第14話 白い追跡者
工場の空気が張り詰めていた。
雨の匂い。
濡れたコンクリート。
赤い警告灯がゆっくり回っている。
エヴァは静かに立っていた。
白いコートの裾だけが、
外から吹き込む風で揺れている。
その後ろには武装した男たち。
誰も動かない。
ローズだけを見ている。
ローズはシオンの前に立ったまま、
一歩も引かない。
エヴァが小さく息を吐いた。
「本当に、その子を庇うのね」
ローズは答えない。
「ローズ」
エヴァの声は柔らかい。
昔を思い出させるみたいに。
「帰りましょう」
シオンの胸がざわつく。
その言い方。
ただの命令じゃない。
まるで、
迷子を迎えに来たみたいだった。
ローズが低く言う。
「私は失敗した」
「知ってる」
「対象を処分していない」
エヴァはシオンを見る。
視線だけで空気が冷える。
「それも知ってる」
シオンは無意識に拳を握った。
エヴァは続ける。
「でも、まだ間に合う」
静かな沈黙。
それから。
「その子を渡せば」
シオンの呼吸が止まる。
グレンが舌打ちした。
ローズの声が冷える。
「断る」
空気が変わった。
武装した男たちの指が、
一斉に引き金へ触れる。
シオンの背中へ緊張が走る。
でもエヴァは笑った。
少しだけ。
「やっぱり」
その目は、
どこか寂しそうだった。
「あなた、本当に変わった」
ローズの左腕が僅かに動く。
まだ遅れている。
シオンだけがそれに気づいた。
エヴァも気づいている。
多分。
エヴァが静かに言う。
「今のあなたじゃ勝てない」
「勝つ必要はない」
「逃がすため?」
ローズは答えない。
それが答えだった。
シオンの胸が苦しくなる。
まただ。
またローズは、
自分を置いて行こうとしている。
エヴァがシオンを見る。
「あなた、名前は」
シオンは警戒したまま答えない。
エヴァは少し首を傾げる。
「怖がらなくていい」
「……怖いよ」
思わず口から漏れた。
エヴァの目が僅かに細くなる。
シオンは続ける。
「ローズがそんな顔するの、初めて見た」
静寂。
エヴァはローズを見る。
ローズは無表情だった。
でもシオンには分かる。
今のローズは静かすぎる。
演算している。
戦うか。
逃げるか。
殺すか。
全部。
エヴァがぽつりと言った。
「昔はもっと綺麗だったのに」
ローズの瞳が揺れる。
シオンが眉を寄せる。
「……どういう意味」
エヴァは少し考える。
「完璧だったって意味」
その言葉に、
シオンの胸が妙に痛くなる。
完璧。
多分それは、
誰も守らないローズだ。
誰にも執着しないローズ。
壊れても動き続けるローズ。
エヴァが静かに続ける。
「あなたのせいで、この子は壊れてる」
シオンの呼吸が止まる。
ローズが一歩前へ出た。
「やめろ」
低い声。
初めて、
感情が混ざっていた。
エヴァは少し驚いた顔をする。
それから、
本当に小さく笑った。
「……そんな声、出せるんだ」
その瞬間。
工場の照明が落ちた。
真っ暗になる。
シオンが息を呑む。
次の瞬間。
銃声。
火花。
誰かの悲鳴。
グレンの怒鳴り声。
「走れ!」
ローズの手が、
シオンの腕を掴む。
暗闇の中。
ローズは迷いなく走った。
地下通路へ。
後ろで銃声が響く。
金属へ弾が当たる音。
シオンは転びそうになりながら叫ぶ。
「ローズ!」
「前見て」
「でも!」
その瞬間。
ローズの身体が僅かによろめいた。
左腕。
同期遅延。
シオンの顔が青くなる。
後ろからエヴァの声が響く。
「ローズ!」
声が近い。
速い。
追ってきている。
ローズが低く言う。
「シオン、先へ」
「嫌!」
「行って」
「また置いてく気でしょ!」
ローズが振り返る。
地下通路の薄暗い灯り。
その中で、
ローズの瞳だけが静かに光っていた。
「君を守りたい」
シオンの呼吸が止まる。
ローズ自身も、
言った後に僅かに止まった。
まるで、
自分の言葉に驚いたみたいに。
後方で銃声。
壁へ火花が散る。
エヴァの影が見えた。
ローズがシオンを押す。
「走って!」
シオンは動けない。
胸が苦しい。
怖い。
でも。
一人で逃げる方が、
もっと怖かった。




