到着・インターフォンを前に
諦めの悪い背中を押すのは
ポーンと軽快な音を立てて、ドアが開く。
しんと静けさが染み入るような、広々としたロビーが目の前に広がる。
開放感も演出しているパノラマウインドウの向こうはもう真っ暗で、この研究センターのほぼ最上階から、街を見下ろす夜景が見渡せる。
ただしこの建物は、きらびやかな街中にあるわけではない。
むしろ、病院や医療現場直結なのだから、長閑というか、静謐というか、静粛に保たれている静けさがその夜の中にあった。
ちょいちょい、と秋露がまた指で天井を差す。
そこにも監視カメラ。
「この階では、あれが最後だ。みつきの住む部屋の中にあんなものは無い」
当たり前だろう、と憤りたくなる気持ちと、ほっと安堵した気持ちが同時に胸を占めた。
「君たちはある程度の覚悟を持って、この場所に来てくれた。ありがたく思っている。カルチャーショックなんてものは山ほどあるだろう。なんでも力になる、遠慮なく言ってくれ。そしてどうか、みつきと楽しく暮らしてくれ」
秋露の言葉はなんの裏表もなさそうな、みつきのことを案じているだけの優しいものに感じられた。
彼は俺を促して、ただ一つだけある立派な住居ドアへと導く。
仕方なくドアに向かって手を伸ばし、インターフォンに指先を近づけたまま、じっと見つめてしまう。
……これを押せば、始まってしまう。
ためらう気持ちが未だ、どうしてもあった。
理性と本能がギチギチとせめぎ合っている音を、ずっと頭の中で聞いている気がする。
往生際の悪い俺を、一歩引いた背後で、秋露が何も言わずに見つめている。
心を決めなければいけない。
とうに分かっているんだ。
どうせ逃げ出す場所などないと。
逃れ行く先などないと。
そしてそんな逃亡を、……望んでいない自分を認めるだけでいいはずなんだ。
「あーっ!! まどろっこしい!! いつまで待てばいいんだよ!!」
どかんっ!!!!
「うおっ?!」
ーーーーピンポーン。
痺れを切らしたカミユの苛立ちがこもりまくった渾身のタックルが背中に炸裂して、思わず手をついたインターフォン。
無情にもチャイムが鳴り響く。
「カミユ!! お前…っ!!」
それなりのダメージを食らったことに顔をしかめながら、背中にしがみついているカミユを振り返るように見た。
負けじと俺を睨む息子の赤い瞳が、物言いたげな苛立ちに満ちている。
カミユが口を開きかける。
その口からなにか言葉が発せられる前に。
「はーい」
ドアの向こうから微かに、チャイムに答えて返事をした声が聞こえた。
近づいてくる気配。
鍵を開ける音。
カチャリとドアが開く音。
開かれていくドアを支える小さな手が見えただけで、この胸は確かに躍った。
「あ……」
ドアを開いて一番近くにいたのが俺だったので、それに気づいたみつきが身を強張らせた。
おおかた、秋露が最初に対峙するものだと思っていたのだろう。
彼女の戸惑いを感じ取って、心の内側が複雑に乱れ途切れる。
『運命の番』。
本能が求めている、それは分かっている。
だけどどう見ても、現状、俺だけが翻弄されて、いっぱいいっぱいで、余裕がなくて。
彼女は俺に対して、まるで怯えるようで、遠慮と戸惑いばかりが明確にあって、惹き合うなんて気持ちは微塵も持っていないように見えて。
なんて声をかけていいかも分からない。
思考がまともに巡らない。
「あ……」
なにか絞り出そうと思ったけれど、なにも言葉にならない。
しばらく、なにもできずに見つめ合った。
いや、しばらくなんて時間はなかったのかもしれない。
視線を交えた時間が、とても長く感じられた。それだけだったのかもしれな……。
ふわりと、優しく、みつきは微笑んだ。
その瞬間に感じた幸福感を言い表す言葉を、俺は絶対に持っていない。
「あの…、えっと……、……おかえりなさい」
続いた言葉に、彼女の笑顔に、俺は胸を押さえてその場にうずくまりたい衝動を必死で耐えた。
そのかわり、指一本動かせずに硬直する。
「おかえりなさいって……、……既に新妻の心境かな?」
後ろで秋露が喉を鳴らして笑いながら、みつきにツッコミをいれる。
声もなく、みつきがカッと頬を染めて秋露を見た。
「初めて来たのに、Welcome back? みつきサン、あの有名なメイドサンごっこ?」
カミユがなんのことを言っているのか、正直まったく分からない。
だが、息子はみつきの(とても可愛い)エプロン姿を指差して、確信さえ持って聞いた。
「え?! ちが、違う!! お料理するときはエプロンくらいつけるでしょう?!」
「そういうもの?」
カミユは隣にいる秋露を横目に見やる。
「まあ、家庭料理なら人それぞれだね」
「そー?」
納得したのか、していないのか、カミユはどちらでもよさそうな返事をすると、俺の背中をバシリと叩いた。
「ルティ、いい加減しっかりして!!」
ハッとなって、身体の自由を取り戻した。
気を確かに持たなければ。
最初からこんなんじゃ、きっと抑制剤がどれだけあっても持ちやしない。
こっそりと深呼吸してから、俺はある種の覚悟を決めた。
「……これからよろしく、……で、いいか? ……みつき」
みつきは俺を見上げて、やっぱりまだ戸惑いの見える仕草を残したまま、少し目を泳がせた。
けれど。
「……こちらこそ、……よろしくお願いします……」
ーーーー嬉しそうに見えた。
確かにそう見えた笑顔で、明確に告げてくれたのだった。
秋露
ヴァルティ
カミユ
みつき




