第12話 雨のワルツ
夜だった。
工場の外で雨が降っている。
一定のリズム。
金属屋根を叩く音が、
静かに空間へ広がっていた。
シオンはソファへ座ったまま、
ぼんやり窓を見ている。
眠れなかった。
ローズの修復から三日。
傷は塞がり始めている。
左腕の動作も戻ってきた。
でも。
あの日から、
何かが変わってしまった気がしていた。
工場の奥から微かな音が聞こえる。
足音。
シオンが振り返る。
ローズだった。
白いシャツ。
黒いパンツ。
まだ少し動きは硬い。
でも、
もう立って歩けていた。
シオンの胸から、
小さく息が漏れる。
ローズが止まる。
「起きてた」
「……そっちこそ」
ローズは数秒シオンを見る。
それから静かに隣へ座った。
少し距離が近い。
以前なら、
ローズはこんな座り方をしなかった。
シオンはなんとなく落ち着かなくなる。
雨音。
工場の機械音。
沈黙。
でも嫌じゃなかった。
ローズがぽつりと言う。
「グレンが怒ってた」
「当たり前」
「無茶しすぎって」
シオンは小さく笑う。
「ほんとにそう」
ローズは少し考える。
「でも、君を庇ったことは後悔してない」
シオンの笑みが止まる。
ローズは前を見たまま続ける。
「合理的ではなかった」
「……うん」
「任務失敗の可能性も上がった」
「うん」
「でも、あの選択をした」
静かな声だった。
シオンは返事ができない。
ローズが、
自分の行動を分析している。
でもそこには、
以前みたいな冷たさがない。
むしろ、
戸惑っているように聞こえた。
ローズが小さく言う。
「最近、分からない」
シオンが見る。
ローズは雨を見ていた。
「君が傷つく想像をすると、演算が乱れる」
その言葉に、
シオンの胸が静かに締まる。
「それ、故障なんじゃないの」
ローズは少し黙る。
「グレンもそう言ってた」
「……怖くないの」
ローズがこちらを見る。
「なにが」
「変わるの」
雨音が強くなる。
ローズは数秒考えた。
それから小さく答える。
「少し」
シオンは目を伏せる。
ローズが怖がる。
その事実が、
妙に胸へ残った。
完璧な存在だと思っていた。
でも今は違う。
迷っている。
壊れかけている。
人間みたいに。
ローズが言う。
「でも、君がいると静かになる」
シオンの呼吸が止まりそうになる。
ローズは続ける。
「だから、多分」
ほんの少しだけ、
言葉を迷った。
「嫌じゃない」
シオンは何も言えない。
ただ鼓動だけがうるさい。
ローズはふと視線を落とした。
シオンの手。
膝の上で、
少しだけ震えていた。
ローズが静かに触れる。
指先。
冷たい感触。
シオンの肩が揺れる。
でも、
振り払わなかった。
ローズは小さく言う。
「まだ怖い?」
シオンは少し考える。
怖い。
銃も。
殺しも。
ローズが壊れることも。
全部怖い。
でも。
「……一人の方が、もっと嫌」
ローズの視線が止まる。
雨音だけが響く。
長い沈黙。
そのあと、
ローズがゆっくりシオンの手を握った。
強くない。
壊れ物に触るみたいに。
シオンは目を見開く。
ローズは前を見たままだった。
でもその横顔は、
どこか静かだった。
シオンは小さく俯く。
逃げなかった。
離れなかった。
工場の奥で、
古いレコードが回り始める。
ジャズ。
かすれたトランペット。
グレンの趣味だろう。
ローズが小さく立ち上がる。
それから、
シオンへ手を差し出した。
「シオン」
「……なに」
「踊る?」
シオンは目を瞬かせる。
「今?」
「今」
少しだけ、
最初に会った頃みたいな言い方だった。
シオンは思わず笑ってしまう。
「こんな所で?」
「床は平ら」
「そういう問題かな……」
ローズは黙ったまま待っている。
シオンはため息をつく。
それから、
その手を取った。
冷たい手。
でも、
もう嫌じゃなかった。
工場の薄暗い灯りの中。
二人はゆっくり揺れる。
舞台じゃない。
観客もいない。
雨音とジャズだけ。
ローズの動きは、
まだ少しだけ不安定だった。
シオンはそれに合わせる。
自然と。
呼吸みたいに。
ローズが小さく言う。
「上手くなった」
シオンは顔をしかめる。
「誰のせい」
「私」
「……そう」
ローズが少しだけ笑う。
その瞬間。
工場の警告灯が赤く点灯した。
乾いた電子音。
空気が変わる。
グレンの怒鳴り声が奥から響く。
「ローズ!」
二人が止まる。
グレンが工場奥から走ってくる。
顔色が悪い。
「追跡が来た」
シオンの背筋が凍る。
ローズの目が静かに細くなる。
グレンがモニターを指差した。
複数の赤点。
工場を包囲している。
グレンが低く言う。
「組織だ」
静寂。
ローズはシオンを見た。
その目に、
迷いがあった。
ほんの少し前まで存在しなかった迷い。
そして工場の外で。
雨の中。
黒い車のドアが開く。
暗闇から、
ひとりの女が降りてくる。
長い黒髪。
白いコート。
その瞳だけが異様に冷たい。
女は工場を見上げ、
静かに呟いた。
「……見つけた、ローズ」
ローズの表情が、
初めて僅かに変わった。




