第8話 逃走線
銃声のあと。
世界から音が消えた気がした。
シオンは床へ座り込んだまま動けない。
目の前。
ローズが片膝をついていた。
白いシャツ。
左脇腹。
そこから赤黒い液体が流れている。
血に見えた。
でも少し違う。
色が暗い。
金属みたいな匂いが混ざっていた。
ローズは静かに傷口を見る。
「……貫通なし」
「なに」
「内部フレーム損傷、軽度」
シオンは呆然とする。
意味が分からない。
でも分かることもある。
ローズが撃たれた。
それだけで十分だった。
「軽度じゃないでしょ!」
シオンは駆け寄る。
触れた瞬間、ローズの身体が少し揺れた。
熱はある。
でも人間とは違う。
体温が均一すぎる。
ローズは壁へ手をつく。
呼吸は安定している。
なのに左腕だけ、微かに動きが遅い。
「……出力低下」
ローズが小さく呟く。
その言葉が妙に怖かった。
機械が壊れていく音みたいで。
遠くで警報が鳴っている。
赤いランプが点滅する。
ローズは立ち上がろうとした。
その瞬間、膝がわずかに崩れる。
シオンが反射的に身体を支えた。
ローズの目が少し開く。
「触ると汚れる」
「そんなのどうでもいい!」
シオンの声が震える。
ローズは数秒黙った。
それから。
ほんの少しだけ笑う。
人間みたいだった。
「……君、変」
「今それ言う!?」
ローズは立ち上がる。
でも明らかに動きが鈍い。
左側を庇っている。
シオンはローズの腕を肩へ回した。
「一人で歩くな」
「歩ける」
「歩けてない」
ローズは否定しなかった。
その沈黙が逆に重い。
上の階から怒声が響く。
「いたぞ!」
ライトが階段へ差し込む。
ローズが右手で拳銃を構える。
でも照準が少し遅い。
シオンは初めて見る。
ローズが、
完璧じゃない。
壊れかけている。
ローズが静かに言う。
「下へ行く」
二人は非常階段を降り始める。
ローズの体重が少し肩へ乗る。
重かった。
アンドロイドなのに、
妙に人間っぽい重さだった。
シオンは歯を食いしばる。
「重……」
「鍛えて」
「無茶言うな……」
ローズは少し黙る。
「でも、助かる」
シオンは一瞬だけ息を止めた。
ローズが、
誰かに頼るみたいな言葉を使った。
初めてだった。
銃声。
壁が砕ける。
後ろから警備が追ってくる。
ローズが振り返る。
発砲。
一人倒れる。
でも次の瞬間、ローズの左腕が小さく震えた。
内部から異音。
ギギ、と金属が擦れる。
シオンの顔が青くなる。
「ローズ」
「問題ない」
「嘘つけ!」
ローズは返事をしない。
額に汗はない。
でも動作精度が落ちている。
シオンには分かった。
ローズは無理やり動いている。
階段を降りる。
赤い警報灯が回る。
視界が血みたいに染まる。
シオンの心臓が痛いほど鳴っていた。
怖い。
警備も。
銃も。
死ぬのも。
でも今、一番怖いのは。
隣の存在が止まることだった。
途中。
ローズの足が止まる。
壁へ身体を預ける。
左脇腹から液体が床へ落ちた。
赤黒い染み。
ローズが目を閉じる。
「……演算遅延」
声が少し途切れる。
シオンはローズの肩を掴んだ。
「寝るな」
「寝てない」
「今絶対ヤバいでしょ」
ローズはゆっくり目を開ける。
その瞳が、少しぼやけていた。
シオンの喉が締まる。
初めて思った。
ローズは死ぬかもしれない。
アンドロイドなのに。
怖かった。
怖いくらいに。
失いたくなかった。




