お土産を広げながら
そこに潜む理由の数々
呆然とした俺。
それに驚いたみつき。
もう風呂に入った様子で、寝支度を整えた格好のカミユはニヤニヤしている。
「……っ、……っなんで? 短い!!」
思わず指をさしてしまう。
「はい、切りました」
「なんで?!」
俺に相談もなしに?
みつきは首を傾げる。
「髪を切るのなんて自由なのでは?」
それは間違いなく自分が言ったセリフだった。
「そう、だけど…っ」
それ以上の言葉が返せなくて口ごもる。
みつきはキッチンへ行って、すぐに食卓へと俺の夕食を並べ出した。
並べられていく料理を、カミユがよだれを垂らしてしまいそうな眼差しで見ている。
トマトとチーズのリゾット、量は多め。柔らかい葉っぱの部分をよく煮込んだキャベツとベーコン、そしてキノコのコンソメスープ。アボカドとブロッコリー、切ったミニトマトのサラダ。人差し指大のブリブリとしたソーセージが八本。
「リゾット!! オレ食べてない」
「夜ご飯、あれだけ食べたでしょう? ほんとにもう……、言うと思った。遅い時間に重めの主食はダメかなと思ったの。はい、カミユくんの分は気持ち程度です」
そう言って仕方なさそうに笑ったみつきは、小さな器によそった、俺と同じトマトとチーズのリゾットをカミユの前に置いた。
ブロッコリー一つと、ソーセージも二本添えられている。
喜んでいるカミユの声を聞きながら、落としたお土産を袋に詰め直していると、みつきも手伝いに来てくれた。
俺の前に屈む、小さな身体。
下を向いたことで流れていく肩までの黒髪に思わず目を奪われる。
お土産を拾うために落ちていた視線がゆっくりと上がって、俺を見る。
これほどの近さでみつきの目を見つめたのは初めてかもしれない。
……いや、違う。
もっと近くで見たことがある気がする。
涙で滲んだ彼女の目が、俺を求めていた。
そんな記憶があるのはなぜだ?
……それにしても、短く切った髪もよく似合って……。
どろっと、頭の中も、表情筋も溶けかけた。
すんでのところで我に返る。
顔も、頭の中も、キリリと引き締めた(つもりだ)。
みつきの唇が言葉を紡ごうとして動く。
その唇から目が離せなくなりそう。
ああ、ヤバい。かなり危険だ。
明日まで、本当に持つのか?
早急に抑制剤の調整が必要だと、医者でもないのに、数値も見ていないのに、判断がつく。
「ヴァルティさん、お食事を」
優しい声。俺の名を紡ぐ唇。
ものすごい勢いで、跳ねるように立ち上がって後退りした。
そのかわり、全部拾い上げたお土産の束を、みつきに押しつけるように渡して。
「え? わっ、わ、いっぱい……」
「もらった土産だ。ほとんど食い物らしい。好きに使ってくれ。他のものは後日届けるって」
「まだなにか届くのですか?」
「ああ、買ったりした服とかも、色々な」
「色々……」
さっきお土産を拾うために床に置いたヘルメットとバイクのキーに、みつきの視線が移動する。
そういえば、みつきは大型バイクの免許が取りたいだとか言っていたな。
「バイクも買った」
その一言で、みつきがガバッと俺を見上げて、目をキラキラと輝かせた。
か……っ、……っ、……。
……耐えたぞ。
俺は耐えた。
逃げるように動き出す。
ヘルメットと一緒に、手早く脱いだライダーズジャケットをソファーに置いた。なぜかそこに、みつきのパジャマも置いてあって、少し不思議に思った。
それでも急いで洗面所に入って、手を洗い、ついでに顔も洗い、自分に喝を入れる。
うん、大丈夫だ。
どれだけか心の余裕を取り戻し、リビングに戻った。
みつきが嬉しそうにお土産の食べ物たちを食卓の端っこに並べて確認している横から、リゾットを食べ終わったカミユがちょっかいをかけている。
早速カミユが「国産牛肉のプレミアムジャーキー」と書かれた袋を手に取って、遠慮なく食べ始める。
驚いたみつきが慌てて止めながら、俺とカミユを交互に見てくる。
苦笑いを浮かべながら歩み寄って、カミユの手からジャーキーの袋を奪い取った。
「そろそろ食べ過ぎなんじゃないか? 心配されてるぞ?」
「平気。いくらでも食べられるよ? このジャーキー美味い」
口の先にジャーキーをもぐもぐと揺らしながら、カミユはみつきへ視線を移して微笑む。
「でも、寝る前に食べ過ぎたら、朝、しんどくなるよ?」
「シンドく? なにそれ? なったことない」
みつきが明らかにショックを受けたのが分かった。
多分これは個人差もあることだが、大きく、αとΩの身体構造や体力なんかに直結しているのだろう。
若者の間で繰り広げられる認識差異のやり取りは、見ていて笑えてくる。
とりあえず、俺も今のところ、今までに、寝る前に食べ過ぎても朝辛いと思ったことはないのだけれど。
こっそり口を尖らせながら、お土産を並べる作業に戻るみつき。
俺はジャーキーを一つ自分用に取り出してサラダと同じ皿の上に乗せ、袋の口を閉めて食卓の席に着いた。
「……バイクの免許は取りに行かないのか?」
スプーンを手に取りながら聞いてみる。
みつきは小さなボトルの、この国の高級ウイスキーやワインをそっと俺の方へ押しやり、お土産の選別を続けていく。
「行けないと思います」
俺を見もしないで、顔も上げないで、さっぱりと言い切った。
行かない、ではなく、行けない。
おかしな言い方だ。
カミユは黙って、ジャーキーをもぐもぐしている。
「車の免許は取ると思います。この国では、運転免許証はかなり重要な身分証明書ですから。でも、取ったその後はどうなるかは知りません」
なぜ投げやりのような言い方に?
もっぎゅもっぎゅとジャーキーを噛み締めていたカミユが、なにか気づいたように口を開いた。
「まさか、それも止められんの? あのメッセージアプリの凍結解除された? 秋露センセイにも相談したんだろ?」
たまりかねて聞いてみたような態度に、みつきは眉を寄せて少しだけ微笑む。
それから、冷蔵庫から取ってきた冷たい水をカミユのコップに注いでやって、小さく首を振った。
カミユはイラつきを隠そうともしないで水を飲み込む。
「メッセージアプリの凍結? なんのことだ?」
「なにって……、……ルティ、みつきサンとやり取りするために携帯に俺等の馴染みの方のメッセージアプリ入れてもらっただろ?」
「ああ」
みつきに昼食のオススメを聞くという口実を作ってまでゲットした、彼女のメッセージアプリアカウント。
既読のチェックがいつまで経ってもつかないと、見るたびに落胆していたあれだ。
「あのアプリ、みつきサンは使えないってさ」
「なにそれ?」
ピリッと俺の周りの空気がひりついた。
「みつきサンが悪いんじゃないからね」
即座にカミユがみつきに非がないことを告げてくる。
「あのアプリは海外ユーザーだらけだろ? 電話番号さえ分かれば誰とも繋がれるし、俺にだって年齢的な制限、ルティがかけてるじゃん」
「……そうだな」
俺との連絡。友達とのやり取り。このご時世、当たり前としてメッセージアプリは必要だろう。
世界中の不特定多数と繋がる、その窓口になり得る。だからこそ自衛は必要だ。
……もしもその窓口を得ること自体、制限されているとすれば。
俺がゆっくりとみつきを見つめても、彼女はこちらを見なかった。
肩までの長さになった髪が、くくられていないからこそ、横から見るみつきの表情を隠す。
「個人情報をほんの少し更新したら、アカウントを凍結されてしまいました。色々やってみたんですが、ダメみたいです」
申し訳なさそうに、残念そうに、でももう諦めを抱いて、笑う。
その笑顔に絶句して感じた、胸に湧き上がった気持ちは、いたたまれなさによる怒りだった。
みつきが俺の送ったメッセージを無視していたわけではないことを知れた。
そんな嬉しさよりも、不自由を強いられていることを受け入れるしかない、彼女の窮屈な現状に。
「みつきサンの入れてる、この国のメッセージアプリは平気だろ? ルティも早くそっちのアプリ入れてくれよ」
「……? それは平気なのか?」
「うん、規模が違うからね。ほぼほぼこの国のユーザー限定。あと、セキュリティと信用度も」
ポケットの中に仕舞ったままだった携帯を取り出して、食卓の隅に置いた。
それが承諾だと、カミユには分かったのだろう。
あとでやり方教えるね、と言いながら俺のサラダの上に置いていたジャーキーを奪い取って、自分の携帯を触り始める。
「同じような理由で、バイクの免許も取りにいけないと? 車は免許を取って、……車を運転してもいいかは分からないってことか?」
問いかけに答えようとするみつきは、どこか億劫そうだ。
彼女自身は己の置かれている状況と立場を、もう嫌というほど理解しているのだろうけれど、それを改めてヒトに説明するのは慣れていないのかもしれない。
「絶対そうなるってわけでもないと思います。私が未成年なのも、……まだ番を持っていないのも、理由として当てはまるだろうし」
今確かに、頭の中が、胸の内側が、燃えるような怒りの火で炙られた。
一瞬、俺の目が据わって、纏う空気が冷えたことにカミユだけが気づく。
みつきは気づかない。
当たり前だろう。ほんの微かな感情の揺れになんて、鍛えもしていない一般人は気づかない。そんな一般人よりも身体能力なんかで劣るΩが、己に向けられてもいない気配を感じ取るなんてできるわけがない。
αでさえ、よほどの敵意や害意を向けられなければ反応しないのだから。
カミユが気づいたのは、そういう鍛え方をして、そういう育ち方をしてきたからだ。
心配そうに、息子の赤い目が俺を見てくるから、即座に己を平静に戻し、怒りを押し込めた。
「あとは多分、私にはバイクを支えて持てるだけの力がありません。慣れと、日々鍛えていけばどうにかなる、なんてことにもならないと思います」
明確な諦めの理由。
そしてそれに、仕方ないながらも納得している。
みつきの細腕を見ると、こちらも納得せざるを得ない理由だった。
いくら頑張って鍛えても、Ωの身体能力は。
さっきも思ったことを、また思う。
「あんたが乗りたいときに、いつでも後ろに乗せてやる」
自然と、思ったことが口から出ていた。
みつきが驚いて、ゆっくりとこちらを見て、確かに嬉しさと期待を含んだ眼差しが俺と交差した。
だがそれがまた、寂しげな諦めの笑顔に変わる。
「ありがとうございます。お気持ちだけで嬉しいです」
それが、やんわりとした断りの言葉だってことくらい、ちゃんと分かっている。
それはまた遠慮なのか、俺だからという拒絶なのか。
思考がマイナス方面に傾きかけていく。
「その……、多分、とても、……迷惑がかかるので」
みつきの気持ちは、確かに遠慮だったのだろう。
だが、そこにある理由は、どうも俺が原因ではなさそうだった。
「どんな?」
みつきは一旦、答えることをどうしてもためらった。
持つだけ持って使うタイミングを逃がしているスプーンを置き、お土産を並べたまま動きを止めているみつきの小さな手にそっと重ねる。
ピクリと反応して、みつきの身体が跳ねた。
それは驚きでも、拒絶でもない。
「俺」に、素直に反応しただけだった。
「……私は、遠くには行けません。勝手に外に出ることもできません。抑制剤をちゃんと飲んでいても、何が起こるか分からない。そのときに、私一人では対処できない。たとえバイクに乗る許可が出ても、もしもどこか不用意な場所で怪我でもして血を流そうものなら、……それは、テロ行為と変わりありません」
カミユの顔色が蒼白になった。
俺は押し黙る。
……分かっていた。
言わせたかったわけじゃない。
彼女の自重の覚悟を甘く見ていたわけじゃない。
ただ、楽観して、浮かれていた自分を改めて思い知らされた。
番のいないΩの血は、フェロモンと同じだ。
巻き散らせば周辺のαは即座に興奮状態と狂乱に陥る。
どんな「万が一」も、「もしも」も、「まさか」も、起こり得る可能性をゼロにできやしない。
ことが起こってからでは遅い。
だからこその管理体制。
だからこその厳重な保護。
だからこその……。
「どんな大きさであれ、外で怪我を負うなんてことは、私には周囲を巻き込む大問題になり得ます。だから、大きな怪我の危険が伴うバイクの運転は認めてもらえない。……そもそも、どう考えても教習所のバイクすら起こせないので、運転以前の問題ですけど……」
倒れたバイクを一人で起こすことができる。それは最低限、一番最初にできなくては困ることだ。
それが分かっているならば、諦めも案外容易くつくのかもしれない。
「ヴァルティさんが事故をするとかそんなことを思っているわけじゃないです。むしろ一人でも絶対事故なんてしないでください」
きっと強い眼差しで俺を見るみつき。
「大丈夫。いつだって安全運転だぜ?」
ほっと胸を撫で下ろす彼女を見て、カミユも横から笑顔で言葉をつけ足してくる。
「凄い運転してるのは映画の中だけだしね」
頭の中で、スタントマン無しでバイクを駆った件のシーンが勝手に思い出された。
みつきがどのシーンを観たのかなんて知らないけれど、なんとも言えない表情になったのは言うまでもない。
「そんなだから、安易に乗せてもらうと、後になってどんなことを言われるか分かりません。そのときに追及されるのはきっと、……どうしても、私じゃなくてヴァルティさんになりそうだから……。……そんなのいや……」
ああ、……やっぱり、彼女の遠慮は俺のためを思ってのものだった。
ヴァルティ
みつき
カミユ




