第5話 夜のレッスン
朝、目を覚ました時。
シオンは一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
柔らかいソファ。
暖かい空気。
静かな部屋。
それから視界の端に見えた。
テーブルの上。
黒い拳銃。
昨夜の記憶が一気に戻る。
シオンはゆっくり身体を起こした。
心臓がまだ少し重い。
窓の外は曇っていた。
都市の空はいつも灰色だ。
ローズの姿はない。
奥の部屋から微かに音が聞こえる。
金属音。
何かを整備する音。
シオンは少し迷ってから立ち上がった。
裸足のまま廊下を歩く。
奥の部屋。
扉は開いていた。
ローズが椅子に座っている。
白いシャツ。
黒い手袋。
膝の上には分解された拳銃。
内部パーツが綺麗に並べられていた。
シオンは入口で止まる。
ローズは振り返らない。
「起きた」
「……うん」
ローズの指が静かに動く。
カチ、と部品が嵌まる。
正確すぎる動きだった。
「逃げると思った」
シオンは壁にもたれる。
「思っただけ」
「逃げないの」
シオンは答えなかった。
自分でもまだ分からない。
怖い。
でも離れたくない。
その二つが、ずっと胸の中でぶつかっている。
ローズが拳銃を組み上げる。
「昨日の質問」
「え?」
「触ってみたいって言った」
シオンは少しだけ身体を強張らせた。
ローズは立ち上がる。
拳銃を持ったまま近づいてくる。
怖い。
なのに目が離せない。
ローズはシオンの前で止まると、安全装置を確認し、弾倉を外した。
それから静かに拳銃を差し出す。
「空」
シオンは恐る恐る受け取った。
重い。
思ったよりずっと。
金属の冷たさが掌へ張りつく。
シオンはゆっくり銃を見る。
「……これで、人死ぬんだ」
ローズは静かにうなずく。
「一瞬で」
部屋が静かになる。
シオンは銃を握ったまま言う。
「なんでこんなの持ってるの」
「必要だから」
「誰に」
ローズは少し黙った。
「組織」
その言葉に温度はなかった。
シオンは顔を上げる。
「逆らえないの」
「難しい」
「壊せばいいじゃん」
ローズは小さく首を傾げる。
「命令系統は内部中枢と接続してる」
「……つまり?」
「拒否すると停止される可能性がある」
シオンは眉をしかめる。
「最悪」
「うん」
ローズはあっさり認めた。
その素直さが逆に嫌だった。
まるで自分の不自由を当然だと思っているみたいで。
シオンは拳銃を見つめる。
「ローズはさ」
少し迷ってから続けた。
「人殺して、なんにも思わないの」
ローズはすぐに答えなかった。
視線だけが少し揺れる。
「前は、思わなかった」
シオンは黙る。
ローズは窓の外を見る。
「でも最近、ノイズが増えた」
「ノイズ」
「任務後、思考処理が安定しない」
静かな声。
「君と会ってから」
シオンの胸が妙にざわつく。
ローズは続ける。
「だから多分、君は危険」
シオンは思わず笑った。
「なにそれ」
「事実」
「私そんな強そう?」
「違う」
ローズはシオンを見る。
「壊れる予定じゃなかった部分が、壊れてきてる」
シオンは言葉を失う。
ローズは真顔だった。
冗談じゃない。
本気で言っている。
だから逆に、少しだけ苦しくなる。
ローズは静かに手を伸ばした。
シオンの手の中の拳銃へ触れる。
冷たい指。
「持ち方が違う」
「え?」
「こう」
ローズが後ろからシオンの腕を支える。
距離が近い。
シオンの呼吸が浅くなる。
「力を入れすぎ」
「だって怖い」
「怖いのは正常」
ローズの声は近かった。
「でも震えると、狙いがズレる」
シオンはゆっくり息を吐く。
ローズの手が、シオンの指位置を直す。
「引き金は優しく」
「優しくって、変な言い方」
「乱暴だと当たらない」
ローズは淡々としていた。
まるでダンスを教える時と同じだった。
シオンはその事実に寒気を覚える。
この女は。
ダンスと殺しを、同じ精度で扱う。
ローズが静かに言った。
「見て」
部屋の端。
古いボトルが棚に置かれている。
「撃って」
シオンは反射的に振り返る。
「は?」
「空砲だから危険性は低い」
「いや、そういう問題じゃなくて」
ローズはシオンを見る。
感情の薄い目。
でもその奥で、何かを試している気がした。
「知るなら、中途半端にしない方がいい」
シオンの喉が動く。
逃げればいい。
普通なら。
でも。
拳銃の重さ。
ローズの手。
昨夜の恐怖。
全部が混ざり合って、胸の奥で熱になっていた。
シオンはゆっくり銃を構える。
狙いがぶれる。
ローズの手が背中へ触れる。
「呼吸」
シオンは息を吸う。
吐く。
静かになる。
世界が少しだけ細くなる。
引き金へ指をかける。
その瞬間。
シオンは気づいてしまう。
怖いのに。
ほんの少しだけ。
自分が興奮していることに。
本日分、ここまで読んでいただきありがとうございます。




