第41話 観測者
地下搬入口の前。
誰も動けなかった。
崩落音だけが、
遠くで響いている。
アベルは静かに立っていた。
白いコート。
汚れ一つない靴。
この地下空間だけ、
別の世界みたいだった。
エヴァが銃を向ける。
「動くな」
アベルは視線すら向けない。
その目は、
ルカを見ていた。
「……追跡タグを停止したのか」
ルカが小さく肩を震わせる。
アスターが弟を抱き寄せた。
アベルは怒らない。
ただ、
観察していた。
「記憶保持率、
予測以上」
静かな声。
まるで実験結果を見るみたいだった。
シオンの胸に、
嫌悪が広がる。
人を。
子供を。
数字みたいに見る目。
シオンが前へ出る。
「……ローズを返して」
アベルの視線が、
ゆっくりシオンへ向く。
その瞬間。
空気が変わった。
初めて。
アベルの瞳に、
微かな興味が浮かぶ。
「君がシオンか」
その声に、
シオンの背筋が冷える。
知っている。
最初から。
アベルは静かに続ける。
「予想以上だった」
「……何が」
「ローズへの影響だ」
静寂。
グレンが低く舌打ちする。
「やっぱり全部見てやがったか」
アベルは否定しない。
「接触実験は必要だった」
シオンの顔色が変わる。
実験。
その言葉が、
胃の奥へ刺さる。
エヴァが鋭く言う。
「子供まで使って?」
アベルは淡々としていた。
「都市維持には、
適正管理が必要だ」
「そのために人生壊すの?」
「壊れているのは元からだ」
静かな声。
だが冷たい。
地下空間の温度が、
さらに下がった気がした。
シオンは拳を握る。
怖い。
でも。
目を逸らしたくなかった。
アベルがシオンを見る。
「君の母は、
最後までそれを理解できなかった」
空気が止まる。
グレンの表情が変わる。
エヴァも動きを止めた。
シオンの呼吸だけが、
不自然に響く。
「……母?」
アベルは数秒沈黙した。
それから、
静かに言う。
「南区出身の研究者だった」
シオンの頭が白くなる。
雨の記憶。
優しい手。
曖昧な声。
断片が胸を掠める。
アベルは続ける。
「感情を残そうとした」
「……何を言ってるの」
「ローズの基幹感情層だ」
シオンの瞳が揺れる。
グレンが低く呟く。
「……やめろ」
だがアベルは止まらない。
「君の母は、
人間性を残せると考えた」
「記憶。
共感。
自己選択。」
「愚かな理論だった」
シオンの呼吸が乱れる。
ローズ。
雨。
触れた手。
あれが。
母の残したもの?
アベルの声だけが静かに響く。
「だが興味深かった」
その瞬間。
エヴァが引き金を引いた。
銃声。
だが。
アベルの背後へ、
黒い影が降り立つ。
高速。
銀色の残光。
エヴァの弾丸が弾かれる。
シオンの目が見開く。
白い髪。
黒い戦闘装束。
銀色の瞳。
ローズだった。
地下空間が静まり返る。
シオンの呼吸が止まる。
ローズはゆっくり顔を上げる。
その目は冷たい。
感情が薄い。
でも。
シオンを見た瞬間。
ほんの僅かだけ、
瞳が揺れた。
アベルが静かに言う。
「確認しよう」
ローズの指先が、
ゆっくり武器へ伸びる。
「君は、
まだ消えていないのか」
ローズは無言だった。
だが。
銃口は。
微かに震えていた。
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