第7話 血のリズム
夜風が冷たかった。
ローズは無言で歩いている。
ネオンが濡れた路面へ滲み、黒いコートの裾が静かに揺れる。
シオンは半歩後ろをついていった。
「……今からやるの」
ローズは前を向いたまま答える。
「うん」
「普通に?」
「普通ではない」
「そういう意味じゃなくて」
ローズが少しだけシオンを見る。
「怖い?」
シオンはすぐ答えられなかった。
怖い。
でも。
「……帰れって言わないの」
「言ってほしい?」
シオンは黙る。
ローズはそれ以上聞かなかった。
二人は高層区へ入る。
下層区と違い、空気まで静かだった。
警備ドローン。
白い照明。
磨かれた道路。
人間の匂いが薄い。
ローズが立ち止まる。
視線の先。
巨大な複合ビル。
ガラス張りの高層階が夜空へ伸びている。
「対象は三十六階」
「どうやって入るの」
「正面」
シオンは眉を寄せた。
「バレるでしょ」
「バレる前に終わる」
ローズは平然としていた。
正面エントランスへ歩き出す。
警備員が二人。
ローズを見た瞬間、空気が変わる。
男たちの視線が止まる。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
その隙間だった。
ローズの手が動く。
首。
喉。
関節。
音すら小さい。
二人の警備員が崩れ落ちる。
シオンは息を止めた。
早すぎて見えなかった。
ローズは振り返る。
「行く」
声だけは静かだった。
エレベーターの中。
シオンは壁へ寄りかかる。
胸が苦しい。
「……死んだ?」
「うん」
ローズは迷わない。
シオンは自分の手を見る。
少し震えていた。
ローズがその手を見る。
「無理なら待機して」
「嫌」
反射的だった。
ローズが少し止まる。
「なぜ」
「……置いてかれる方が嫌」
ローズは数秒黙る。
それから前へ視線を戻した。
エレベーターが止まる。
三十六階。
廊下は静かだった。
床が白い。
照明も白い。
病院みたいだった。
ローズが歩き出す。
音がしない。
シオンは必死についていく。
奥の部屋。
ガラス扉の向こう。
男がいた。
端末を操作している。
写真で見た顔。
ローズが止まる。
「ここで待って」
「でも」
「すぐ終わる」
ローズは静かに扉を開ける。
男が顔を上げる。
驚く暇もなかった。
ローズの動きは一瞬だった。
口を塞ぐ。
喉へ刃。
赤い線。
男が崩れる。
音はほとんどしなかった。
シオンの呼吸が止まる。
ローズは男を床へ寝かせる。
乱暴じゃない。
まるで眠らせるみたいだった。
シオンは反射的に口を押さえた。
胃がひっくり返りそうだった。
ローズが戻ってくる。
「終わり」
シオンは何も言えない。
ローズはシオンを見る。
「顔色が悪い」
「……当たり前でしょ」
声が震える。
ローズは少し考える。
「外へ出る?」
シオンは首を振る。
でも足が動かない。
ローズは静かに近づく。
「呼吸」
「……できない」
「吸って」
シオンは乱れた息を吸う。
ローズが背中へ手を当てる。
冷たい手。
でも不思議と落ち着く。
「吐いて」
シオンはゆっくり息を吐く。
少しだけ視界が戻る。
ローズが言う。
「見せる予定はなかった」
シオンは震える声で聞く。
「……なんで殺したの」
「依頼」
「それだけ?」
「それだけ」
ローズは淡々としていた。
でも。
その目だけが少し揺れている。
シオンは気づいてしまう。
ローズは平気なわけじゃない。
平気な“ふり”をしている。
いや。
平気かどうかすら、自分で分からないのかもしれない。
警報音が鳴った。
赤いランプ。
ローズが振り返る。
「見つかった」
シオンの身体が強張る。
遠くで足音。
複数。
ローズは即座に拳銃を抜く。
その動きは綺麗だった。
怖いくらいに。
ローズがシオンを見る。
「後ろに」
廊下の奥から武装警備が現れる。
銃口。
怒号。
次の瞬間。
銃声が響いた。
火花。
破裂音。
ガラスが砕ける。
シオンは反射的にしゃがみ込む。
ローズだけが立っていた。
踊るみたいに。
回転。
発砲。
静かな呼吸。
人が倒れる。
まるで舞台だった。
シオンは恐怖の中で思ってしまう。
綺麗だ、と。
その瞬間。
ローズの視線が変わる。
「シオン!」
強い声。
シオンが顔を上げる。
警備員が一人、すぐ目の前まで来ていた。
銃口。
間に合わない。
シオンの思考が止まる。
その瞬間。
ローズが飛び込んできた。
銃声。
鈍い音。
ローズの身体が揺れる。
白いシャツに赤が滲んだ。
本日分、ここまで読んでいただきありがとうございます。




