家の中へ
どんなときでもお腹は空く
開け放たれたドアをくぐる。
広々としたエントランス。
みつきは靴を揃えて脱いで上がり、もう一つある引き戸のドアの向こうへ行ってしまった。
ああ、そうだ。この国では家の中は靴を脱いで生活するのが当たり前なんだったな、と生活習慣の違いを感じながら靴を脱ごうとする。
「ちょっと待って。玄関の鍵の設定をしてしまうから、二人とも生体認証」
引き止める声に従い、戻って、秋露の言う「玄関ドアの鍵の設定」に付き合った。
それが終わると、秋露は今やるべきことはおおよそ終わった、とばかりにタブレットの画面をオフにした。
そして、今度は率先して靴を脱ぎ、家の中へと上がっていく。
「さあ、今晩から君たちの家でもある。遠慮なく中へどうぞ」
そんなことを言いながら秋露も遠慮なく進んで行くものだから、疑問に思ったことを尋ねた。
「秋露センセイもここに住んでいるのか? みつきと一緒に?」
引き戸に手をかけながら、秋露はこちらを振り返って笑う。
「ははっ、そんなわけないだろう? 一応、住居としてこの上の階の部屋を当ててもらっているけど、ほとんど使っていない」
スラリとドアを開けて、中に身を滑り込ませていった秋露をゆっくりと追った。
「案外忙しい身で、あちこち飛び回っていることが多くてね。部屋はただただ服を置いているだけ。風呂はジム併設スパの大浴場で済ませたり、寝るのは研究室の仮眠用ベッドのほうが多い。食事はよく……」
大きめの保冷バッグを手に呆れた顔をしたみつきがやってきて、秋露の胸にそれらをぐいと押しつけた。
「こんなふうに、かわいい姪っ子がお弁当を用意してくれたりする」
その秋露の説明を聞いて、口を尖らせて少し怒った仕草を見せたみつきが可愛らしい、などと思ってしまう俺に気づきもしないで、彼女は文句を言い始めた。
「秋露おじさん、このあともまた仕事に戻るんでしょう? せめて食べるものはちゃんと食べてね。スープも入れてあるから、全部ですよ?」
「はいはい。ありがたく、きちんと食べます」
保冷バッグを両手で受け取って、掲げて、拝むように大げさな感謝を示して見せた。
「というわけで、私の案内はここまでだ。センター内には居るから、なにかあったら連絡をしてくれ。なにもないことを願っている、とは言わせないでほしい」
「言ってるじゃねぇか……」
「そりゃ、言いたくはなるからね」
くつくつと喉を鳴らして、秋露は笑う。
「明日からの細かい予定は、明日決めよう。今日はもう疲れているだろう。怒涛の一日だったに違いない。……いや、まだ続くのかな?」
このあと秋露抜きでの、みつきとのやりとりが待っている。
それを思うと、まだまだ安穏と一日を終えられる気がしないのは確かだ。
なんとも言えない苦々しい思いに襲われる俺の内面を理解してか、にやりと、秋露は目を細めて俺の肩を叩いた。
「よく休んでくれたまえ」
「……嫌味かよ?」
「いやいや、心からそう思っているよ。それじゃあ、カミユくんも、また明日。みつき、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
「Have a good night. 秋露センセイ」
秋露は柔らかく笑って、手を振って、俺たちに見送られ去っていった。
玄関のドアがオートで閉まり、みつきがチェーンロックをかける。
そして、リビングへと戻ってきた。
改めて、家の中を見る。
広いリビングダイニング。
機能性の高そうな広々としたキッチン。コンロには鍋がかかっていて、火はついていないがいい匂いのする湯気が上がっているのが見えた。
そう、先ほどからずっといい匂いがしている。
それはしっかりと食べ物の匂いだ。
決して、この家に満たされているみつきの匂いを嗅ぎ分けて良い匂いと言っているわけじゃない。
「あの」
今見える範囲の家の中を見渡していた俺とカミユに、みつきはほんの少し遠慮がちに、それでもしっかりと声をかけてきた。
俺とカミユの視線がみつきに注がれる。
そのせいで緊張したのだろう。それでも、きゅっと小さな手で拳を握り込んで、一生懸命口を開く。
「あの、まずは食事にしませんか? これからのことについて話し合うのも大事だけど、ちゃんと分かっているけど、もうすっかり夜で……」
ぐきゅー……。
みつきの必死の訴えが終わる前に、隣でカミユの腹が切なく鳴った。
「……、……」
思わず、みつきがカミユを見る。
しょんぼりと肩を落とし、眉間にシワを寄せ、目をギュッと瞑ったカミユは。
「ルティもセンセイも話長すぎ。もう無理、腹減った……。すっげぇいい匂いしてんだもん……」
うめきながら訴えてきた。
その腹がまた、ぎゅうー、と鳴く。
みつきは俺の顔を見る。
黙ってうなずいて見せると、彼女の顔に明るい笑顔が広がった。
「荷物を下ろして、手を洗ってきてくれますか? 簡単なものですけど作りました。お口に合うと嬉しいです」
そう言って、手洗い場があるのだろう場所を手のひらで指し示してくれる。
息子の顔に、隠しようのない嬉しさが浮かんだ。
そのとき確かに、俺たちの間に漂っていた緊張は解け始めたのだった。
ヴァルティ
秋露
カミユ
みつき




