第30話 模造の心
地下排水路は冷えていた。
水滴の音。
遠くで鳴る警報。
都市の振動が、
コンクリート越しに微かに伝わってくる。
シオンは壁へ寄りかかったまま、
ぼんやり水面を見ていた。
少女は疲れて眠っている。
エヴァは入口付近で警戒。
ローズだけが、
少し離れた場所にいた。
暗闇。
白い横顔。
まるで、
一人だけ別の場所にいるみたいだった。
シオンは立ち上がる。
静かに近づく。
ローズは振り向かなかった。
水面を見ている。
揺れる光。
歪んだ自分の顔。
シオンが小さく言う。
「……眠らないの」
「平気」
いつもの返事。
でもどこか違う。
シオンは隣へ座った。
少し沈黙。
排水路の水音だけが響く。
ローズがぽつりと言う。
「私は、
最初からこうなるように作られていた」
シオンが見る。
ローズは続ける。
「怒ることも」
「迷うことも」
「君を守ろうとすることも」
静かな声。
「全部、
設計だった」
シオンはすぐ返せなかった。
アベルの言葉が、
まだローズの中へ残っている。
ローズは水面を見る。
「もし全部プログラムなら」
数秒。
「これは、
私の心じゃない」
シオンの胸が少し痛む。
ローズは続ける。
「君といた時間も」
「感じたことも」
銀色の瞳。
揺れていた。
「本物じゃないかもしれない」
シオンは少し俯く。
難しかった。
機械とか。
プログラムとか。
正直よく分からない。
でも。
ローズが苦しんでることだけは分かった。
シオンは小さく言う。
「じゃあさ」
ローズが見る。
シオンは少し考えながら続けた。
「人間だって、
最初から決められてることあるじゃん」
ローズは黙って聞いていた。
「生まれた場所とか」
「親とか」
「顔とか」
「性格とか」
シオンは苦く笑う。
「私、
ずっと一人だったし」
「……」
「怖がりなのも、
多分最初からだし」
排水路の暗闇。
シオンはぽつりと言った。
「でも、
全部決まってるとは思わない」
ローズの瞳が止まる。
シオンは続ける。
「ローズが、
私を助けた時」
あの銃声。
あの夜。
「損するとか、
死ぬかもとか、
分かってたでしょ」
ローズは小さく頷く。
「それでも助けた」
シオンは静かに言う。
「それ、
私は好きだよ」
ローズの呼吸が、
ほんの少しだけ止まる。
シオンは笑った。
少し照れ臭そうに。
「作られた感情でもさ」
「そんなの、
もう本物でいいじゃん」
静寂。
水音だけが響く。
ローズは何も言わなかった。
でも。
その横顔が、
少しだけ苦しそうだった。
ローズは低く言う。
「……怖い」
シオンは目を瞬かせる。
ローズが続ける。
「もし私が、
最初から君を好きになるよう作られていたら」
シオンの心臓が強く鳴る。
ローズは俯いた。
「それは、
私の意志じゃない」
シオンは言葉を失う。
ローズは本気で悩んでいた。
自分の感情を。
自分自身を。
シオンはゆっくり言う。
「じゃあ今、
悩んでるのは誰」
ローズが顔を上げる。
シオンは真っ直ぐ見る。
「それ、
アベルじゃないでしょ」
静かな声だった。
「ローズでしょ」
長い沈黙。
ローズの瞳が、
少しだけ揺れる。
その時。
排水路奥から、
エヴァの声が響く。
「静かに」
空気が変わる。
ローズが即座に立ち上がる。
エヴァが低く言う。
「上にいる」
全員の緊張が走る。
少女も目を覚ました。
遠く。
複数の足音。
金属音。
回収屋だった。
排水路の入口付近を捜索している。
ライトの光が、
暗闇をゆっくり舐める。
シオンの呼吸が浅くなる。
ローズが前へ出る。
だがその時。
回収屋達の無線から、
声が漏れた。
『生死不問に変更』
空気が凍る。
『特にアンドロイド個体は、
損傷許容』
シオンの顔色が変わる。
ローズは静かだった。
でも。
その横顔から、
感情が少し消えていた。
まるで。
自分が“物”へ戻されたみたいに。




