってくるそうです」


 みつきの顔には、秋露への絶対的な信頼と、そして期待と高揚があった。


 彼女にとっては当たり前の、今までにもあった催しなのだろう。

 秋露の勇ましい戦いを応援し、良い結果だけをもぎ取ってくることを確信した、楽しげな「なんでもないこと」。


 その「なんでもなさ」が、今は理解できない。


 先日の、検査を装ってみつき(Ω)の血を不当に奪おうとした者が、どれだけの刑罰を受けることになったか。


 盗人がどうなろうと、結局、採取されてしまったみつきの血は存在する。

 ただただ処分するなんてことはできないはずだ。


 研究するにしても、活用するにしても、欲しがる機関はゴマンとある。


 「不幸にも予期せぬかたちで手に入った提供できる研究材料」。


 それに足して、切ったばかりのみつき(Ω)の長い髪。

 秋露はそれらを使って「御偉いさん」を黙らせ、取れる物の全てを取ってくるつもりか。


 あくまで、みつき(Ω)の優位になる条件を。臨時収入を。口出しされない状態を。


 きっとその中に、成人年齢に達するまでの絶妙に中途半端な期間での「運命の番」との同居や、そこにもう一人αの少年が加わっているという、字面だけを見れば奇妙すぎる関係でしかない生活に口出ししてこないよう、言い包めることも含まれているんじゃないだろうか?


 やっていることに無駄はない。

 秋露ならば、手にすることになった交渉材料をフル活用して、最大限以上の結果を引き出してくるはずだ。


 その信用はある。



 だけど、……許せなかった。



 みつきの髪が売られて、誰かの手に渡る?


 ギリギリで押さえつけてはいたが、胸の中には苦い怒りが満ちていた。


「血は、どうなるかこの前説明聞いたときに大体分かった。でも髪は? あの元気な散髪屋(Barber)さん、……みつきサン(女性)の髪を切るならヘアスタイリスト(美容師)? 普通の切り方じゃなく、みつきサンの髪の毛切ったんでしょ?」


 普通の切り方じゃない髪の切り方とはどんなものなのか、興味と疑念が湧いた。


「そうですね。シンさんは元気がいいです。あと、(女性)の髪も切ってくれますが理容師さんです。秋露おじさんと昔からの付き合いで、私は子供のころからお世話になっています。私がΩであることも理解して、色々と邪魔くさい手続きや、もしものときのリスクも全部分かっていながら、今も付き合いを続けてくれています」


 自分の髪も切ってくれたシン店主の名前が出てきて、わずかながら安堵を得る。

 全く知らぬ相手がみつきの髪を切ったわけではないこと。彼の腕と心根に、自分も触れて知っているということでだ。


 カミユも彼を見たということは、みつきの髪を切るためにシン店主はこの研究センターにわざわざ訪れてカットを施したのだろう。


「髪の毛は血よりもずいぶんと扱いやすい媒体です。含まれているΩの気配は切り落としたその時点から弱まり、徐々に失われはじめて、二ヶ月程度で完全に消えてしまうそうです。でも、だからこそ使い勝手が良くて、他のΩの友達も定期的にカットを頼んでおこづかいにしています」


 他のΩの友達。

 そんな言葉をみつきの口から初めて聞いた。


 彼女に友人がちゃんといること。

 その友人もまたΩであること。

 きっといろんな意味で複雑にならざるを得ない交友関係が見え隠れするのは、どうしようもない。


「おこづかい……」

「はい。みんな色々趣味がありますから。国が支給してくれるのはあくまで生活費、学費、将来補償費? 趣味に費やしたいお金は自分自身で稼ぎます。外でアルバイトはできないので、いろんな手だてで。秋露おじさんはみんなにも知恵と手段とぶん取りかたを教えて。時には手を貸してくれて、代わりに言いくるめて捩じ伏せてきてくれます」


 だからこそ、秋露は忙しくあちこちへ飛び回っていて、本拠地であるはずのこの研究センターにも長期日数(とど)まっていることはない。


 数日帰ってくれば、また数日出かけて。

 数ヶ月、年単位などという長さでみつきのそばを離れることはない様子だが、海外にだって出ていく。

 それは、みつきだけではないΩのためにも。


「私は、……長い間、髪を伸ばしていました。あれだけの量を一度に入手できたら、『御偉いさん』たちはあちこちに『良い顔』ができて、ある程度の『実入り』もあって『ウハウハ』でしょうね。……って、秋露おじさんが言ってました」


 フフン、とみつきは珍しく傲慢に鼻で笑う。


 彼女は、ただやられっぱなしの非力な保護対象じゃない。

 秋露という心強い味方を持って、したたかに生きることをちゃんと心得ている。


 安堵は感じている。

 だけどそれとはどうしても別になってしまう、本能的に許せない、己の番の一部が政治的に利用されて、金で売り買いされているということへの、嫌悪。


 みつきがまだ番を持たないΩだからこそ行われる行為だ。


 悔しくて悔しくて、苛立ちばかりが込み上げる。

 すぐにでも番契約を、なんてことができない現状が歯痒い。


 どれほど「法的にアウト」を胸に刻み、みつきの誕生日まで耐え抜かなければいけないことを理解していても。


「……髪まで、くれてやる必要はなかったんじゃないか?」


 苦い声音に乗って、こぼれ落ちた本音の意見。


 不当に採取されてしまったみつきの血を提供するだけでも、きっと秋露なら十分に、みつきが満足するだけのおこづかいをぶん取ってくるだろうに。


「ちょうど髪を切ろうと思えたのと、秋露おじさんの発言力と影響力を効果的に上げるためと、ちょっと物入りだから収入がほしいと思った気持ちが重なったのです。今なら一石二鳥どころじゃなくて、三鳥で、秋露おじさんはもしかしたらそれを四鳥くらいにして持って帰って来てくれるかも。良いタイミングだった、それだけですよ」


 秋露のため、というのは納得できる。


 だけど、髪を切ろうと思えたのは、なにがきっかけで?

 物入りで収入が欲しいと思わせたのは、なんのせい?


 静かに奥歯を噛みしめる。


 俺が髪を切って、それをなぜか良く思っていない様子のみつきに向かって「髪を切るなんて自由だ」と散々言ったせいじゃないのか?

 俺たちの歓迎会なんかを考えてくれているせいで、余分にかかる食費こそが、物入りの原因なんじゃないのか?


 そのせいで、本来切るつもりのなかったみつきの髪を切る決断をさせてしまったとしたら。


 やるせない。

 無力感で、あまりにもいたたまれない。


「だけど、あんなに長い髪だったのに…っ」


 なおも食い下がった俺を見て、みつきは口を引き結んだ。

 いつも優しく微笑んでいるように見える目元が、きゅうっと引きつるように鋭くなって、俺を睨んだ。


 食卓の上のチーズとトマトのリゾットを盛った皿を、みつきはひょいと取り上げる。

 そんなみつきの動作に驚いたのは、なぜかカミユだった。


 みつきは黙ったままキッチンに戻って、マイクロウェーブ(電子レンジ)にリゾットを突っ込んだ。

 

 数十秒の沈黙。

 こんなにも気まずい静寂は、ここで暮らし始めて、初めてのことだった。


 チーン、と軽快な電子音が鳴る。

 みつきはほんの少し荒っぽい手つきでリゾットを取り出し、戻ってきて、再び俺の前に置いた。


「ヴァルティさんは長い髪の女性が好みなんですね」


 なんとなく覚えのあるセリフ。

 そして逆転している、男女の内容。


 俺が髪を切ったことに対して落胆の表情を見せていたみつきに、何度も問いかけた、まさにそれと正反対の言葉。


「そ……っ」


 そんなこだわりはないと叫ぼうとして、いっそそんなこだわりがあると教えてくれたほうがマシだったのに、なんて理不尽なことを思った自分を思い出した。


「髪を切るのなんて自由、そうヴァルティさんだって言っていたくせに」


 プイッと、みつきはすぐさまそっぽ向くと、食卓から離れた。

 そして、俺が帰ってくる前からソファーに置いてあったパジャマを胸に抱えるように持って、振り返りもせずに浴室へと行ってしまった。


 気まずい静寂が、重く落ちる。

 カミユが疑問をたっぷり含ませた声で、その静寂を破った。


「……ルティ、なにがしたいの? ケンカ?」

「そんなわけないだろ……」


 スプーンを持って、ようやくチーズとトマトのリゾットを口に運ぶ。

 温め直してくれたそれは、空きっ腹に沁みるほど美味しくて、涙が出そうだった。

 スプーンを咥えたまま、ぐっと堪える。


「髪、短くなって色々楽しいって、みつきサンせっかくご機嫌だったのに。ルティもそうだったじゃん」

「……」


 答えられなくて、もう一口、リゾットを口に入れる。


「せめて一言くらい、新しい髪型を褒めてあげてもいいのにさ」


 呆れがちにそう言われて、初めて、みつきの切った髪を褒めていないことに気がついた。


 驚きすぎていたにしてもそれはないだろ。

 女性の外見が大きく変わって、褒めることをしないなんてマナー違反どころじゃない。常識を疑うレベルだ。


 そんな俺を横目に見て、カミユはため息を吐く。


「ルティがそんなに長い髪の女性が好きだったなんて知らなかった。……あ、昔、関係のあった人も髪、長かったっけ?」

「黙ってくれ……」


 片手で目を押さえて、うなだれる。


 ひどい落胆に自責が止まらない。


 それでも、みつきの作ってくれた俺のための夕食は、なにもかもが美味しかった。





ヴァルティ

みつき

カミユ

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