手遅れを(思い)知る
かつて諦めさえ抱いていたのに
撮影は大詰めで、あとワンシーンを残すのみ。
光の加減や風のせいで何回も撮り直しもした。ほとんどの原因が、監督の「あとほんのちょっと」のこだわりと、妥協を許せないせいだった。
正直に言うけど、俺に「役者の才能」なんてものはほとんどない。
そういうのは、主役さえも張れる役者たちが演技という命を賭すような情熱を持ってやってくれればいい。
じゃあなんでこんな場所に立っていられるかって?
俺は、言われたことをそのまま忠実に再現するからだ。
監督や脚本家や演出家、果ては原作者、美術監督、アクション指導者。
そんな「出来上がりの映像」を頭の中で明確にイメージして持っている者たちの話を細かく聞いて、すり合わせて、イメージどおりの動きをし、イメージどおりの抑揚や感情を表し、イメージどおりをそのまま現実に引っ張ってくる。
俺自身が、カメラに映らない作り手たちの写し身。
彼らの理想の表現を、本来なら彼ら自身で表現さえしたい描写を、光景を、風景を、全て彼らのかわりに自分の身体を使って、体現する。
俺という個人の個性はほぼいらない。
俺を見て表現したいと言ってきたことに従って、身体を動かしてやるだけ。
だから、アドリブを入れてください。だとか、自由に動いてください。なんて言われると、俺は素人同然になる。
台本、脚本、演出、指示指定、それに一点のズレも生み出さない俳優というものは良い舞台装置だ。
映像や物語の要ってやつは、輝かんばかりの本物のスターたちに任せて、俺はいつだって、完全なる作り手たちの表現したいものの大事なピースに成り下がれる。
だけどこんな俺の存在は、作り手たちにはあまりにも使い勝手はいいが、演技に真摯に向き合っている役者や俳優たちに対しては、一種の冒涜のように感じていた。
だから、これでいい。
俳優業を辞める決心はとうについている。
少なくともこの業界で知り合った俳優仲間や、映像関係者たちにこれ以上おかしな関わり方をすることもないだろう。
「ヴァルティさん、位置取りお願いします」
「OK」
手に持って眺めていた、割れたクッキーの最後の半分を口に放り込んで、立ち上がった。
あまりにも長引いた撮影のせいで、俺がさっきからクッキーを食べていることを、メイク担当者や監督までもが笑っている。
そんな穏やかな撮影に、終わりを感じる。
これで最後。
そう決めて旅立って、この国に来て。
そして、俺は知った。
カメラの前に立って、位置取りをして、最終調整。
さっき監督と話して詰めた内容を思い出しながら、これから取る行動を反芻する。
スタッフたちが離れていって、準備が終わる。
遠くから、監督が合図を送ってきた。
背後にあるカメラへと、振り返る。
風が吹いて、髪を揺らす。
さっきはこれでNGになったんだっけか。
長い髪のままだったら、もっとひどい有様だったかもしれない。
そう思うと、なんだか楽しくなってしまった。
きっとまた、監督がNGと叫ぶはずだ。
だから、笑った。
そのまま、絵コンテどおりの動作を続けようかと、遊び心も抱きながら。
本来なら、後ろの風景を見せるように手を動かして示す。
だけど、……出来心で、手を差し伸べた。
そこに、カメラの向こうに、観ている者がいるはずだ、なんてことは映画に自分が映るんだと理解したときから認識するようになった。
だから、だからこそ逆に、観ている者たちの中に、……みつきも入っているはずだと思えて。
ーーーー俺は、思い知った。
この世界に、俺の番がいることを。
生きて、同じ時間を過ごしていることを。
手を伸ばせば届く距離にいてくれることを。
かつてこの胸に空いていた空虚さは、今はない。
あるのは、渇望だけだ。
愛したい。
愛されたい。
それだけでいいから、叶えたい。
叶ってくれ。
こんなに強くなにかを望んで、願ったことは、生まれて初めてだ。
遠くで、監督がなにかを叫んだ声がした気がした。
ハッと我に返って、まわりの風景とスタッフたちをゆっくり見渡した。
そして、やっぱり撮り直しだな、と軽口を叩きながらカメラマンと笑い合う。
撮影はもう少しだけ続いたけれど、思っていたより早く終わった。
俺は夕方を迎えるよりも早く解放され、しっかり夜と言える時間になったころには、家に帰り着くことができたのだった。
ヴァルティ
撮影スタッフたち




