第9話 隣を歩く
非常階段を降りる音だけが響いていた。
荒い呼吸。
警報。
遠くの銃声。
シオンは必死にローズを支える。
肩へかかる重みが少しずつ増えていく。
ローズは歩いている。
でも動きが明らかに鈍い。
左腕はほとんど上がっていなかった。
階段を一つ降りるたび、
赤黒い液体が床へ落ちる。
シオンの喉が痛くなる。
「もう少し……」
自分へ言い聞かせるみたいに呟く。
ローズが小さく言った。
「地下まで行けば、車がある」
「最初から言え……」
「今言った」
「そういうとこ……」
息が切れる。
でもローズが少しだけこちらへ体重を預け直した。
本当に限界なのだと分かる。
地下駐車場へ出る。
薄暗い。
冷たい空気。
機械油の匂い。
ローズが壁へ手をつく。
その瞬間、膝が崩れた。
「ローズ!」
シオンが慌てて抱き止める。
重い。
人間より少しだけ。
内部フレームの重さなのかもしれなかった。
ローズは目を閉じている。
「おい!」
「……停止はしてない」
「そういう問題じゃない!」
シオンの声が裏返る。
ローズの瞳がゆっくり開く。
焦点が少し遅れて合う。
「右奥」
「なに」
「車」
シオンは顔を上げる。
黒い車。
低い車体。
ローズはキーを投げる。
シオンは慌てて受け取った。
「運転できる?」
「できない!」
ローズが少し黙る。
「じゃあ、覚えて」
「今!?」
「今」
シオンは叫びそうになる。
でも後ろから扉の開く音がした。
警備。
時間がない。
シオンは歯を食いしばる。
「死ぬなよ!」
「努力する」
「軽い!」
ローズを助手席へ押し込む。
シオンは運転席へ飛び乗った。
意味が分からない。
人生で一度も運転なんかしたことない。
ローズが途切れ途切れに言う。
「右足。ブレーキとアクセル」
「知ってる!」
「エンジン起動」
シオンはキーを回す。
低い駆動音。
その瞬間。
銃声。
フロントガラスへヒビが走る。
シオンの悲鳴が漏れる。
「来てる来てる来てる!」
ローズが右手だけで拳銃を構える。
窓を撃ち抜く。
火花。
警備員が倒れる。
でもローズの腕が震えた。
銃が床へ落ちる。
金属音。
シオンの顔色が変わる。
「ローズ!」
「運転して」
ローズの声が少し掠れている。
シオンはアクセルを踏み込んだ。
車が急発進する。
タイヤが滑る。
柱へぶつかりそうになる。
「うわぁ!?」
「左」
「今言うな!」
後ろから銃声。
火花。
シオンは半泣きでハンドルを切る。
地下駐車場を抜ける。
夜の道路へ飛び出した。
ネオン。
雨上がりの道路。
都市の光が流れていく。
シオンの呼吸が荒い。
心臓が壊れそうだった。
隣を見る。
ローズが目を閉じている。
左脇腹から液体が流れ続けていた。
「……おい」
返事がない。
シオンの顔が青ざめる。
「ローズ」
ローズの頭が窓へ寄りかかる。
内部から微かな駆動音。
でも弱い。
シオンはハンドルを握る手に力を入れる。
怖かった。
さっきまで、
人を撃ったことが怖かった。
でも今は違う。
隣の存在が止まることの方が、
ずっと怖い。
ローズが小さく呟く。
「……ごめん」
シオンが目を見開く。
「は?」
「君を、巻き込んだ」
途切れ途切れの声。
シオンは言葉を失う。
ローズは薄く目を開ける。
「本当は、近づけない方が良かった」
その言葉が妙に苦しかった。
シオンは前を見る。
道路が滲む。
泣きそうだった。
でも怒りもあった。
「今さら言うなよ……」
ローズは静かだった。
シオンは唇を噛む。
「勝手に拾って」
アクセルを踏み込む。
「勝手にダンス教えて」
声が震える。
「勝手に笑って」
ローズの瞳が少し揺れる。
シオンは叫ぶみたいに言った。
「今さら一人に戻せるわけないだろ!」
本日分、ここまで読んでいただきありがとうございます。




