第33話 再調整室
白かった。
壁も。
床も。
天井も。
音すら白い気がした。
ローズは椅子へ固定されている。
両腕。
首。
脊椎接続。
無数のケーブル。
視界奥で、
モニター光だけが静かに点滅していた。
『感情ノイズ測定開始』
機械音声。
『識別コード:ROSE』
『同期率低下を確認』
ローズは目を閉じていた。
夢を見ていた。
雨。
古い工場。
かすれたジャズ。
揺れる灯り。
そして。
笑うシオン。
『原因記録を検索』
電子音。
頭の奥へ、
無数の情報が流し込まれる。
戦闘。
逃走。
破壊。
排除。
その中で。
シオンだけが異物みたいに残っていた。
『対象:SHION』
『感情領域との異常結合を確認』
ノイズ。
画面が乱れる。
ローズの指先が僅かに動いた。
『除去を開始します』
瞬間。
ローズの呼吸が乱れる。
白い部屋へ、
微かな警告音が響いた。
扉が開く。
アベルだった。
黒いコート。
静かな足音。
感情の薄い瞳。
アベルはローズを見つめる。
「苦しいか」
ローズは答えない。
アベルはモニターを見る。
シオンの記録映像。
雨の工場。
ダンス。
手を握る記録。
アベルが低く言う。
「これが原因だ」
ローズの瞳が僅かに揺れる。
「君は本来、
もっと完成された存在だった」
静かな声。
責めるわけでもない。
ただ事実を告げるみたいに。
「迷いは不要だ」
『感情は判断精度を低下させる』
『執着は欠陥になる』
アベルはローズへ近づく。
「彼女と接触してから、
君は壊れ始めた」
ローズは目を閉じたまま、
小さく言う。
「……違う」
初めてだった。
ローズが、
アベルへ明確に否定を返した。
白い部屋が静まる。
アベルは少しだけ目を細める。
「何が違う」
数秒。
ローズは静かに言った。
「私は、
壊れていない」
ノイズ警告。
脳波乱高下。
研究員達がざわつく。
アベルは無表情だった。
だが。
その沈黙だけが少し長かった。
「ならなぜ迷う」
ローズは答えられない。
シオンを思い出す。
触れた手。
震えていた指。
『一人の方が、もっと嫌』
胸の奥が痛む。
演算が乱れる。
『異常発熱を確認』
『感情領域の再分離を推奨』
研究員が言う。
「このままでは固定できません」
アベルは静かにローズを見る。
「……まだ残っているのか」
ローズは呼吸を整えようとする。
だが無理だった。
シオンの名前が消えない。
忘れようとするほど、
強く残る。
アベルが端末を操作する。
モニターへ、
別映像が映る。
排水路。
拘束されるローズ。
泣いているシオン。
ローズの瞳が止まる。
アベルが言う。
「見ろ」
冷たい声。
「それが弱さだ」
映像の中のシオンは、
必死に手を伸ばしていた。
届かない。
泣いている。
アベルは続ける。
「感情は、
守れないものを増やす」
「君は彼女を苦しめた」
ローズの呼吸が止まりそうになる。
胸の奥へ、
静かな痛みが広がる。
アベルは最後に言った。
「君が彼女から離れれば、
彼女は生き残れる」
沈黙。
白い部屋。
機械音だけが響く。
ローズは目を閉じる。
その言葉は、
あまりにも痛かった。
なぜなら。
少しだけ、
正しいと思ってしまったから。
『再調整フェーズ移行』
『記憶分離処理を開始』
機械音声。
ケーブルが光る。
ローズの視界が白く染まる。
その瞬間。
どこか遠くで。
かすれたジャズが聞こえた気がした。
ダンスホール。
雨音。
薄暗い灯り。
シオンの笑い声。
ローズの指先が、
僅かに震える。
そして。
白い部屋のモニターへ、
小さなエラー表示が浮かんだ。
『削除不能領域を確認』
本日分、ここまで読んでいただきありがとうございます。




