旅立ちを決めた日
ある夏の季節の終わり
世界的な少子化問題、なんてあるだろう?
日々、βを中心とした世の中の、世間の常識ってやつを届けるために、テレビのニュースキャスターが事あるごとに伝えている。
そして決まって続くのは、α人口の減少を懸念するニュースだ。
第二の性の一つ、α性。
あまりの優秀さで、その能力の高さで、どんな分野でも世界を引っ張っていくリーダー。
重要な研究、開発、あらゆる現場でも、要となる知識を、力を発揮し、導くことができる存在。
もちろんそれだけじゃない。
無視できない存在感。
誰しもの羨望。
一見輝かしく見えるテレビの中の世界、映画の中の世界にも、αはいる。
俺が今いる世界はどこかというならば、そういうところ。
別に望んで入った世界じゃない。
そう口に出したら、βでありながら世界最高峰と言われる役者たちの批判を一身に浴びることになるので、軽率なことは言わない。
それに俺自身が、役者だなんだと軽々しく名乗るのは今でも抵抗がある。
俺が映画の世界に関わるようになったのは、たまたまだ。
たまたま前職の時間が空いた合間に、たまたま外に出た場所で映画の撮影なんかがやってて、たまたま俺と似通った体型の役者が足りなくて、たまたま助けがてら出てくれと頼まれて。
演技なんてとんでもない。
言われるままに行動して、言われるままに振る舞って、言われるままに台詞を喋って撮影が終わったら。
その映画がとんでもなく話題になって、興行成績とやらを塗り替えるなんちゃらになって、一躍ブームを巻き起こして。
原因は俺。
なんてことは言わないからな?
それでも、俺は前の仕事を続けていられなくなるほどには話題になってしまったのだ。
前の仕事?
裏社会の格闘技の世界の格闘家で、その頃は王者として名が響いていたけど、……そんなこと別に聞かなくていいだろ。
裏社会なんかと関わりを持たないでいられる人生のほうが、一般の人々ってのは絶対に幸せなんだから。
俺はαだけれども、αだからって生まれも育ちもご立派なエリート街道まっしぐらってわけじゃない。
それなりの血筋だったり、それなりに真っ当なご家庭で育てられたαなら、世界と世間が望むエリートコースのリーダーってやつになれるだろう。
だけど、世界に一体どれだけそんな幸せで裕福な家があると思う?
別にそれが良いとか悪いとかって言うわけじゃない。
俺はその、幸せで裕福な家には縁がなかっただけ。
でも別に、自分の幼少期もそんなに捨てたもんじゃなかったんだ。
俺が裏社会の格闘技の王者になるくらいに、目指し、師事した師匠がいて……、……だから、俺の昔話なんて必要ないんだってば。
とりあえず、俺は潜むことが第一条件と言っても過言じゃない裏社会アングラのルールってやつから疎まれて疎まれて、半ば追い出されるように、半ば送り出されるように、表の世界で生きることを選ばされた。
選別代わりに、弟子として育てていた少年を一人、無条件で連れて行っていいと放り出された。
こいつも俺と同じような境遇だったから、明るい世界へ連れて出られたことは一番の報酬だった。
表社会で生きることは、生温くもあるけれど、悪くもない。
そもそも裏社会で稼いでいた分の金でこれから先の人生、生活していくのに苦労はないし、あれからあの時の映画監督が俺のことをいたく気に入ってくれて、事あるごとに出番をくれるから収入にも困らない。
気がついたら、「世界が求めていたαの肉体派アクション俳優」「多くを語らないαのアクションスター」だとかなんとか言われるようになってしまっていた。
出た映画の本数も、出番もそう多くないんだけどなあ? なんでだろう?
「表社会のαってさ、スマートでシュッとしてて、知的で、あんたみたいなガッツリ肉体派って本当に珍しいんだよ。それもエンタメの世界に露出してるなんて」
「そんな理由か?」
「理由の大半だと思うよ?」
高校のカバンをポイと粗雑にソファーに投げ捨てたのは、弟子である少年。
手続き的には養子で息子。
でも説明が邪魔くさいから、誰かに関係を聞かれても、真面目に答えるつもりはないほどには適当だ。
「で、ルティ、発表したことは本気?」
携帯をひらひらと振って見せながら、少年、カミユは俺を見る。
ルティは愛称だ。
俺の本名はあまりにも仰々しいので、こちらではヴァルティで通している。
ヴァルティ・ノーススター。
カミユ・ノーススター。
それが俺たちの名前。
「ああ、本気。もういいだろ。肉体派だとか持て囃されていい気になっていたくもないし」
「オレは別にあんたがそう決めたんだったらいいんだけどね。呟Xで、すげえニュースになってるの知ってる?」
ちらりとローテーブルの上に、電源を切って置いてある携帯を見やる。
もしも電源を入れでもしたら、関係者からけたたましいほど電話がかかってくるのなんて、目に見えていた。
「『大人気アクション俳優、ヴァルティ・ノーススター(28歳、α)、突然の引退発表』」
カミユがスイスイと携帯の画面をフリックさせながら、次々と記事を読み上げていく。
「『突然の引退発表。真相は。関係者からは体調の都合とも語られている』」
また次。
「『早すぎる引退。惜しむ声。なぜ。α特有の症状について』」
また次。
「『αであることの弊害か。驚き戸惑うファンたち』」
カミユの読み上げがまだ続きそうで、こめかみを指で押さえる。
「『関連記事・αの社会第一線の引退について。Ωの存在、番の有無との関係性……』」
「もういいだろ、邪魔くせえな」
ついには、苦々しく言葉を投げて遮った。
カミユは素直に口を閉ざす。
「だいたいお前が想像している理由で間違いないぜ」
ため息までついて肩を落とすと、カミユは携帯を持った手を下ろして、まっすぐに俺を見た。
「お前も知ってのとおり、俺の抑制剤の強さはこれ以上は無理だ。なにかの拍子で抑制効果を突破されるようなことが起これば、社会的にアウトどころじゃねえ。今の職業柄、あっという間に全世界に晒されて、終わる以上に悲惨な目に遭うのが見えてる」
情けない逃げのように聞こえる泣き言を、カミユは否定しない。
「表の世界のαは、賢く立派で、社会的見本でいなきゃいけないんだよ。お前も、……分かってるよな?」
「……散々教えてくれたからね。分かってる。……オレも、αだから」
「おう」
カミユの返答の確かさに、安堵のうなずきを返す。
第二次性徴期に行われる第二の性の診断結果、「やはり」カミユもαだった。
「別に社会的にアウトとか言われても気にはしない、とか言いたいんだけどな。なんにも良くねぇんだよ」
「うん」
良くない意味を、カミユも理解してくれているようだった。
抑制剤の効果を失って、何かしらの危機を周りに振りまくことになったとする。
そうなれば、「そう仕掛けた相手」というものが必ず存在する。
ただ困らせてやろう、なんて犯罪ならまだしも、フェロモンアタックなんかだった場合、とんでもないことになる。
強制的にαを発情させるフェロモンを発生させ、理性を奪いに来る厄介な犯罪だ。
それは多種多様な薬による効果だったり、直接発情フェロモンを散布するものだったり、俺の番になりたいだとかいうΩの突撃だったり。
一番最後は超、超レアケースだとはいえ、ないとも言い切れない。今でも、表社会では大きなニュースになるほどの事件で、裏社会ではそれなりに頻繁に起こる手口だ。
どうしても、生物的に魅力的で仕方ないαを手に入れるための、βやΩの苦肉の策。
どれにせよ、厄介以外ない。
そして、俺が今こうして悩むよりもずっと前から、社会はこういった第二の性の問題に悩まされていた。
発情により、αを狂わせるΩのフェロモン。
それを脅威と見なした世界が、βが、……そしてこともあろうにαが、Ωを蔑み、排除した時代がほんの少し前、確かにあった。
Ω人口は、もとより少なかったというのに、更なる激減を見せた。
そしてその結果、……αの人口が著しく激減したのだった。
αは別に、Ωと番わなければいけないわけではない。
α同士で番うことも、βと番うことだってできる。
だが、生まれてくる子供は。
α同士のカップルから生まれる子供はαかβ。αとして生まれて、遺伝子は継いでいても、能力はβに近い。
αβのカップルから生まれる子供はほぼβ。極稀に何らかの稀な確率でαが生まれることもあるが、その確率は天文学的だ。
そして、αΩのカップルからだけ、非常に優秀なα、そして稀少なΩの子供が生まれる。
今となれば常識だ。
ちなみに、裏の世界では昔から変わらず凄まじく当たり前の周知の知識だ。
表の世界は最悪の形で、間違えた。
Ωなどいなくても、世界は正しく回る。
Ωなどいなくても、αは優秀で、βはそれに従い、αは生まれ続けて、世の中は円滑に回っていくと、錯覚した。
番う、番わない、それ以前に、世界からΩがあまりにも激減した影響は、出生率だけでなくあらゆるαの精神状態に影響を与えた。
……狂うのだ。
番がいたらいいという問題じゃない。
Ωという、αにとって必要不可欠な存在があまりにも短い期間で多く消えたから、凄まじい勢いで減り失ったから、どんなαも正気を保っていられなくなった。
バース性の権威や研究者たちが「Ωたちが存在しているだけで発生している、ある種の、これまたフェロモンのような物質が、世界中のαの精神に微弱ながらも影響を与えていたに違いない」などと、未だ確証を得られていない推察を世界に発表してからようやく、Ωへの社会的地位の確立や、対応や、保護や、いろいろなものが打ち立てられるようになった。
世界が己の非を認め、Ωの存在の大切さに気づいた。
正直、遅すぎたと言われていなくもないが。
αにとって、Ωは、蔑む相手ではない。
恐れるものでもない。
あらゆるαにとってΩは、守る対象で、慈しみを向けるべき対象で、愛を捧げる対象だった。
優秀すぎる自己の孤独や空虚に空いた胸の穴を埋めてくれる唯一の存在。
Ω以外の性の番では埋めきれない渇望が、αの中にはある。
高い能力を持つαになればなるほど、それは顕著だった。
だからこそ、Ωのフェロモンに狂わされるなんて我慢ならないと、プライドの高いαたちが起こした錯覚の行動が悲劇を生んだわけだ。
Ωは、αの敵じゃない。
Ωは、αを狂わせたりなんかしない。
ただ愛を乞うて、愛を捧げてくれる。
渇望を埋めてくれる、唯一の存在。
……この考えだと、運命の番ってやつの説明になっちまうのかな?
そんなに難しく考えなくていい。
普通のΩですら激減して、出会うことなんて稀の稀の稀になってしまった。
αもどんどん減少の一途で、出生率も低下の一途だ。
こんな世の中で、運命の番に出会う?
どんな確率だよ、まったく。
「これからどうするの? ちなみに、マンションの外はパパラッチがウロウロしてたぜ?」
カミユがぐいと親指で窓の外を指差す。
「ほとぼりが冷めるまで別の国に行ってみようと思ってる」
「別の国?」
「ああ、知ってる限り世界で一番平和な国だぜ?」
「まさかそれって!!」
カミユの目がきらめいた。
何を隠そう、いや隠す必要は特になく、こいつはその平和な国に憧れと尊敬を抱いているから。
「ほら、俺の今の薬配合してくれたバース性研究の権威って先生に前、会ったろう?」
「覚えてる。まだ検査もしてないオレのことを見て、『君はαだろうね』なんてサラッと言ったあのセンセイ様」
「そう。そのセンセイ様がさ、俺がこの先どうしようか考えてること軽く話したら、『良かったら研究協力をしてくれながらこっちの国でゆっくり過ごさないか』って提案してくれたんだよ」
「それって、それって、オレも一緒だよな?!」
「当たり前だろ? 置いていくわきゃねえよ」
「やったぜ…っ!!」
両手で拳を作って、天を仰ぐように喜びで打ち震えているカミユ。
「あっちの国に行ってもお前、学校通うからな? でもこっちと違ってグレードスキップはなくて、お前はグレード7(中学二年生)からだとよ」
「は?!」
十三歳になったばかりで高校に通うカミユは、今は大学受験の勉強さえしていた。
驚くのも当たり前だろう。
「マジかよ、あー、でも、多少の不自由は受け入れる!! なんたってあの国に行けるんだから」
喜ぶカミユを見て、自分の選択に確かな安心が持てた。
微笑んで、現状を受け入れる。
俺の身体は、もう抑制剤の副作用に対してほとんど無力と化していくだろう。
自慢の身体と筋肉なんかも、衰えていく。
それでも、αとして薬はやめてはいけない。
番を持てば、ある程度は緩和され、楽になるのではないか。
医者や有識者たちからの意見を、うるさいくらいに聞いた。
だが、……俺は、αとしては優秀すぎるんだと。
それに伴って、Ωの少ない世界から受ける影響は顕著だった。
わざわざ裏社会のほうの医者や、研究者なんかにまで話を聞きに行って、得た答えだった。
別に、そう聞いたからと人生を諦めるほどの絶望を抱いたとか、そんなことはない。
あともう少し。
せめてカミユが大人になるまで面倒を見るっていう責任もある。
のた打ち回りたくなるくらいの抑制剤の苦痛を嫌でも味わわなければいけないなら、自分の自由にしたいと思っただけ。
その果てに、懇意にしているバース性研究者の研究に付き合う、なんて、俺はとことん諦めが悪いっていうことで納得してくれ。
カミユと一緒に、国を渡る準備をした。
明るい表社会の世界を見せてくれた輝かしい銀幕の中の世界って場所とおさらばして。
旅立つときの足取りは、とても軽かった。
やがて来るだろう、遠くない未来。
Ωが死に絶えた世界では、αは生きられない。
そんな未来が、βしか存在しない未来が、確実に待っている。
αやΩ、第二の性などというものすら存在しない平等な世界が、きっとそこにはあるはずだ。
……それはきっと、とても平和な世界なんだろう。
このスペースには、出てきた人の名前やささやかな注釈など必要なことがあれば書いていきます。
ヴァルティ・ノーススター
カミユ・ノーススター




